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2007年9月25日 (火)

成長目覚ましいインドを訪ねて(下)

最近日本においては暗い、悲しいニュースをよく聞きます。石原東京都知事が、オリンピックを実現させたいのは国民に夢を与えたいから、と言うのもわかるような気がします。安倍首相の言う「美しい日本」も、もう少し具体的なビジョンとそれを実現する政策を持って国民に呼びかければ、日本の再生と美しい国の実現は決して不可能ではないと思います。

私はそのような前向きな気持ちで日本へ戻って参りました。しかし日本に戻って三日目、家内と夕食をした比較的高級で人気の老舗では、がっかりしてしまいました。父親の前で帽子を被ったまま食事を取る二十代の若者と家族……私はその父親がいつになったら子供に注意をするかとずっと興味を持って見守っていた所、食事を終えた途端、父親は椅子にふんぞり返って足を投げ出し、周囲には目もくれず煙草をふかし始めました。すると未成年者にも見えるその青年も煙草をふかし始めました。親子の間においても、ふんわりとした緊張感とマナーは必要であると思いますし、ましてや白分の家と公共の場の区別をするくらいの精神性が必要なはずです。

もちろんこの家族には「いただきます」も「ご馳走様でした」もなかったように見うけられました。この数十年、日本は豊かな社会としてお腹を空かせたまま出勤しなければならないようなことはありませんでしたが、最近は駅に続く階段で食事をしている人を見かけることがあります。私の事務所のスタッフは、それは「浮浪者」ではないかと言いましたが、私はそれを勘違いして「不労者」ではないと言いました。

ここで初めて「ふろうしゃ」に相当する二つの漢字について考えるきっかけができました。私は今まで「不労者」と思い込んでおり、日本人の働くことを尊ぶ文化から、働かない者に対する偏見から「不労者」と決めつけていると思っていました。つまり働きたくても働く環境のないことを考えずに決めつけていると思いました。しかしもう一つの「浮浪者」は、私の概念から言えばフリーターであって、仕事というものを軽んじて自由で楽な仕事を求めている者を指す言葉のように考えていました。こちらのほうは真剣に働く意欲、つまり精神に欠けている者で、労働環境よりも本人の問題から生じています。

したがって前述の親子の状況を見る限り、幸いにして現在は収入か財産に恵まれているようですが、将来に対しての危機感も緊張感もない様子から、私は不安を感じて、家内に我々が老後を過ごすこの国の十年後、二十年後が心配であると話しました。向かいに座っていた家内は、隣のテーブルにいる団塊の世代とおぼしき白髪交じりの三名がしゃべっている大声で、私の言葉が聞き取れないと言いました。本来なら人生経験が豊かで紳士と称されるべきこの三名の羽目をはずした振る舞いにはいささか落胆しましたが、「お前」「俺」「こいつ」などという言葉の交じる会話からすると、どうやら幼な馴じ染みか同級生同士のようでした。幼い頃の仲間にはなかなか会えない私は段々とうらやましい気分になって、やがてその喧騒も許せるような気持ちになりました。つまり私達が嫌だと思うこと、醜いと思うことなども含めて、心の持ち方によって変わっていくということです。

「豊かな精神は、健康で幸せな体につながる」というインドのヨガの先生の言葉をふと思い出しました。その先生によると、息を吸うときは「幸せ」つまり「プラスのエネルギー」をたくさん吸い込んで体を満たし、吐く時は自分自身の「マイナスの要素」全てを吐きだすことで、健康でたくましい体を保持し、無病息災で幸せに暮らせるそうです。

財団法人・修養団発行「向上」(2007年6月号)より転載

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