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2007年9月22日 (土)

幸せの土台(上)

このたびインド、ネパールそしてインド国内の小チベットと言われるダラムサラヘ行って参りました。

そこで感じたことは、私達アジアの共通の文化として、人間の幸せを側面から支えてきたのは家族であり、特に大家族主義であったということです。

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近年、日本における国際化、グローバライゼーションがもたらしたものは、それまでの家庭の基盤を根底からぶち壊し、西洋的な核家族の形態をより一層確実なものとするものでした。それが今日、日本の社会的な病いの原因になっているのではないかと思います。

私の場合はもともと大家族でした。外国の友人から「日本にあなたはファミリーを持っていますか」とか、日本人の知人からは「ペマさん、あなたはご家族が日本におありですか」と質問された時、最初のうちは、「両親と何番目と何番目の兄弟妹がインドのニューデリーにおり、その他の兄弟妹はインドのバンガロール、ダラムサラ他、アメリカに居住しており、日本には私と妹夫婦、甥、姪がいます」と、延々と説明していました。やがて相手が求めている答えに気がつき、私は簡単に「日本では家内と犬一匹と私だけです」というように答えるようになりました。ある時インドで、妹のいる目の前で同じような質問を受けた時、私はうっかりして「家内と犬一匹です」と答えたところ、帰りの車の中で妹から「お兄さん、私達は家族ではないのですか」とさんざんなじられました。妹にはかなりショッキングなことであったに違いありません。

私は大学で「世界人権宣言」について講義を持っています。「世界人権宣言」の中では、家族は社会の最小限の単位であると明記されており、関連の解説などを読むと「家族」とは父と母と未婚の子供のみを指しています。つまり世間で言う、核家族のことを指しています。

近代化、都市化が進むにつれて、家の設計、家族の形態が徐々に家族を分散させるような構図になってきています。子供が結婚をしたり自立して生活を始めるにつれて、各々がその生活を支えることに手いっぱいで、いつの間にか、例え親兄弟でも、構造的に互いに支えきれないような環境を作っているように思います。(続く)

財団法人・修養団発行「向上」(2007年5月号)より転載

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