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2008年3月28日 (金)

責任について(上)

 今回は責任ということについて少し考えてみたいと思います。

 今、世の中は責任追及が流行っており、何かがあるとすぐ責任が追求され訴訟を起こされます。そのため多くの人々は本来行うべき職務を放棄し、何もしないことが責任回避の最良の道であると思っているようです。

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患者から訴えられることを恐れて、医療行為を行うことを避けようとする医師や、保護者から訴えられたりクレームをつけられることを恐れて子どもに注意ができない教師などがその代表的なものです。

 特に新人で温室育ちの医師や教員は、訴えられる、怒られる恐怖に怯えてうつ状態になり、引きこもってしまうようです。また、すでにそれなりの地位と名声のある人はもちろんのこと、これから昇進しようと思っている人も、同様に責任逃れのため何もしないことが最善の策と考え、できるだけ面倒なことに巻き込まれないよう逃げ回っているようです。

 実は情けないことでありながら、私自身も昨年十二月、学生とのコンパを早々と切り上げ、さっさと逃げ帰ってきました。しかし数日後からある種の罪悪感を抱き始めました。自分が少年〜青年時代に親身になって接して下さった先生たちや先輩たちのことを考えると、教員としての自分自身が情けなくなったと同時に、人間としての先輩である自分も情けなくなりました。

 最近は若者たちがだんだんと個人主義に走り、コンパなどに参加しなくなったと言います。その理由の一つは、恐らくそのような行事などでちょっとした喧嘩やいざこざが起きた時に、上司や先生、あるいは学校の責任を追及されるため、いつの間にかそのような面倒なことに巻き込まれたくないという潜在意識が働き、子どもたちや部下に対しても積極的なつき合いをできずにいるのではないでしょうか。結局、若者たちに、今まで私たちが伝授されてきた社交術、人とのつき合い方を継承することができなくなってきているように思います。

 そのため、無意識のうちに大人も子どもも気の合う人たちだけで固まり、少人数で行動したり、あるいは一人で好きなことをするようになっています。あるいは逆に、全く知らない集団などに入り込んで浅く一時的に共通の趣味などについて話すだけで、互いに深く議論したり何か一つの真理のようなものを追求しようとしたりするといった面倒なことは避けるようになってきています。

 私の大学生時代はゼミのコンパ、クラブの合宿あるいは同窓会などを通じて社交術を学び、先輩後輩同級生の絆を固める機会が多くありました。それらの集いを通して、自分自身の長所短所を発見しつつ社会の常識、秩序を学んでいたのです。 (続く)

※ 「向上」(2008年4月号)より転載

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