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2007年10月 8日 (月)

精神病と糖尿病に自覚症状は無い? (上)

チベットには「精神病患者は本人が自覚しないのが病である」という諺があります。私は採血をすると血糖値が高く、医師から糖尿病と診断され、薬を飲んでいます。現代医学の進歩のお陰で、私は現在、病人としての扱いを受けていますが、これが五十年前であったらどうだったでしょう? 少なくともチベットにおいては病人とは断定されず、健常者として振舞えていたでしょう。とにかく病気に関して自覚が無いのは困ったものです。

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国家や社会に関しても、私は似たような症状があるような気がします。

私の専門は政治学ですので、過去の歴史から学びながら、現在の世の中の動きを見て、ある程度先を予測するのが仕事です。その職業的感性のせいかもしれませんが、私の目には今の日本が国家として衰退の道を歩んでおり、社会、家族までもが崩壊への道を辿っているように見えるのです。

歴史上のどの民族も国家も、繁栄、発展の道を進んでいる時は、人々が前向きであり、行いも大胆であったように思います。ですから私達は、かつての帝国が繁栄したときの建造物や芸術作品を見ても、それを物語っていると感じるのです。

日本においては、おそらく東京都庁が最後の大規模事業ではないでしょうか。古代ローマや中国の歴代皇帝、あるいは日本の戦国武将たちの建築物と東京都庁を比べ、東京都庁を歴史に残る建築物として評価するかどうかは別です。あれだけ賛否両論の中、当時の鈴木知事がかなり思いきって建築を推進した時、あの建物の芸術的評価はしないものの、子孫に残せる、そして地震や災害にも耐えられるものを造ったことには賛成で、私は鈴木知事に工ールを送りました。

もちろん私としては、もっと日本ならではの伝統文化を誇れるようなものにして欲しかったし、またエネルギーの消耗の見地からも、もう少し大自然を尊重するような姿勢が表れても良いと思いました。

いずれにしても私がここで申し上げたいことは、東京都庁以後、日本は公のものに対し、節約というよりも「ケチる」文化が優先しているように思うのです。中央においても地方においても公共事業がどんどん減らされ、そのような一時的な「ケチる」政策に、マスコミは拍手を送り、国民は票を与えています。「もったいない」精神は節約すべきところと、してはならないことの区別、つまり遣ったお金が生きるか生きないかが基準であって、その時安くてもすぐ壊れて作り直さなければならないものにお金を遣うよりも、子や孫、曾孫の時代まで使えるようなものを作れるかということが、価値基準となるべきです。(続く)

財団法人・修養団発行「向上」(2007年10月号)より転載

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