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2008年2月13日 (水)

私の「大好きなこの国」はどこへ向かおうとしているのか (2)

●アジアの模範国だった日本

町に出歩くときや学校への通学路、出会う人同士はお互いに知らない人でもおじぎや会釈をし、挨拶をするのが当たり前のことであった。特にこの埼玉の毛呂山あたりは当時、兼業農家が多く、学校の先生達でも休暇の時や土日はゴムの長靴を履いて畑仕事をするのが普通であった。私の記憶が正しければ同級生達も家業を手伝っている人は少なくなかった。私の目には日本全体が豊かな生活と高度な技術国家としての目標に燃え、バイタリティーに富んだ社会でとても魅力的に感じた。

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また人々は世話好きで私達留学生を寂しくなる暇が無いくらいに町全体で面倒をみてくれた。風邪をひいて学校を休めば同級生の母親は甘酒を作って飲ませてくれたり、同級生達が帰りに寄ってくれてその日の勉強の内容や宿題のことを教えてくれた。やがて大学生になり居候をさせて頂いた東池袋にある池袋病院では、夜や休み中に奉公をさせてもらい、職場としての現場を体験出来た。 そこでもリネン係や配膳係、保険の点数書きなどをしているうちに、日本人の仕事への倫理観を体得させても貰った。私達留学生は当初ボスの前で特に一生懸命働くことは、ご機嫌をとっているようで格好悪く、自分に与えられた仕事以上のことをやろうとすることもぎこちなく感じたが、日本人の同僚や先輩達はすばやく自分の仕事を済ませ、終わると周囲を手伝い、5時になったからと言って仕事をやめてさっさと帰る人は殆ど無に近かった。仕事を早く終えた人は周囲の手伝いをし、上司から「よいから今日はもう帰りなさい」と言われるまで、周囲に気を遣うことも当然なことであった。その頃私達留学生の間に日本人に対する形容詞は、日本人は親切である、日本人は勤勉である、日本人は礼儀正しい、…などと言って日本人を誉めない人はいなかったと思う。 (続く)

※『正論』(平成20年2月号より転載)

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