« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月31日 (木)

国の安全を考える(上)

国家の最も大切な役割の一つは、国民の生命と財産を守ることであることは言うまでもなく、それには国家が安定、安全でなければなりません。そのために通常言われることは、国家の防衛の大切さです。そして更に、国家の防衛を確実にするためには、強力な軍事力が必要とされます。

142_2

私もこの考えを否定する立場にはありませんし、むしろ備えあれば憂い無しという観点から考えると、当然それなりの軍備は不可欠です。しかしどんな巨大な兵力を持ち、最新式の兵器を持ってもそれだけで国は守れません。国を守るということは、ただ国土を保全するというだけではなく、その国の外交、文化活動、伝統の保持、そして国民の生活の向上と維持が同時に保障されるような国策が大切です。そういう意味で近年、日本の国が豊かになったためか、農業及び食料を軽視するような傾向が見られ、私はいささか不安を感じます。

最近では郵政民営化に続き、農協潰しが見え隠れしています。もちろん戦後の食料危機を生き抜いてきた日本の食料確保のために、農協は試行錯誤しながら互助会的精神で国民の食生活に多大な貢献をしました。その過程において、農協は本来の目的を達成したのみならず、大きな力を発揮するようになり、政治に対しても相応の影響力を及ぼす所まで発展しました。

また農協は、このような相互扶助の成果として豊かになり、豊かさゆえ傲慢にもなったことは否定出来ないでしょう。現に私自身、初めて日本人に対し嫌な思いをしたのは、農協の団体が、旅客機内で一杯やったせいか顔を真っ赤にし、片手で爪楊枝を使い、もう片方の手を大金が入っているような腹巻に突っ込みながら、スチュワーデスに「ねえちゃん、ねえちゃん」と呼びかけ、無理難題をふっかける姿を見た時でした。

またアジア各地で昼間から相手の自尊心を傷つけるような買い物をし、香港あたりでは「犬と日本人お断り」の看板まで出され、農協団体は悪い意味で世界的にも有名になりました。

しかしその後、徐々に農家を継ぐ人々が減少し、外国から安い食料が輸入されたり、一方金持ちたちは逆にグルメ志向になって美味しいものばかり求めるようになった結果、地方の過疎化とともに農協の勢いも少しずつ衰えてきています。その上、当時の小泉純一郎氏に代表されるような、都会出身の若手議員が力をつけ、地方出身議員の高齢化とともに力が衰えました。

アメリカや中国などからの圧力により、農産物の輸入も拡大され、農業は営利の立場から見るとますます魅力がなくなってきました。ここがチャンスと言わんばかりに、外圧の方は更に勢いがついています。(続く)

※財団法人・修養団発行「向上」(2008年2月号)より転載

|

2008年1月17日 (木)

健康第一と感謝の気持ち(下)

更に戦後日本の豊かさと科学の進歩により、何事も簡単に手に入り、しかもそれが即席で自動的であり、大した努力や工夫がなくともスイッッチを押したりやコインを入れれば出てくる、という安易さに慣れてしまっています。

新聞やテレビで、自殺者あるいは自殺未遂者、さらには犯罪を起こした人々の話を聞いていると、人生一直線でまっすぐ歩くことしか学んでいなく、険しい道や回り道、そして道のないところに道をつくる勇気と工夫がなくなっています。工夫とは無縁の人生を送っているようです。例えば就職が見つからないからといって自殺する人、自分の思うようにいかず、むしゃくしゃしたから人を傷つけるという衝動的犯罪などです。

そこから私が痛感することは、この国の教育や人々の価値観が、金や目に見えるものばかりに置かれているということです。チベットの諺に「一番優れた指導者は自らの言動を指揮できる人、そして一番金持ちは借金のない人」というものがあります。

現代社会においては、自らの主体性を重視することよりも、ファッションや流行を追いかけ、世論をリードする人々までも、蜘蛛が自らの巣に掛かっているような様子であるのに加え、借金がたくさんできる人、借金がたくさんある人が金持ちであるかのように評価される社会になっています。世界で一番借金の多い国々が金持ちと言われ、そして会社や個人でも借金が借金を生んで大きくなっている時は周囲からも成功者としてちやほやされ、いざその会社が何かの理由でちょっと脱線し、内部矛盾に耐えられなくなって内部から告発されると大きな音を立てて崩れ始め、地面に倒れ落ちた時に初めてその会社や人物の膨大な赤字と借金だけが見えてきます。結果的には社会の純情な人達が被害を被り、それまで英雄扱いされていた人は一晩にして悪人へ転落するのです。

私達は、現実の世界で試行錯誤し、切磋琢磨し、集合離散を繰り返す中で精神的に鍛えられ、肉体的にも成長していきます。仏教では真言を唱えることで、体の中の空気を浄化し、脳に酸素を送り、そして邪念を排除し、集中力を養い、更に五体投地によって健康と強い精神力を身につけていくのです。また五体投地は動物のように自分自身の四肢を地面につけることで、謙虚さをも学べます。そして断食をすることで、飢える事の厳しさから人としての節度と感謝を身につけます。

私は健康で働く場と働ける環境、そしてある一定の財力を持ち、それを感謝する気持ちがあれば、人々もより幸せになり、社会もより健全になるのではないかと思っています。(了)

※財団法人・修養団発行「向上」(2008年1月号)より転載

|

2008年1月16日 (水)

健康第一と感謝の気持ち(上)

最近インド人の大金持ちのインタビユー記事を読みました。そして「金持ちになった人として何が一番大切か」という質問に、彼は何よりもの基本は健康であること、健康が最も大切であると答えていました。そして第二には、努力が必ずそれなりの結果を生むとつけ加えてもいました。別の方のインタビユーでは、努力すれば運が向いてくるという答えもありました。

138_2

私はこの健康の意味について色々考えるようになりました。そのせいか最近は健康という言葉や文字がやたらと目につくようになりました。十一月十二日朝のテレビ番組で、現在日本では年間百二十万人の人が入院し、その中で三十三万人は精神的な病にかかって入院しているということでした。患者達は幻想、幻聴、幻覚などで他人を過剰に意識するようになり、ある青年は人の前で塾の先生から「君は登校拒否しているらしい」と言って欲しくなかったと言って、テレビの前で泣き崩れていました。

健康は体のバランスだけではなく、精神のバランス、特に体と心のバランスが重要であると多少の認識を持っていました。しかし今回の番組を見て、特にそれを痛感しました。私は医師でも宗教家でもありませんので、絶対と言い切れるだけの自信はありませんが、このような精神的なアンバランスに関しては、食事の問題、家庭内における問題、そして外の社会における問題があります。

子供の時からけんかをしたり、仲直りをしたりという成長の中で、自分の居場所や表現方法を学んでいくチャンスが少なくなっていることもその要因のひとつではないかと思います。私が見る限りにおいて、現代の日本の親達は子供に対して、あるいは他人に対して無関心であるか、あるいは異常に関心を抱いて過保護に干渉してしまいます。この両極端にわかれているように思います。

それに加えて我々東洋の精神文化の土壌に合わない西洋的心理学を学んできた、いわゆるカウンセラーと称する人々によって更に状況を複雑化しているようにも思うのです。テレビなどを見ていても、報道の仕方やそこに現われるコメンテーター達は、無理矢理人々の幼児体験などの嫌だったことを思い起こさせたり、あるいは感情というものを、自ら浄化させ押さえることを学ぶよりも、それを逆に浮き上がらせて吐き出す事を勧めているのを多く見うけます。

私は嫌なこと、忘れたいことは忘れた方が良いと思います。例えば人類の歴史において、たくさんの戦いと和平が繰り返されてきました。そしで英語では「Forgive and Forget」という言葉があるように、過去は歴史としてそこから教訓を受けても、いつまでもその過去につきまとわる必要はないと思います。

しかし日本では、先の戦争について加害者の意識を、その戦争と関係のない世代の人々にまで無理やり押しつけ、そしてことあるごとに責任を追求しているうちに、国民全体が重い罪を背負わせられているような気になってしまっているようです。その罪をしばしば儀悔することで自分は良い人、優しい人、平和主義者であると演じているうちに、国民全体が繊細で弱い意識を持つようになり、壊れやすい脆い精神となり、そしてその脆さ故に敏感に反応し、冷静に対応できなくなり、キレやすい精神構造となっているのではないでしょうか。(続く)

※財団法人・修養団発行「向上」(2008年1月号)より転載

|

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »