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2008年3月

2008年3月31日 (月)

中国はチベットに何をしたのか (中)

 四十九年目の決起

 なぜこの時期に騒動が勃発したのか。三月十日はチベットにとって平和蜂起四十九周年にあたる。

 一九五九年三月に、中国チベット軍区の司令部からダライ・ラマ法王を駐屯地に招待したいとの申し出があった。しかし、これまで同じ手口でチベットの高僧や要人が呼び出され、そのまま帰らないという例があったため、申し出を知った民衆が中国の思惑を阻止しようと立ち上がったのである。それが最終的には大きな暴動……チベット側からすれば「決起」に繋がったのである。

 以来四十九年間、チベット人は思いの灯火を消すことなく、三月十日には各地で集会などが行なわれていた。また、ダライ・ラマ法王がこの日に次の一年間の方針を発表するため、中国側も三月十日前後に何らかの動きがあることは当然予想していたはずである。

 特に今回は北京オリンピックを控え、それを政治の道具として使い、チベット支配の正統性をアピールしようとする中国の動きに対する反発が強かった。例えば聖火リレーをチベットのヒマラヤにまで登らせたり、台湾を経由しないと発表したりした。

 また、こんな一例もある。中国の五輪委員会が作成したマスコットは魚、パンダ、カモシカ、ツバメとオリンピックの聖火をイメージしたものだが、そのうちパンダとカモシカは、実はチベットの動物である。多くの日本人は「パンダ=中国」というイメージを持っているが、実際はそうではない。

 このような形で、中国は徐々にチベット支配の既成事実を作っており、チベット人がこれに反発するのも当然のことといえる。

 中国側は今回の暴動について「ダライ・ラマ派が画策した」と言っているが、そもそもダライ・ラマ法王は独立ではなく高度な自治を求めているし、北京オリンピックにも賛成している。オリンピックを開催することによって、中国が世界の一員として責任ある態度を取ることを期待したためだ。

 そのためダライ・ラマ法王は今回の騒乱については、多数の死者が出ていることについては「文化的虐殺が起きている」と中国を非難しつつも、北京オリンピックについては、「国際社会は中国に対し五輪ホスト国にふさわしい対応を取るよう促す道義的責任がある」と強調した。

 しかしチベット人の一部、特に若者のなかには先に挙げたオリンピックの政治利用とも思える動きに対し、「オリンピックをきっかけに、中国はチベット支配を定着させようとしている」と見る向きがあり、中国への反発は高まっていた。

 それに加えて僧侶達の動きもある。昨年十月にダライ・ラマ法王がアメリカ連邦議会から、議会黄金勲章を授与された。この賞はアメリカでは最高の市民栄誉賞であり、ブッシユ大統領は中国の強い反発を受けながらも、ダライ・ラマ法王に対して「平和と寛容の普遍的シンボル」「中国の指導者達に対し、ダライ・ラマ法王を中国に迎え入れるよう要請を続ける」として授与したのである。

 これを受けて僧侶達はダライ・ラマ法王のお祝いをしようとしていたのだが、この動きを察知した中国当局に僧侶のうちの何名かが捕まり、未だに釈放されていない。その釈放要求も今回の騒動に繋がっている。

五輪に大きなダメージ

 果たしてこの騒動が中国にとって吉と出るか凶と出るか。中国は戒厳令に持ち込めると踏んでいるかもしれないが、私は今回、中国は世界情勢の読み違えをしているのではないかと思う。以前は世界がチベット問題そのものを知らず、関心も薄かったが、今では人権活動家ならば誰でもチベット問題を知っている。

 事実、ダライ・ラマ法王が八九年にノーベル平和賞を受賞してからは国際社会への影響力を増しているし、最近では二〇〇七年九月にドイツのメルケル首相と会談。また先ほども述べたように、同年十月には米議会の名誉黄金章を受章し、ブッシュ大統領と会談している。

 各国の政治指導者だけでなく、世界の王族や国際的文化人とも交流がある。イギリスのチャールズ皇太子が北京オリンピックの開幕式を欠席予定なのもチベット問題が理由といわれている。

 今回の事件は、中国の思惑がオリンピックにとっても、中国政府そのものにとっても大きなダメージになったとみて間違いないだろう。

 各国の動きによっては、戒厳令とは逆に中国が態度を軟化させる手をとることも考えられる。軍による弾圧に対する世界の非難の声が高まれば、中国は手のひらを返して対応を軟化させ、チベットに対して世界が驚くような懐柔政策を取ってくるかもしれない。

 常にアメとムチを使い分けるのが中国のやり方であり、中国というのは、民主主義的に考えても理解できないのである。 (続く)

※ 『WILL 』(2008年5月号)より転載

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2008年3月30日 (日)

中国はチベットに何をしたのか (上)

 三月十四日にチベットのラサで起こった反中デモは抗議行動が激化し、武装警察などが鎮圧に当たった。激化した騒乱は周辺地域にも及び、四川省では八人が死亡、青海省の自治州では僧侶約百人が僧院に監禁されたことに反発し、僧院裏の丘に登って花火を打ち上げるなどした。甘粛省の省都蘭州では、学生百人以上が抗議デモを展開した。

 僧侶の中には、抗議のため自決した人もいたようだ。本来チベット仏教では自殺はよくないこととされているのだが、彼らはまさに「決死の覚悟」でその手段を選んだのだ。

 そもそもは武装警察の方が先に民衆の列へ突っ込んできたことが原因である。街中を戦車が走り、当然、威嚇も含めた意味で武装警察は民衆に対して発砲している。「大規模な騒乱」と言ってもチベット人側は石を投げるくらいしかできない。

 ラサでの抗議行動は、初めは小さな集まりだった。中国では五人以上が一カ所に集まることは、“集会”とみなされ、政府に許可を得なければならない。当然三月十日にチベット人が記念行事や集会を行なうことは、中国側は把握していたはずだ。

 このような小さな集まりに対して武装警察が「今すぐ解散しろ」などと言って民衆を棒で殴ったりし、民衆を挑発するようなムードを作っていたのではないかと思われる。

 武装警察とは郡小平の改革以来、人民解放軍を減らして組織されたもので、軍人と警察の間に位置し、国内の反乱や暴動を鎮圧するために存在している。特にチベットの動きに対しては敏感で、今回の混乱においては武装警察の動きに民衆に対する挑発があった可能性も否定できない。

 しかも、オリンピックを控えたこの時期に起こったにもかかわらず、中国政府のチベット管轄当局は「十七日の夜までに降伏すれば容赦する。期限までに投降しない犯罪者は法に従って厳しく罰する」と発表し、「十七日まで待つ」という姿勢を見せた。

 弾圧の前科がある胡錦濤

 犠牲者については正確な数は不明だが、三月十七日の時点で少なくとも五十から百名、場合によってはそれ以上の犠牲が出ているとみられる。

 通常、中国でこのような暴動や軍・武装警察による鎮圧が起こり負傷者が出ても、詳細が発表されるケースは少ない。

 今回は早い段階で中国側に十一名の死亡者が出たとの発表が出された。どうも不自然で、勘繰れば中国側が暴動の激化、拡大を目論み、戒厳令に持ち込もうとしているのではないかとも考えられる。

 なぜなら、この暴動がさらに激化すれば、中国側にとって「好まざる」人物を一網打尽にすることができ、チベットに戒厳令を敷くことができる。となれば、オリンピックの時期に世界各国の人間が中国へ観戦に来たついでにチベットを訪れることも禁じられるし、チベット支援者の出入りを禁じる口実もできるのである。中国にとってはある意味好都合なのである。

 一九八九年の三月にチベットで激しい独立運動が起こった際、当時チベット自治区の共産党書記に就任していた胡錦濤が中央政府からの命令を受けて独立運動を弾圧し、戒厳令を敷いたという前例がある。

 当の胡錦濤は先日の全人代でチベット問題に関し「チベットの安全なくして中国の安全もない」とどちらとも取れるような発言をした。対チベット政策では融和的な態度を取っていた胡耀邦を師と仰ぐ胡錦濤は、解放促進派と慎重派の両方に足を置いているといえる。

 しかし八九年のチベット弾圧で胡錦濤が共産党内で名を挙げたことは事実であるし、チベットにいた頃の部下が今でも胡錦濤を支えている。特に二期目の現在は人民解放軍の支持を得るためにも強硬派にならざるを得ない部分がある。

 これらの点から勘案すると、おそらく胡錦濤は今回も同じ手を使って戒厳令に持ち込もうとしているのではないかと考えられるのである。 (続く)

※ 『WILL 』(2008年5月号)より転載 

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2008年3月29日 (土)

責任について(下)

 今の日本には、政治や社会の問題を見てもだんだんと慎重になり、何もしなければ失敗もすることがないと思い、常に危ない橋は渡らない方が賢明だという選択をする傾向があります。

 私は、患者をたらい回しにしているニュースを見ながら、そのような医師たちに対して腹立たしく思うというよりも同情心を持って見ていました。ひきょう多分それは自分自身の卑怯な行為を正当化する無意識の働きであったのかもしれません。

 そのような時に、私はある諺を思い出しました。「私たちはしたことに対して責任を感じ、悔いることも大切であるが、それ以上に、するべきことをしなかったことに対する悔いと責任の方が重いということを知るべきである」これはマハトマ・ガンジーの言葉だったと思いますが、確かにこの言葉どおりです。私たちは個人としてすべきことから逃げる行為、リーダーとして決断を避ける行為、宗教家としてあるいは言論人として言うべきことを言わなかった勇気のなさなど考えると、すべきことをしてこなかった責任ということも考えるべきではないでしょうか。

 例えば今日本が抱えている食糧問題、過疎化の問題、教育問題、格差問題などを放置していくことは、次世代の人々に対して、これ以上の無責任なことはないでしょう。悪意による意図的なミスに対しては当然責任の追及はしなければなりませんが、善意と誠意に基づく過失に対して無差別に責任追及をしたり訴訟を起こす者に対しては、逆に勇気を持ってこれを是正すべき時期にきているのではないかと私は思います。

 私の新年の誓いは、一教育者としてより積極的に学生たちと接し、教室外の指導にも力を入れ、学生が鞄を持ってくれたら「ありがとう」と言って鞄を渡し、ドアを開けてくれたらこれにも「ありがとう」と言って堂々と胸を張って先を行けるような教員になりたい、というものです。

 すべきことをしなかった悔いよりも、することによって失敗しても改める勇気と知恵を授かるよう願っています。

 つまり今の風潮からすると不人気で頑固な教員ということになるかもしれませんが、誠意を持って厳しく、そして積極的に学生に対応していく決意をしました。最近流行の政治家のマニフェストのようなきれいごとを並べることよりも、抱えている問題を一つ一つ片づけていくことの方が急務であるように思います。

 内閣総理大臣をはじめ、それなりの地位と責任のある立場の方々は、周囲がどう思うかということを気にして風向きを確かめるよりも、それぞれの職務上、今何をすべきか、それが後にどのような結果をもたらすであろうかを考えることが重要ではないでしょうか。それと同時に今しなければならない問題に知恵を出し、勇気を持って取り組むべきではないでしょうか。

 例えば尖閣諸島の領土問題を例にしても、中国の指導者は一つの戦術として問題を先送りしようと提案しながら着実に既成事実を作り、自分たちの目的達成のための行動を取っています。ところが日本の指導者の言動は、自分の政権下においてごたごたした問題を起こしたくないという逃げの策に過ぎないように見えてきます。いつの間にか中国のぺースで物事が進んでいるように見えますが、皆様はどう思われるでしょうか。 (了)

※ 「向上」(2008年4月号)より転載

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2008年3月28日 (金)

報道番組「IN side OUT」(BS11)出演のお知らせ

BS11(イレブン)の報道番組、「IN side OUT」にゲスト出演いたします。

放送日時は、4月2日22:00〜23:00。

聞き手は、国際ジャーナリストの小西克哉さん、毎日新聞論説委員の金子秀敏さんです。

チベット問題にご関心のある方は、ぜひともご視聴願います。


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責任について(上)

 今回は責任ということについて少し考えてみたいと思います。

 今、世の中は責任追及が流行っており、何かがあるとすぐ責任が追求され訴訟を起こされます。そのため多くの人々は本来行うべき職務を放棄し、何もしないことが責任回避の最良の道であると思っているようです。

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患者から訴えられることを恐れて、医療行為を行うことを避けようとする医師や、保護者から訴えられたりクレームをつけられることを恐れて子どもに注意ができない教師などがその代表的なものです。

 特に新人で温室育ちの医師や教員は、訴えられる、怒られる恐怖に怯えてうつ状態になり、引きこもってしまうようです。また、すでにそれなりの地位と名声のある人はもちろんのこと、これから昇進しようと思っている人も、同様に責任逃れのため何もしないことが最善の策と考え、できるだけ面倒なことに巻き込まれないよう逃げ回っているようです。

 実は情けないことでありながら、私自身も昨年十二月、学生とのコンパを早々と切り上げ、さっさと逃げ帰ってきました。しかし数日後からある種の罪悪感を抱き始めました。自分が少年〜青年時代に親身になって接して下さった先生たちや先輩たちのことを考えると、教員としての自分自身が情けなくなったと同時に、人間としての先輩である自分も情けなくなりました。

 最近は若者たちがだんだんと個人主義に走り、コンパなどに参加しなくなったと言います。その理由の一つは、恐らくそのような行事などでちょっとした喧嘩やいざこざが起きた時に、上司や先生、あるいは学校の責任を追及されるため、いつの間にかそのような面倒なことに巻き込まれたくないという潜在意識が働き、子どもたちや部下に対しても積極的なつき合いをできずにいるのではないでしょうか。結局、若者たちに、今まで私たちが伝授されてきた社交術、人とのつき合い方を継承することができなくなってきているように思います。

 そのため、無意識のうちに大人も子どもも気の合う人たちだけで固まり、少人数で行動したり、あるいは一人で好きなことをするようになっています。あるいは逆に、全く知らない集団などに入り込んで浅く一時的に共通の趣味などについて話すだけで、互いに深く議論したり何か一つの真理のようなものを追求しようとしたりするといった面倒なことは避けるようになってきています。

 私の大学生時代はゼミのコンパ、クラブの合宿あるいは同窓会などを通じて社交術を学び、先輩後輩同級生の絆を固める機会が多くありました。それらの集いを通して、自分自身の長所短所を発見しつつ社会の常識、秩序を学んでいたのです。 (続く)

※ 「向上」(2008年4月号)より転載

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2008年3月27日 (木)

活火山化したチベット

 中国チベット自治区で起きたチベット仏教僧侶らのデモと治安部隊による鎮圧は、多数の犠牲者を出す事態に発展した。その数も中国当局とインドのチベット亡命政府の発表に開きがあるが、深刻な民族・宗教問題が欝積(うっせき)している不穏な情勢を露呈した。今回の事件の背景などについてチベット難民として中国からインドに亡命、一九六五年に来日しダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当代表などを務め、現在は桐蔭横浜大学法学部教授のペマ・ギャルポ氏に聞いた。


中国同化政策に強い危惧

 三月十日はチベット人にとって決起記念日に当たる。一九五九年のこの日、中国政府がダライ・ラマ法王(十四世)を呼んで監禁しようとしたのに対し、法王を守るためチベット人が立ち上がった。以来四十九年間、デモは毎年やっており今回が特別ではない。

 ただ、今までと違うのは、昨年十月に米国議会がダライ・ラマ法王を表彰したが、それを祝おうとしたチベットの僧侶を中国当局が逮捕したため、彼らの釈放を要求していることだ。

 もう一つは、北京五輪を中国政府が政治利用して、聖火リレーをチベットから始めるとか、マスコットにチベットの動物(チベットカモシカ、パンダなど)を使うなど支配の既成事実化が顕著になったことだ。そのため今年は軍事力を背景にデモの武力鎮圧に出たのではないか。

 報道では「チベット自治区ラサの暴動が四川省、青海省、甘粛省に飛び火した」との表現がされている。しかし、これら「自治区」や「省」は中国が線引きして付けた行政区画名称であって、チベット人にとってはこれらにまたがる国土がチベットだ。だから私はチベット全土に中国政府への抗議行動が広がったと認識している。

中国政府はチベットに「自治区」という名称を与えて、それがダライ・ラマ法王の求める自治だとしている。表向きは融和を唱えているが、実際は引き続きチベット仏教の信仰に対して宗教弾圧を行っており、寺院に対しダライ・ラマ法王の写真掲示禁止をはじめいろいろと制限を加え、僧侶の活動にもさまざまな監視をしている。青蔵鉄道開通によって便利になったが、現実は中国人がどんどん入ってきて札束をはたいてチベットのものを買収し、観光開発でもチベット人は恩恵を受けていない。これにチベット人の不満がたまっている。

法王は「高度な自治」要求

 法王は高度な自治を求めている。内政・文化・宗教はチベット人に任せてほしいと言っているのだ。それはもともと一九五一年に中国とチベットが結んだ十七カ条協定にある通りだ。チベットの民族の権利、宗教信教の自由、チベットの国語など学校教育発展などが約束されたのに、ことごとく中国は破っている。チベット語は第二外国語化してしまい教科書も中国語だ。高等教育を受けようと思ったら中国語ができないと試験も受けられない。学校では、チベット仏教の伝統的信仰に対して「古い体質にしがみついて改革精神がない」と批判される。法王が「文化的虐殺」と表現したのはまさにその通りだ。

 過去六十年、法王はあくまでも平和解決を求めてきたが、中国が誠意ある態度を示さないのは問題だ。このため、チベット人、特に青年層に中国への不信感が強く、(北京五輪を認め平和解決を求める)法王は甘いという意見も出ている。

 しかし、これは法王の影響力低下を意味しない。チベットの人々も現実を見ながら行動しなければならない。このまま同化政策を推し進められたら、チベット民族の文化さえ守れなくなってしまうのではないかと、法王は非常に危惧(きぐ)している。そこで一つの選択として中国のメンツも重んじるような形で、独立ではなく「高度な自治」にとどめているのだ。

 私はダライ・ラマ法王こそ解決のカギだと思う。(中国体制派の)チベット自治区のシャンパ・プンツォク主席とかパンチェン・ラマ十三世といった方々に対してチベット人は何も思っていないと思う。この人たちはそういう(体制派の)役割を果たさざるを得ない立場に置かれているわけで、その話を聞いて同情しても動くチベット人はいない。影響力はない。中国の自己満足だと思う。

 私はチベット人を代表して中国との関係を担当してきたが、お互いに信頼関係がないことが問題だ。中国は民族自決権を尊重すべきだ。今回の事件の犠牲者数でも中国当局側の発表では十三人(十七日)という。犠牲者といい事の経緯といい中国当局は自分たちの都合のいいことしか発表しない。しかし八十人以上のチベット人が犠牲になった。同じ命ではないか。

国際世論喚起が重要に


 問題はこれからだ。中国政府はチベットを抑えいる軍事的な背景の力でデモをいつでも鎮圧できる。しかし、国際社会は中国の都合のいい発表しかしない姿勢に納得しないだろう。デモがなくなったからこの問題は解決するのではなく、むしろ今後ますます傷口が大きくなって、真実が分かってくると五輪に対する影響も大きくなってくるだろう。今後、中国に対しても場合によっては政治制裁、経済制裁を加えてもよいという国際世論が高まる可能性もなきにしもあらずだ。今のところ国際オリンピック委員会(IOC)が五輪開催の是非をうんぬんすることはないだろうが、選手個々人の中に、自由という普遍的価値を重んじ自分の良心に照らして出場を辞退する人が出る司能性はある。

中国の非人道的非民主的な政策が今後も継続すれば、中国人の常識ある人や新彊ウイグルやその他の地域にも影響するだろう。百の言葉よりも一つの行いを見て人間は行動する。その意味で中国政府は今回の対応を含めて過去の行為を反省しないといけない。

中国に「寛容さ」求めよ

 日本もデモがなくなったから解決したと思わず、むしろ爆発してもおかしくない火山帯の状態にあると見るべきだ。日本は国連常任理事国入りを希望している。ならば今回の出来事に米国および欧州連合(EU)の主要国がそれなりの発言をしている時、どうするかは分かるはずだ。今までより少し関心を示しているのはよいのだが、もう少し中国に対しチベットに寛容になれとか言えるような日本になってもいいのではないか。

 私は今日(十八日)安倍晋三前首相に会って、人権など普遍的価値に基づき、チベット問題にしっかりとした態度を取ってほしいとお願いをしてきた。かつて南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に対して、マンデラ氏支援の国際世論の高まりによって同国に変革をもたらしたが、中国についても国際的な関心と世論がとても大事だ。


※ 「世界日報」(2008.3.19付)より転載

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2008年3月26日 (水)

「チベット大虐殺」でバレた胡錦涛の「思惑」と「誤算」

チベットは本当に中国の一部なのだろうか。

 中国・チベット自治区のラサで起きた大規模な騒乱は青海省、甘粛省、四川省などに飛び火し、日ごとに死傷者を増やしている。

 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所広報担当官のルントック氏は、現在の状況をこう語る。

「ラサ市内はひとまず沈静化しているが、当局がチベット人の家を一軒一軒回り、騒乱の参加者を取り調べている。拘束されれば、拷問でさらに多くの人が殺される。本当に恐ろしいのはこれからです」

 チベット史に詳しい早稲田大学准教授の石浜裕美子氏もこう言う。

「当局に170人が出頭したと報じられているが、それよりはるかに多くの人が行方不明になっている。逃亡したのでなければ、拘束されている可能性が高い」

 騒乱が起きるきっかけとなったといわれる3月10日は、1959年にラサ市民が中国による支配に反発して蜂起し、ダライ・ラマー4世の亡命につながった日。実は今年に限らず、デモは毎年行われていたという。

 それがなぜ、今回に限つて大きな騒乱に発展したのか。チベット出身で桐蔭横浜大学教授のペマ・ギャルポ氏は、こう分析する。

「拘束された僧侶の釈放を求めてデモをする群衆に、当局の軍用車が突っ込んだ。これにより小競り合いが起き、騒乱に発展したといわれている。北京五輪でのテロを警戒する当局は、事前に騒乱をあおることで反抗的な市民をあぶり出し、根こそぎにしようとしたのではないか」

 確かに、北京五輪を前に中国当局は市民への締め付けを強めているといわれる。昨年12月には、北京の著名な人権活動家が外国メディアの取材を受けたことなどを理由に逮捕されている。

 騒乱がここまで大きくなったのには下地があった。チベットでは、日常的に中国政府への不満が渦巻いていたのだ。ルントック氏はこう説明する。

 「ラサ市内には多くの監視カメラが設置され、チベット人は常に見張られている。寺院は政府の管理下に置かれ、僧侶はチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世を批判する文章を書かされます。経済的にも圧迫されていて、ラサにある約-万3千店の商店はほとんどが漢民族の経営。チベット人の店は300店ほどにすぎません。当局は税制を優遇するなどチベットヘの移民を促進する政策を取り、漢民族の数は増える一方です」

 前出のペマ氏によれば、軽犯罪者がチベットに移住させられるという例もあるという。これに加え、北京五輪をめぐってもこんな問題があった。

「チベット自治区内のヒマラヤ山脈を聖火ランナーのコースに入れたり、チベットカモシカを五輪のマスコットキャラクターの一つにしたりと、当局は五輪を『一つの中国』とアピールする政治宣伝に利用しようとしている。こうした動きに対しても、チベット人の不満がくすぶっていた」(ペマ氏)

 中国側の"情報統制"にも、ほころびが出てきた。当初は発砲したことを認めていなかったが、国営の新華社通信が20日になってようやく、「自衛のためにやむなく」発砲したことを認めた。

 「89年のラサ暴動を取材したジャーナリストは、靴にフィルムを隠して情報を伝えた。今はインターネットで、銃殺されたチベット人の写真が全世界に公表されている。いずれ旅行者などが撮影した写真や動画がさらに出てきて、真相が明るみに出るでしょう」(石浜氏)

 もはや、国家による情報操作は通用しない時代になりつつあるのである。

 前出のペマ氏もこう語る。

「日本で常識とされていることも、中国のプロパガンダで歪められているものがある。中国の象徴とされるパンダも、生息しているのは元々チベットだった地域です。本来のチベットは今の行政区分であるチベット自治区に加え、今回デモが飛び火した青海省、四川省、甘粛省のチベット人居住地域も合わせた地域。すべて合わせると、実に中国の面積の4分の1に及びます」

 5月に来日が予定されている胡錦濤国家主席は、89年のラサ暴動を武力鎮圧して出世した人物だ。

※ 「週刊朝日」(2008.4.4 号より転載)

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2008年3月25日 (火)

チベットの哀しみ (下)

 権威、いまだ健在

 中国政府は、今回のチベット騒乱を押さえ込んで正常に戻ったと言っているが、実際にしているのほ、戦車を町に巡回させ、公安当局が疑わしい人物を捕まえることだ。これが世界中に知られれぱ、波紋を呼び、問題となるだろう。チベット族の運動の火山帯は活発であり、今後、どういうきっかけで何が起こるかは予想がつかない。そうならないためにも、中国政府は一日も早くダライ・ラマと真剣に対話すべきだ。

Img089    チベット側に、ダライ・ラマが重視する対話などの穏健路線に不満を持っている人がいるのは事実だ。しかし、最終的にはダライ・ラマに逆らうわけにはいかない。ダライ・ラマの権威は、いまだに健在といえる。

 中国政府はダライ・ラマの悪口を言っているが、もしダライ・ラマに何かがあれば、中国政府は交渉相手がいなくなるということを真剣に考えるべきだ。ダライ・ラマの下で問題を解決できれば、後遺症を残さない軟着陸が可能だ。 

 ただ、中国側との話し合いがうまくいっていないのは、中国指導部のなかに完全に強い人がいないためだ。これまでの話し合いのなかで、かなり具体的な話はできているが、それを実行するには決断が必要だ。その決断ができないから、話し合いを引き延ばしたりするのではないか。 

 もしかすると、中国指導部は現場の状況を把握していないのかもしれない。胡錦濤総書記(国家主席)は昨年秋の中国共産党大会で2期目を迎えたが、彼が力を持てば、チベット情勢は変わるかもしれない。 (了)

※ 産経新聞 2008.03.22付より転載

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2008年3月24日 (月)

チベットの哀しみ (中)

 雰囲気一転 

 私は53年6月、現在の四川省の甘孜チベット自治州で生まれた。父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は、私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私にもあめ玉をくれたりしたことがある。 

 ところが、それがある日、雰囲気ががらりと変わる。子供でも、毛沢東の写真に、傷を付けたりして喜ぶようになった。

 私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが、女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで、摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。 

 それは1958年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か、追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな集団だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたりしたらしい。

Map01    人々の話では、一番つらかったのは、人民裁判で、奥さんがだんなさんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなけれぱならなかった。

 私の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの一人だ。その下の母にはそっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺し、見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。

   80年5月、パンチェン・ラマと北京で会ったとき、一番つらかったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間、独房に入っていたので、私たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。

 チベット全土では、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。

   住職・檀家の関係 

 中国はあれだけ広いのに、北京の時間で国を統一している。チベットと中国は、2時間半から3時間の時差がある。しかし、北京の時間がチベットに適用されているので、チベットではまだ明るいのに、夕食を食べなくてはいけない。これが現実で、いかに北京中心の価値観が押しつけられているかということだ。 

 チベットの面積は中国全体の960万平方㌔㍍のうち、250万平方㌔㍍。チベット人居住地域にはチベット自治区とかチベット自治州とか、「自治」という言葉がついている。 

 チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは吐蕃王朝(7世紀ごろから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。 

 中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは、元の時代である。それから、明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなけれぱ、国民に対して正統性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(中国)とお寺の住職(チベット)の関係だった。

 檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。 

 30年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。その証拠に、日本と中国が戦争したときに、チベット人は中国からかり出されなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍がチベットに入ってきた。 (続く)

※ 産経新聞 2008.03.22付より転載

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2008年3月23日 (日)

チベットの哀しみ (上)

中国のチベット族居住地域で騒乱が続発している。チベット自治区の区都ラサだけでなく、四川省など近隣の各省に住むチベット族も中国当局とぶつかっている。チベット族はいま、なぜ、このような行動に出ているのか。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のアジア・太平洋地区担当初代代表を務めたペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授(54)は21日、産経新聞に対し、中国共産党の支配下に入ったあとのチベット族の悲惨な境遇を振り返りながら、今回の騒乱に至る経緯などを、以下のように説明した。

  チベット族釈放要求 

 今回の騒乱は3月10日から始まった。1959年、ダライ・ラマがインドに亡命することになったチベット決起(動乱)からちょうど49年にあたるこの日、ラサでは僧侶たちが平和的にデモを行った。それが、死者99人(チベット亡命政府発表)を生む騒乱に拡大した。

 中国の温家宝首相はダライ集団が背後で糸を引いた「計画的」な騒乱と主張している。だが、報道された映像をみると、僧侶は素手で店を壊したり、石を投げたりしていた。計画的であれば何らかの武器を持っているはずだ。むしろ、当局側の挑発行為があり、民衆が興奮したのが事実だろう。 

 3月10日のデモは毎年、中国国内のチベット族、海外のチベット人亡命者で行われている。だが、今年はこれまでのデモと違う点が3つあった。

 昨年10月、ダライ・ラマは米議会から「議会名誉黄金章」を受章した。チベットでは祝賀会が全土で行われたが、この際、多くのチベット族が当局に逮捕された。今回のデモは拘束されているチベット族の釈放を求めることが目的のひとつだった。

  五輪を政治利用 

 今年開催される北京五輪のため、中国政府がチベットを「政治利用」していることに対する抗議の意味も強い。聖火リレーがチョモランマ(英語名エベレスト)を通過するのはチベットが中国の一部であることを誇示するためだ。チベット人にとっては、それぞれの山に神がいる。山に登られること自体、抵抗がある。五輪のマスコットに使われているのはチベットの動物であるパンダとチベット・カモシカだ。チベットにおける植民地支配を正当化するために、オリンピックを政治の道具にしている。 

 ラサまでのびる青蔵鉄道の開通により、チベットへの「経済的侵略」が明確になってきたことに対する反発もある。鉄道開通によりコレクターらが文化財である寺院の骨董品や床の石などを買いあさっていく。だから、中国人の店が抗議対象になった。 

  また、チベットは希少金属などの鉱物資源も豊富だ。鉱物資源は青蔵鉄道で運ばれているともいわれている。鉄道は軍事的な目的も大きい。中国はソ連解体時、ミサイルを列車に乗せる技術を入手したといわれている。

 中国政府は五輪開催が近づいてから問題が起きるより、3月10日のタイミングを使って、捕まえるべき人を捕まえようとしたのではないか。そのために、平和的なデモに対して挑発的な行為に出て、騒乱を引き起こしたと考える。 

 中国政府は暴動のシーンを発信することで、「仕方なく騒乱に対処するのだ」との印象を世界に与えようとしたのだろう。だが、チベットには観光客がいた。IT(情報技術)も発達していた。中国が伝えようとしたことと異なる事実が世界に流れた。(続く)

※ 産経新聞 2008.03.22付より転載

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2008年3月19日 (水)

ペマ氏と会談 安倍氏「人権確保に努力」

 中国西部のチベット自治区で起きた騒乱で多数の死者が出ていることを受け、安倍晋三前首相は18日午前、チベット出身 でダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表のペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授と国会内で会談し、「チベットの人々の人権が確保されるよう努力した い」と述べ、騒乱を人権問題として重視していく考えを示した。

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 会談で、ペマ氏は騒乱の状況を説明した上で「中国政府による本当の弾圧はこれからだ。わざとチベット人を挑発して、戒厳令を敷き、なるべく外部の人をチベットに入れさせない魂胆だ」と指摘。「国際社会が関心を示してもらえることは大きな力になる」と強調した。

 安倍氏は「世界の目がチベットに行き届くようにすることが大切だ。世界の報道機関をチベットに受け入れるよう中国側に働きかけていきたい。中国にはオリンピック開催国にふさわしい対応をしてもらいたい」と述べた。

 会談後、ペマ氏は記者団に「民族自決権、人権は世界の普遍的な価値観だ。北朝鮮に対し言えることを中国に対して言えないようなダブルスタンダードがあってはいけない」と政府への要望を語った。

 会談には自民党の下村博文元官房副長官、萩生田光一衆院議員、稲田朋美衆院議員が同席した。

産経新聞 008.03.19 東京朝刊 

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2008年3月18日 (火)

お知らせ

ラサでの血の弾圧が世界に報じられた15日以降、非常に多くの方からアクセスをいただいています。
チベットについて深い関心をいただいている表れと受けとめ、心から感謝いたしたいと存じます。
ペマ・ギャルポは、緊迫の続く現地の状況もあって、ただいま奔走いたしております。
今回の事柄については、あらためて皆様に当ブログでご報告できるかと存じますので、
いましばらくお時間をいただければ幸甚です。(代理)

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2008年3月17日 (月)

中国はいつまでチベット人を傷つけるのか

昭和40年にチベットから来日し、桐蔭横浜大学法学部教授でダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当の初代代表も務めたペマ・ギャルポさん(54)は、チベットでの騒乱について、「チベット人たちの安否が心配だ。中国はいつまでチベット人を傷つけるのか」と怒りをあらわにしている。

ペマさんは「チベツトは歴史的にも文化的にも独立性が高く、これまで中国政府が抑圧的な態度で掌握しようとしたができなかった。今回もあくまでチベット側の暴動というようにしたいようだが、騒ぎが拡大したのは中国公安当局が挑発したのが原因」と引き金を引いたのは中国政府側との見方を示した。その上で「北京五輪が目前だが、中国政府が人権を尊重し、チベット人の権利を認めるまでは、国際社会にふさわしい国とはいえない」と話している。

産経新聞 008.03.17 東京朝刊 

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2008年3月15日 (土)

緊急声明 3・15ラサ抗議行動への武力弾圧について

1959年の3月10日を初めとして、抗議デモなど、中国による侵略に反対するチベット人の意思表示行動は国内外における慣例となっていました。

今年は特に、侵略から49年を経たうえに、青蔵鉄道の完成などで自信を深めたのか、中国による圧制はより強硬さを増しています。

くわえて、中国は北京オリンピックをきわめて政治的に利用しようともくろんでいます。聖火リレーでは神聖なヒマラヤの山河を踏みにじり、五輪マスコット5匹のうち2匹にチベットのものを用いるなどして、チベットが「中華人民共和国」の一部であると世界に示そうとしています。

そうして既成事実を作り、植民地化を正当化しようとしている中国に、チベットは強く抗議しています。

チベット問題には、環境破壊、民族、宗教、民族浄化、資源搾取など、多様な側面があります。しかしながら、一番の問題は「民族自決権」の問題です。

中国は自らの半世紀以上におよぶ支配をなんら反省することなく、北京オリンピックまでに反体制的な人々をすべて監禁し、チベットなど危険地域に戒厳令を発動しようともくろんでいると思われます。それゆえに、政治警察、民兵などが民衆を挑発し、非武装のデモ隊を刺激して過激な行動に誘導しています。

僧侶たちは平和的な手段で抗議しているのにすぎず、死者、負傷者まで出す結果の責任は中国当局にあります。尊い犠牲者たちのご冥福を祈り、今後の事態の推移を注意深く見守りたいと思います。なお、瞬時の出来事については、BBCやCNNの報道をご覧いただくようお願いいたします。

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2008年3月 7日 (金)

9. 中国は噴火寸前

石平 そんな国の東アジア共同体とやらに日本の政治家はすぐ騙される。

ペマ あの騙されている人たちは、市場としての中国を見ているのでしょうが、魚を釣るにはエサがいりますからね。市場はエサです。

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 そもそも昔、日本が言っていた大東亜共栄圏と東アジア共同体とどこが違うのか。

石平 おかしいのは、その同じような東アジア共同体を唱えている中国が、大東亜共栄圏を唱えた日本は悪だとぐちぐちと言っていることですね。
 ところで、チベットの今後はどうなるのでしょうか。

ペマ チベットのアキレス腱はダライ・ラマ法王の寿命です。ですから中国共産党が崩壊するのとどちらが早いかという時間との闘いです。
 今年、法王は七十三歳になられますが、大変お元気です。しかし、法王がおられなくなったら、チベットをまとめ上げ、世界に向けてインパクトを与えることができる人がいなくなります。
 私が中国政府によく言うのは、「ダライ・ラマ法王は問題ではなくて、問題を解く鍵だ」ということです。もし例えば、法王に何かあれば、チベットはインド派ができたり、アメリカ派ができたりとバラバラになります。中国もそれは恐れています。
 それから中国が抱える内部矛盾の問題があります。今までの中国の歴史を見ると、すべて中国は外からではなく、内から腐敗しています。農民問題を中心とする格差問題、軍閥の問題、地方閥の問題があります。チベットやウイグルを押さえるために中国は莫大なカネをかけています。
 チベットに置いている軍隊は公式では二十七万人ですが、実際には正規の軍隊以外も入れると五十万人はいます。それを維持しなければならない。
 これだけのカネをかけていることについて、今、豊かになっている本来の中国にいる人々が、果たして我慢できるでしょうか。なぜ我々の税金でそんなところにカネをかけるのか、という不満が必ず噴き出すでしょう。

石平 では中央政府がこのまま弱体化すると、チベットに軍隊を置いておくこともできないということですね。

ペマ 私は北京政府にはもう選択の余地はないと思っています。まず、除々に民主化していくということです。その場合、いきなり民主化すると大混乱に陥るので、民主社会主義的な要素を取り入れて、除々に民主化する。
 それから、一億人以上の人口がいる国で連邦制を採っていないのは日本と中国くらいです。ですから、連邦制のようなものを実現していくということです。
 これらを行わずに今の体制のままで突き進むと、転覆するしかないと思います。その転覆はチベット人などが起こすのではなく、中国人自身が起こすことになる。それは農民かもしれないし、特定の宗教団体かもしれませんが、チベット人などは後に加勢するくらいの役割でLよう。いつでも火を点ければ爆発する噴火寸前の火山帯のようなものです。

石平 中国経済はもう頭打ちの状態になりつつあります。そして現在、経済成長している最中でも、大量の失業者が出ている。いったん中国の経済が停滞すれば、もっと大量の失業者が出て暴動が起こるでしょう。  
 その時、ペマ先生が言われたようなソフトランディングの方法が一つはあります。しかし、その一触即発の時こそ、まさに大帝国的、ファシズム的になり、周辺諸国になりふり構わず侵略する。それを日本は地政学的に避けることができません。

ペマ 一九七〇年代に中国が外国に留学生を最初に送った時、鄧小平は中国にはたくさんの人口がいるから、千人のうち一人帰ってくればいいと言いました。実際には四〇パーセントの人が帰ってきています。この四〇パーセントの、外の自由な民主主義の空気を吸って帰ってきた人たちが、今、日本で言えば部長クラスになっています。
 中国に何かが起こってこの人たちが中央政府から命令をされた場合、彼らは今までの中国人のようには動かないと思います。また、彼らとネットワークしている海外にいる中国人がいる。日本にもアメリカにも七万人程度いますが、彼らが内部の人たちを養っているので影響力は大きい。
 法輪功を取り締まれという中央政府からの命令に対しても、彼らは一度では動きませんでした。二度、三度とお達しがあってもなかなか取り締まらないわけです。
 中国は一党独裁であっても、このような乱れが出ています。つまり統制しきれていない。これがますます、今後、乱れていく可能性が高い。そうなった時にオリンピック、あるいは万博を一つの境にして、変わると思います。
 いい方向に変わるか、悪い方向に変わるかは、周りの国々も含めて、それぞれがどういうふうに中国に関わるかによって違ってくる。

石平 ペマ先生の言われるように、いい方向に変わる可能性もあります。では誰が中国をいい方向に変わらせるのかと言えば、アメリカと日本です。特に日本の役割は大きい。
 日本は常に「中国が中華帝国的な侵略行為に出るのであればこれを断固、阻止する」という明確なメッセージを出さなければなりません。すでに尖閣諸島の問題で中国の第一歩は出ています。ここで既成事実を作られれば、最後は日本省になってしまうのです。

ペマ 周辺諸国のためにも、日本の役割は大きいと思います。ですから私たちが中国に騙された歴史を教訓にして欲しいですね。

(了)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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2008年3月 6日 (木)

8. 台湾の次は沖縄だ

石平 問題は日本人は中国のこのような実態を知らないし、知っていても自分たちの身には及ばないと思っていることです。
 領土の話で言えば、台湾が自治区になれば、次は沖縄。沖縄が自治区になれば、次は本土です。

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 中国の実体経済はすでにかなり衰弱していて、今、経済を支えているのは外国の投資です。海外輸出も頭打ちの状況ですから、オリンピック後にいつ破綻するかわからない。すると中国はどうするか。
 内部の破綻を、外部を侵略することによって取り戻すしかありません。

ペマ ただ中国は、チベットやモンゴルやウイグルについて、精神的にはまだ中国だと思っていないという現実もあります。例えば中国共産党の幹部学校の卒業式では、そこで初めて赴任先を告げられる。チベットに行けと言われた卒業生は夜の飲み会になると、みんな泣くのです(笑)。たいていはコネがなくて、貧乏くじを引くことになった人たちです。
 ですから対外的には五十五の民族がいると言っているけれども、実際には植民地か属国くらいにしか思っていません。
 しかし最近では政治犯以外の軽犯罪者は、チベットなどの自治区に志願すれば、刑を免除されます。するとガラの悪い元犯罪者が国からの融資をもらって、自治区に定着していく。かつてのオーストラリアのようなものです。そうして現地の住民よりも中国人の人口を多くするという政策です。内モンゴルは完全に中国人のほうが多くなりましたし、チベットも場所によっては申国人のほうが多くなってしまいました。

石平 そういう意味でもあの青蔵鉄道は、チベット滅亡への序曲ですよ。

ペマ まさに、先ほどから出ている近くの者から麻薬を打つ手法です。チベット省、ネパール自治区への第一歩でしょう。ですから私は常々日本政府に、ネパールの王室を支援するようお願いしてきました。国王も皇太子もよい人物ではありませんでしたが、王室があることで何かが起こった時に民族の求心力が高まるからです。
 日本はこういう問題に疎く、東アジア共同体などと言っていますが、マレーシア、インドネシア、タイ、カンボジア、ラオスにどれだけの華人、華僑がいるかということです。そして誰が経済を握っているか。これは目に見えないもう一つの中華思想のテリトリーです。

石平 なりふり構わぬ戦術ですね。

ペマ インドは少し違って多様性の中の統一性というものを目指しています。しかし中国は統一、同化ということが第一義です。
 細かい政策で言えば、チベットに対して次のようなことを行いました。チベットの伝統的な服は、布団に帯をしたようなもので、帯をとると、そのまま布団にして眠れるようになっていました。そこで中国は長い間、その伝統衣装を作るために必要な長い生地を売らないようにした。着物を短くせざるを得ないようにしたのです。そうすることによって、少しずつ中国の着物に似てくるからです。中国はそういうふうにして、文化や宗教の本来の意味や価値をわからないようにしていきます。
 私はいつも思うのですが、日本軍が中国に対して残虐行為を働いたなどと中国は言いますが、日本人に中国人の言うような残虐行為を行う発想はありませんね。あれは自分たちがやったことではないでしょうか。腹を割き、胎児を引きずり出したりする習慣は日本にはありませんよね。

石平 全くその通りです。恥ずかしながらあれは我が漢民族の習慣です。そして、日本軍が残虐行為を行ったということにして、自分たちの罪を消そうとしたわけです。

ペマ 実際、チベット人に対して中国人は残虐行為を働いてきました。例えば女性を拷問にかける時に、下から唐辛子の煙を立てて、女性の陰部に棒を突き立てたりしています。そして竹の先を割ったもので乳房を引き裂くようなことをする。

石平 文化大革命の時ですか?

ペマ その前からです。文化大革命の実験という位置づけでしょう。今はすべて文化大革命が悪かった、自分たちも同じように大変だったということにしてしまおうというスタンスですが、その前があった。

石平 文化大革命の時は肉体的に支配しようとしましたが、今は精神的、文化的に支配しようとしているのではないですか?

ペマ もちろんそうです。今はある程度の経済的、宗教的自由を与えて、支配しようとしています。しかし、宗教的自由というのは本当はありません。なぜなら布教活動ができない。

石平 それはもう宗教ではないですね。

ペマ 布教活動はできないけれど、儀式はできる。そうするとますます宗教の意味がなくなってくるのです。

石平 中国の五十五の民族の大半は、今、自分たちの文化を持っていない。

ペマ 五十五の民族というのは実態がなくて、カモフラージュなんですよ。例えば中国には共産党以外に七つの政党が存在すると言いますが、あれは皆、共産党からカネをもらっています。それと同じように、チベットやモンゴルやウイグルを小さく見せるために、五十五の民族を作っているわけですね。

石平 おかしいことに、それらをさらに中華民族というものの中に入れますね。もともとどこにも存在しない中華民族というサラダボールの中に、漢族、チベット族、モンゴル族と入れた。さらに、これから武力行使でどこかの国を獲れば、それはまた中華民族というサラダボールに入れられます。

ペマ さっきから石さんが、「チベット族」と言うでしょ? それも長い問の同化政策で刷りこまれたもので、私たちからすれば「チベット人」です。

石平 そうだ。チベット人ですね。確かに日本族とは言わないですからね。

ペマ 一度、中国の人民画報に「残留孤児」を「大和族」と書かれたことがありました。私はすぐに、「日本の皆さん、おめでとうございます。これでやっと私たちと同等になりましたね」と書きました。もちろん皮肉です。すると撤回しましたね(笑)。

(続く)

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2008年3月 5日 (水)

7. 松下幸之助も取り込まれた

石平 このような歴史が何を意味するかと言うと、チベットが自治区でなくなる日には、ネパールやパキスタンが自治区になるということです。

ペマ そうなります。その前触れとして、マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)があります。当初から中国は「マオイストとは無関係」「毛沢東の名を汚す」と言っています。しかし、私は昨年ネパールに行って取材してきましたが、マオイストの人たちは時代錯誤もいいところですが、文化大革命当時の毛沢東のバッジをつけているのです。

石平 なつかしいですね。

ペマ マオイストのような人たちを活動させるような環境を中国は作ります。
 例えば、昔、松下幸之助さんの著書で「中国共産党のような国は絶対に認めない」という文章を読んだことがあります。また、笹川良一さんもはっきりと「自分は蒋介石に恩を感じているから共産主義などとんでもない」と言っておられました。しかしその二人とも、中国がうまく取り込みましたね。
 どういうふうに取り込むかというと、松下さんや笹川さんのような方にお金を渡しても仕方がないので、名誉を与えるのです。松下幸之助さんの場合で言えば、鄧小平は松下さんが書いた本をたくさん取り寄せて読み、松下さんが訪中した際に「あの本は素晴らしかった」などと言う。すると松下さんは「そうか!」といい気分になるわけです。
 笹川さんの場合は、彼はA級戦犯です。靖国神社にはA級戦犯が祀ってあるということで中国は首相参拝に内政干渉しているはずです。しかし、笹川さんから援助を受けているとは何も言わない。そういうところはきちんと使い分ける。戦術的なことが中国はとても上手い。
 今、中国は十三億の市場と労働賃金が安いということをエサに日本からの投資を引き出しています。しかし、きちんと調べるとよくわかると思いますが、たくさんの日本人が中国の刑務所に入っています。どういう人たちが刑務所に入っているかというと、皆、成功した人たちです。
 成功すると税金を払わなければなりません。その税金の支払いでもめたりすると、別件逮捕する。その人の名誉にかかわるような罪、例えば女性絡みなどで逮捕します。すると家族も表だって騒げません。しかし、これについて日本人は全く知らない。もっと知るべきです。
 私は中国の学生に、「中国は経済発展していると言うが、これは清朝末期と同じ状況なのではないか」と言っています。中国の経済は、日本やユダヤなどの経済植民地になっているのではないか。その状況の中で得をするのは、幹部の子どもだけです。
 一般の中国人の唯一の利益は、外国の工場ができればそこで働けるということです。しかし、そこで働けば働くほど、毛沢東以来やってきた農業の自立は失われます。
 ですから私は、今の中国は遅かれ早かれ、大きな変化が必ず来ると思っています。アメリカやヨーロッパはその変化を誘導しようとしています。
 アメリカやヨーロッパはかつて東ヨーロッパに行ったことと同じことをしています。一方では外交関係において少しずつ圧力をかける。他方においては、莫大なカネをかけて民主化を支援しています。日本はそれに乗り遅れています。日本はそこを注意しなければならない。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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2008年3月 4日 (火)

6. 狡猾な”麻薬”戦術

石平 でもチベットのようにやられてしまったら、免疫が出来ても遅いですよ。

ペマ そうですね。中国に対していちばん免疫を持っているのはベトナムですね。

石平 そう、ベトナムは中華帝国に反抗することでアイデンティティーを保ってきた国です。

ペマ インドも少しは免疫が出来てきたし、韓国も北朝鮮も出来ましたね。最近の世論調査では、中国人のいちばん嫌いな国の一位は韓国です。なぜかと言えば、韓国や北朝鮮は長い歴史の中で絶えず自分たちの独立を維持するために、中国と戦ってきた歴史があるからです。
 先日、盧武鉱大統領が北朝鮮を訪れた時に金正日が、「朝鮮戦争を終わりにしたい。そして中国を抜きにしてアメリカと直接交渉したい」と言いましたね。「なるべく中国に借りを作りたくない」という、長年、中国と接してきて彼らが得た教訓です。
 残念ながら日本はまだ中国に痛い目に遭わされていないから、わからないのだと思いますね。でも本当は
すでにもう日本のあらゆる部分が麻薬を打たれたような状態ではあります。

石平 今、麻薬の話が出ましたが、昔、漢民族は黄河流域にいましたが、どんどんとその領土を広げています。その方法が麻薬を打っていくというものです。まず、いちばん近い者を懐柔する。つまり麻薬を打つ。例えばチベットに対しては、先ほど出たように給料を払うとか鉄道を作るということが麻薬です。

ペマ もっと遡れば、七世紀から九世紀のチベットはとても人口が多く、強い国でした。その時、明朝はチベットに軍隊を送るよりも僧のスポンサーになることを考えた。そしてチベットの僧に大師という称号を与えたため、チベット人は喜んで人ロの二五パーセントが僧になりました。すると、その二五パーセントの男性は結婚しません。そのうえ、どんどん平和主義になりました。
 それまでチベットは騎馬民族ですから、戦車もない時代には非常に強い国だったわけです。しかし僧が増えて平和主義になり、軍事力は衰退した。これが中国の麻薬、智恵です。

石平 そういうのはうまいんですよ、我が漢民族は(笑)。そうしていちばん近い者に麻薬を打って懐柔します。そして遠い国を外臣国と認定します。形だけ中華帝国に服従していればよくて、その代わりに莫大な援助を行います。
 今、中国には自治区がたくさんありますが、あれは自治がなくなってから自治区となります。

ペマ そうですね(笑)。

石平 貴州省や雲南省などは昔、いろんな民族が住んでいた場所です。それを外臣国、次は自治区として形だけ朝貢していればよいとします。しかしだんだんに軍を派遣し、既成事実を作って占領し、自治区ではなく省とする。
 ですから順番としては漢民族に近い貴州を獲り、貴州を獲ったら雲南を獲り、雲南を獲ったらチベットを獲る。こうして広がっていくわけです。今、チベットは自治区ですが、あと十年経ったら自治区ではなく、省になってしまう。

ペマ 今の青海省はほとんどがチベットの領土でしたし、雲南省にもチベットの自治県が三つほどありました。
 そもそも、中国は我々を少数民族だと言いますが、彼ら億単位の人口に比較すると少数であるだけで、世界の人口で考えると、六百万人といえば世界中の国々の半分より上の人口を持つ国です。しかし中国は既成事実を作ってどんどんと中国だと認めさせるのです。
 私が頭にきているのは、アメリカは日本を同盟国だとしていますが、最近のペンタゴンの文献には尖閣諸島を日本名で書いた後にスラッシュ(/)を引いて、中国名を書いています。中国はこういうところから少しずつ既成事実を作り、後に「前からこう書かれているではないか」と言い張ります。
 このような中国人のやり口に負けた原因の一つは、私たちチベット人にあるということを反省しています。あまりにも仏教を信仰しすぎました。僧を大事にしましたが、その僧こそが中国から肩書きをもらい、寄進してもらい、どれだけ立派な寺を建てたかを競うようになってしまった。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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2008年3月 3日 (月)

5. 台湾の次は日本を獲る

石平 これは日中関係にも重要なことだと思います。
 一九五〇年代、中国にとって、いちばんの友好国はインドでした。その友好関係を使って、戦略的にチベットを獲る。インドの協力がなければチベットを獲ることはできないからです。しかし一九五九年になって、完全にダライ・ラマを追い出すことに成功し、チベットに対する支配を完全にしてからは、インドを獲りにいくわけです。

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ペマ そうですね。

石平 日中関係もまさに同じ構図ですよ。例えば今は、日本に対して微笑外交をしている。それはまさにこれから台湾をチベットのように支配下に入れるためには、日本の協力、あるいは妥協がなければならないからです。日本を懐柔して台湾を獲った後は、日本を獲りに来るということを歴史が教えています。

ペマ しかし日本はそこまで見ていませんね。今回の福田首相の訪中でかろうじて評価できるのは、温家宝首相が福田首相の言葉を平気で「台湾の独立を支持しない」というふうに意図的に変えて発表した時、福田首相は即座にうまく改めました。
 中国はこうやって既成事実を作っていく国です。あの時、福田首相が黙っていれば、「日本は台湾の独立に反対した」と言われるようになる。そうやって我々チベット人もインドも、既成事実を作られ、騙されてきました。
 日本にとって中国は隣国ですからつきあわざるを得ませんが、それはあくまでも対等、平等の原則をもってのつきあいであるべきです。
 今の日本の外交はチベットの諺で言うと、「灯明に蛾が飛びつく」だと言えます。つまり、目先の利益に飛びついて結局、死んでしまうということです。日本人は中国のマーケットの魅力しか見ていない。しかし、中国は一晩で全てのカネを没収する可能性もある体制なのです。
 もう一つ、小泉元首相は靖国神社参拝を前倒しして八月十三日に行いましたが、あの参拝を十五日に行っていれば問題はすべて解決していたと思います。それを前倒ししたため、これならまだ「行くな」と言うことができると中国は思った。
 我々の経験から言うと、中国はある程度、力を崇拝します。そしていつも脈を見ていて、ここまで行ける、もっと行けると考える。

石平 そうしながら相手に幻想を抱かせますよね。譲歩したらいいことがある、もっと譲歩したらもっといいことがあると。

ペマ そう。それから相手の中に入って自分の味方を作ります。我々が中国に交渉に行く時、勉強するために二週間ほど早く現地入りします。その時、中国は案内をしながら、誰を懐柔すればよいかというのを見極めている。毎晩、我々が何を話したかを全て書き留めて、それを分析し、その分析を元に分断工作をします。

石平 おそらく訪中した日本の国会議員は全員やられていますね。

ペマ そうです。そして、競争心を煽るために差をつけます。

石平 まさに先日、日本がやられましたね。まず、小沢一郎民主党代表を北京に呼び、感動させた。感動した小沢民主党代表は中国に対する「朝貢外交」を恥ずかしげもなくやってみせた。すると、後から訪中した福田首相は、小沢代表以上の友好姿勢を示そうということになり、キャッチボールして見せたりする(笑)。こうして中国は懐柔していく。
 その中国の鍛え上げられた罠に、与党と野党のトップがまんまと引っかかるというのが今の日本です。一人も見識ある議員がいないのか。

ペマ まだ日本は免疫ができていないですからね。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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2008年3月 2日 (日)

4. 解放軍「侵略」の歴史

石平 ここで確認しておきたいのですが、中国の断続した歴史の中で、チベットは中国の行政下に入ったことは一度もないのですか?

ペマ 一度もありませんね。それを示すのによい例があります。チベットでは昔、中国からの大使のような役職のことを「アンバン」と呼んでいました。漢字では「駐蔵大臣」と書きます。中国の文献を通して研究する日本の学者は、これを勘違いして、駐蔵大臣を「駐チベット総督」のように訳し、中国もそのような権限があったと説明しているのですが、それは全く違います。
 ダライ・ラマ法王への謁見も何日も前から申し込まなければならなかったし、英国の代表と中国の代表のどちらを上に座らせるかということで抗議を受けた記録文献もあります、そういう意味で駐蔵大臣は単なる大使、代表にすぎなかった。

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石平 直接の行政支配はなかったということですね。

ペマ 一九五〇年までは、チベット人は中国に対して税金を払ったことはありません。しかし、五〇年に中華人民解放軍がチベットを軍事制圧します。そして五一年に、中国とチベット政府は「中央人民政府と西蔵地方政府の西蔵平和解放に関する協議」(十七カ条協定)を締結し、チベット全域が中国の実効支配下に組み入れられ、その後、ダライ・ラマ法王は北京で憲法を作る時に全人代に出席しています。
 それ以後、中国はチベット人から直接、税金を取っていませんが、逆に役人に給料を支払っています。この給料をもらったことはまずかったと私は思っています。

石平 つまり、チベットが中国の実効支配下に入ったのは、人民解放軍が入ってきたからだということですね。軍隊を派遣して他国に入り、自分たちの国の一部だとする。それは明らかに侵略です。

ペマ その通りですよ。いわゆる十七カ条協定も国際法に照らし合わせると非合法的な条約です。なぜならば、チベットの全権大使は印鑑を持っておらず、中国が用意した印鑑を押したんですね。
 残念なのは一九五六年にダライ・ラマ法王がインドに行った時、あの条約は押しつけられたものだと言えば国際的に反論するチャンスでしたが、それを言わなかった。ダライ・ラマ法王には、中国となんとかなるだろうという期待感があったのでしょう。

石平 今の日本と同じですね。

ペマ そうです。その期待感で、条約を批准していないと訴えるチャンスを逃してしまいました。チベット問題は一九一一年から国連に提訴していますが、この間、国連は三度の決議をしています。中国軍の即時撤退、チベット人の人権の回復、平和的な解決の三つです。しかし何も進まない。
 インドの初代首相であったジャワハルラール・ネルーと周恩来は「平和五原則」を掲げてアジアの発展を目指していたため、国連でチベット問題を取り上げると欧米が介入してくることを恐れたということもあります。インドが仲介すると言っていたわけです。
 しかし一九六二年に中国軍がいきなりインドに入ってきて、ネルー首相は命を縮めることになりました。それからインドと中国は二度にわたって交戦することになります。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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2008年3月 1日 (土)

3. 私もペマ先生も騙された

ペマ 中国は力がない時は、耳障りのいいことを言うのが常ですね。一九七七年に鄧小平が三度目の復活をしました。その時は中国経済をなんとかして立て直さなければならない状況でしたから我々とも一時、停戦しなければならなかった。ですから私は一九八○年に三カ月間、チベットの代表として北京政府の招待で中国とチベットに行きました。

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 当時、胡耀邦がやっと総書記になったところでしたが、彼は「独立という言葉以外はなんでも話し合いましょう」と言いました。さすがに公式の場では言いませんでしたが、食事の場などで、「我々は連邦制を研究している。新しい憲法を作るので案を出してくれ」と言っていました。私はそれを信じて連邦制の素案まで作りました。その素案の情報を産経新聞が聞きつけて、「中華連邦構想」として当時の産経に大きく掲載されました。ですが、私は産経新聞に文句を言ったのです。「中華」では困る、「中華・中央アジァ連邦構想」としてもらわないと、と。
 ところが、一九八二年になって実際に憲法を改正する時には、中国から呼ばれもしなければ何の連絡もありません(笑)。つまり、中国は時間稼ぎの時の作戦として、譲歩するかのように見せたりしますが、絶対にその通りにはならない。

石平 尖閣諸島についても、日本の援助が必要な時には棚上げしておいて、日本の援助が必要でなくなると自分たちの領土だと言い始める。そして軍艦も出す。
 私は中国共産党に小学生の時から騙されてきましたし、ペマ先生も先ほどのお話のように騙された。日本も同様に騙されているわけです。

ペマ それは中国共産党だけではなく国民党も同じで、中華の思想なのです。孫文が中国にとって偉大な人だったことは認めますが、周囲にとってあれほど迷惑だった人はいません。
 中国の歴代皇帝とダライ・ラマとの関係は、お寺と檀家の関係と同じだと言えます。ですから中国のほうから毎年、チベットに絹などの贈り物をおくってきていた。元朝以来、歴代の中国皇帝は、ダライ・ラマに貢いだわけです。中国皇帝はそうして、ダライ・ラマから権威を与えてもらった。そういう意味で、お互いに補い合ってきました。
 元も清もいわば満州、モンゴル、チベットの連合政府です。元朝というのはどう考えても中国ではありません。モンゴルが中国を植民地にしたというのが真実です。清朝も同様です。
 中国にはメンツがありますから、孫文はこのように多数である中国人が少数民族によって押さえられてきた歴史を、中華という概念で変えようとした。つまり、ずっと中国という国が続いてきたかのような歴史を描こうとしました。孫文に必要だったのは、自分たちの民族の誇りを取り戻すことだったからです。
 日本人は中国五千年の歴史などと言いますが、中国の歴史は途切れています。中国大陸の歴史は五千年でしょうが、王朝は次々と変わり、途切れている。日本と同じように一つの国の歴史として語ることはできません。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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