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2007年5月26日 (土)

モンゴルの大地を駆ける(2)

【話の肖像画 】 産経新聞2007年5月8日付

 ◆独立放棄…日本に帰化決意

 −−初訪問(1991年)当時のモンゴルは一党独裁放棄による民主化導入で、混乱していたのでは?

 ペマ てんやわんやですね。価値観が大きく変わり、30代、40代の若手指導者がどんどん出てきて、日本の明治維新も、こういう感じではなかったかと思いました。現大統領のエンフバヤル氏は92年当時の文化大臣で、まだ34歳の若さでしたが、付き合ってみて、スケールの大きな政治家だと分かりました。

 −−モンゴルへは、どのような支援を

 ペマ 私は14年間、ダライ・ラマ法王のアジア・太平洋地区代表などを務め、法王の世界各国歴訪にも随行するなど、各国の宗教・文化関係の有識者らと親交がありましたので、モンゴルの新たな文化創造のために、さまざまな人々を紹介しました。そのなかには、モンゴルの民主化進展に尽力してくれた方もいらっしゃいました。

 −−ダライ・ラマとモンゴルの関係はどうですか

 ぺマ モンゴルで最も信じられているのはチベット仏教ですので、宗教的に最も尊敬されています。また、モンゴルの歴代皇帝はチベット仏教を信じており、両者の関係は極めて深いのです。

 −−今後、支援の重点は

 ペマ モンゴルは歴史的に遊牧民族です。今後は農業の普及による食糧の自給自足とウランバートルなど都市のインフラ整備が重要です。引退、退職した日本人のシルバーボランティアを組織化して、モンゴルの国造りに貢献できればいいですね。今最も必要なのは農業や医療、都市建設の向上だと思います。

 −−ところで、日本に帰化されたそうですね

 ペマ 一昨年の11月です。1965年12月に初めて日本の土を踏んだので、40年間の生活を経て、日本人になったことになります。生活基盤が日本にできてしまい、もはや日本以外では生活できなくなってしまったのです。

 −−なるほど、日本が本当の故郷になったのですね

 ペマ もうひとつは、ダライ・ラマ法王がチベットの独立を放棄されたことです。それは87年9月に米国議会での演説で提案した「5項目和平プラン」(独立放棄を前提に、将来のチベットの地位ならびにチベット人と中国人の関係についての真摯(しんし)な交渉の開始などを提案)です。

 チベット人としては、ダライ・ラマ法王の意思は尊重しなければなりません。しかし、私はずっとチベット独立のために働いてきました。中国の支配下で生きる気はまったくありません。これも私が日本に帰化した大きな理由です。

 (聞き手 相馬勝)

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