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2007年5月26日 (土)

モンゴルの大地を駆ける(4)

【話の肖像画 】 産経新聞2007年5月10日付

 ◆“順番待ち”消えた死の恐怖

 −−インド亡命後の生活はいかがでしたか

 ペマ 1959年3月末、インド・アッサム地方の難民キャンプに入りました。ダライ・ラマ法王を慕ってチベットから逃げてきた難民があまりに多いので、インド政府が建設したのです。仮設キャンプだけに、屋根はあっても壁はなく、ジャングルを切り開いただけに、ヘビや蚊が多く、野生のゾウも出たほか、すごく暑くて環境は劣悪でした。

 何不自由ない幼年時代を過ごしましたが、キャンプであめをもらう際、隣の子供にひじでこづかれ、あめをもらえず、難民になったのだなと本当に惨めな思いをしました。

 −−つらいですね

 ペマ そこには数千人が住んでいて、私たちは3カ月くらい住んでいました。この間、栄養失調でおなかがぽっこり出て、水ぼうそうも患い、さらに感染症も併発して、キャンプ内の病院に入りました。病院と言っても、屋根があるだけの吹きさらしに粗末なベッドが置いてあるだけで、消毒用の殺虫剤が大量に散布されており、頭が痛くなるほどでした。朝起きると昨日までいた患者がベッドから消えており、子供心ながら「亡くなったのだな」と分かりました。こういう生活に慣れると、死ぬのは順番待ちのようなものになり、何も怖いものはなくなりましたね。

 −−悲惨です

 ペマ 付き添っていた父も、もうだめだと思ったのでしょう。少しでも涼しいようにと、私のことを優しく抱き上げて、外の風に当ててくれました。その微風が大変心地よく感じ、「生きたい」「死ぬのが怖い」と思いました。それで気を持ち直したのか、奇跡的に回復しました。

 −−お父さんの思いが通じたのですかね

 ペマ 父は当時38歳、96年に75歳で亡くなりました。父には本当に感謝しています。その後、ダライ・ラマ法王の義理の姉がダージリンに建設したチベット難民中心の学校に入りました。小中一貫教育で、上は17歳から下は5歳まで、全部で200人ほどいました。

 そこで2年ほど過ごした後、キリスト教系の団体から、難民の少年少女をミッション系スクールに入れる機会を与えられ、私はそちらに移りました。ダージリンは英国統治時代、英国人の避暑地でもあり、インドの中でも学校の教育水準が高く、すべて英語での授業でした。

 −−いつから日本に?

 ペマ 65年、12歳の時に、ほかの4人のチベット人と来日しました。当時の日本ではわれわれが難民第1号と言ってもよいと思います。

 (聞き手 相馬勝)

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