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2008年2月16日 (土)

私の「大好きなこの国」はどこへ向かおうとしているのか (5)

私は今、永田町にまだ存在するがらんとした旧社会党の本部を見ながら、自民党の本部前を通るたびに昭和50〜60年代においては本当に日本にも二大政党が存在し、健全な政権闘争を行っていたことを痛感させられた。今の政党は選挙の時も互いに候補者を調整するなどして政党の独立性と存在意義を無視するような行動をとっている。簡潔に言えば二大政党の出現も含めて本来であれば自然の成り行きの中で人間が知恵を働かせ工夫することによって発生してくるものである。自由と平等にしても不自由と不平等があればそれに立ち向かい、戦い、そして獲得していくものである。即ちそれなりの努力と犠牲を払って得られるからこそ価値あるものである。

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しかし残念ながら日本においては自由も平等も二大政党制も全て、誰かにそそのかされ洗脳された人が先頭に立って観念的な幻想が一つの汚染された空気のようなものを作り、それに取り巻かれてしまえばもはやそれしか考えられないような状況になり、変えるべきものも、変えるべきで無いものも、変えることによっ.て生じる様々な問題に対しての対応策も考えず、マスコミがマントラのようにその時、その時、選んだキャッチフレーズに乗ってそれまでの制度や仕組みを破壊することにむきになってきたような気がする。 40年間をふり返ってみると聖徳太子以来、日本人の祖先が知恵を絞り命を賭け汗と涙の代償として得られた全ての崇高なものが、この30年間で破壊されているような思いで大変空しい思いをしている今日この頃である。もしかしたら私自身祖国を奪われ、先祖代々の人々が築き上げてきた全てを失ったから、第2の故郷、憩いの地として得られた日本が過剰に良く見えたのかもしれない。 私にとっては例えば日本人が40年前によく使っていたお元気ですかという時に返す「お陰様で」という答え、勉強が進んでいますかという問いにも儲かっていますかにも答えは「お陰様で」と言う言葉の中に表れる謙虚さと、この言葉の温かい響きが今となっては懐かしい思いであると同時に、日本人の神と自然と他のお陰で生かされていることを示すこの言葉の深い哲学は、もっと世界に知られても良いように思う。 (続く)

※『正論』(平成20年2月号より転載)

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