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2007年10月 9日 (火)

精神病と糖尿病に自覚症状は無い? (下)

かつて大英帝国はインドを二百年間、植民地支配しました。この植民地支配という行為自体は今日的価値観から考えて許せないことですが、大英帝国が残した建物や道路などは、その後のインドの遺産になっています。インドは今でも英国時代の建物を修理し、道路も最近まで修理しながら重宝がって使ってきました。

私が日本に来て子どもながらに感銘を受けたことの一つは、観光バスや地元の数少ない住民しか通らないような山奥の道路が整備され、崖が崩れないようにセメントが塗ってあったり網が張られたりしていることでした。また大学に通学しながら、四年間、病院で住み込みの生活をしながら奉公をさせて頂き、一九七〇年代に生活保護を受けている人々や高齢者に対する医療や福祉が充実していることに対して大変感激したことを覚えています。そして海外から来る友人、知人などに自慢するように報告したものでした。

一九八○年代の始め頃になり、私の周囲の日本の若者の中には、数力月働いて失業保険を申請し、それを元手に海外旅行に精を出す者が何人もいました。こうした人々の姿を見て、いずれこの人たちが日本のせっかくの良い制度をつぶさなければ良いが、と内心祈るような気持ちになったことがあります。

だんだんと人口が都会に流れ、兼業農家などが少なくなり、家業を継ぐというような伝統もなくなってきています。遺産相続制度も平等の原則にしたがって、すべての子どもが平等に権利を主張し、兄弟が醜い争いを繰り広げるのも、ますます目にするようになりました。一方、親の介護に対してはこれまた平等の原則で、それぞれが自分が介護に来られない言い訳を多く述べるようになりました。土地の値段が上がり、相続税を払うよりも売り払って、生き延びた片親をマンション住まいにするか施設に送り、残りのお金を分割して、中には海外旅行やブランド品に変えてしまった人々もいることでしょう。

この時期あたりから「恥の文化」「義理人情の文化」は徐々にブランド文化にとってかわり、二宮尊徳や宮沢賢治に代わってグッチ、ディオール、シャネルが新しい価値基準になってしまいました。

そして一九九〇年代に入り日本は二大政党化病にかかり、二大政党制が定着すれば日本は素晴らしくなるという神話を信仰するようになりました。

小沢一郎氏が主役となって政界再編成の名の下、政権がどんどん変わり、総理大臣が権力者ではなく、権力者の操り人形にされてしまいました。政治家たちが権力闘争で遊んでいるうち、官僚に対して指示を出す人も監督する人もいなくなったため、国をなんとか支えようとしているうちに権力を持ってしまった官僚に対して批判が集中し、国を支えてきた優秀なエリートたちのプライドをことごとく傷つけました。

また新たに権力者として登場してきたメディアは、発行部数の売上と視聴率の競争に没頭し、半径五百メートル内の出来事と皮膚感覚、視覚など五感のみを満たそうとし、目先のことしか扱わなくなりました。結果としてメディアの誘導により、政治家も次の選挙のことしか考えられなくなったのです。これらの現象はまさに歴史上消えていった帝国の運命にそっくりです。

武力によって侵略され征服された民族は、その屈辱的体験から再び復興するのですが、母国語を失った民族は永遠に滅びています。今、日本では言葉を職業にする人々が得意となって日本語をぶち壊しています。この現状を、日本の皆様はどう見るのでしょうか。

財団法人・修養団発行「向上」(2007年10月号)より転載

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