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2007年9月23日 (日)

幸せの土台(下)

例えば最近もてはやされている「男女平等参画共同社会」という言葉があります。これは働く女性、特に既婚者が働けることがその目的とされており、その環境整備の一環として高く評価されています。

私はチベットで生まれました。その地方は遊牧と農耕の両方を営んでいたため、男女の仕事の役割分担が曖昧です。男性も編物、裁縫、炊事などをしますし、女性もいざとなれば鉄砲を持って戦いに参加したり、戦場で戦う人々の手当てや馬の番をしていました。ですから男女の仕事分担に関して、特別な先入観は持っていません。

その私には、日本や西洋の一部の人々の見解には納得がいかないことがあります。父親と母親には家族内における得意な部分、代わることの出来ない部分があるからです。「男女平等参画共同社会」というのは、私の考えでは、世界の資本家達が労働者が足りないために便宜上考え出したことです。何故ならば、夫婦共働きをしたからといって、家族がより豊かになり、より幸せになっているとは思えないからです。むしろ夫婦共働きをしなければ、家族を支えて子供に十分な教育をすることが出来ない社会になっているのです。

今回の帰郷で、私はトランク一杯のお土産を持って帰りました。同行していた日本人の友人は「ペマさん、荷物が多いですね」と言って驚いた様子でした。以前モンゴルに出かけたときも、日本人の同行者から同じようなことを言われました。そのお土産は、家に着いてトランクを開けて家族親戚に渡すと、あっという問に底をつきました。たまたま母たちを訪ねてきていた親戚の叔母に渡すものがなくなっていました。それで、つい「親戚が多くて大変だ」というニュアンスの言葉が口から出てしまったところ、母親からさんざん説教されました。

「あなたは無人島にでもいって暮らすしかないではないか。人間、生きていく上において親戚や友人がどんなに大切かということをわかっていないようだ。誰もあなたから高価なものを貰い、それで生活をしようなんて思っていない。大事なことは、親戚一人一人、友人一人一人に対して『あなたのお蔭で元気でやっています』『あなたのことは忘れていません』と表現することで、お土産はその印に過ぎません。そのような親戚つき合いも出来ない人は、いずれ寂しい思いをして、野良犬のように親戚、友人から追い払われる身になるでしょう。あなたはとんでもないことを口にした。ということは、心も同じくらいに汚れているということだ。あなたは自分があげると同時に、貰っていることを忘れているのではないか……」

来客の中に、私の生まれた故郷から何千キロの旅をして母たちの様子を伺いに来た、故郷の僧侶がいました。彼は、故郷でたくさんの僧侶達が集まって祝福をしたツァンパ(麦焦がし)の団子を持ってきていました。母は、「これを見ろ、○○さんが何日も懐にいれて持ってきてくれたものだ。この団子には故郷の人々の思いが入っている。それはあなたの住んでいる豊かな国においては犬の餌にもならないかもしれないが、私達にとっては故郷の人々との大切な絆を維持する、大事なものだ」と言って、僧侶が帰るときにちゃんとお布施を出すようにと指示したのです。

母の言うとおり、私は帰りも結局は、親戚、友人から貰ったお土産で一杯になり、ダラムサラでは友人からカバンを借りるはめになりました。同じ物を数多く貰うことになり、正直言って私には困った面もありましたが、母の言葉やお土産一つ一つに託されている人々の愛を考えると至福を感じ、ややもすれば核家族社会、個人主義の社会に住みなれている自分の寂しさを逆に浮き彫りにされた旅となりました。

財団法人・修養団発行「向上」(2007年5月号)より転載

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