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2008年3月 2日 (日)

4. 解放軍「侵略」の歴史

石平 ここで確認しておきたいのですが、中国の断続した歴史の中で、チベットは中国の行政下に入ったことは一度もないのですか?

ペマ 一度もありませんね。それを示すのによい例があります。チベットでは昔、中国からの大使のような役職のことを「アンバン」と呼んでいました。漢字では「駐蔵大臣」と書きます。中国の文献を通して研究する日本の学者は、これを勘違いして、駐蔵大臣を「駐チベット総督」のように訳し、中国もそのような権限があったと説明しているのですが、それは全く違います。
 ダライ・ラマ法王への謁見も何日も前から申し込まなければならなかったし、英国の代表と中国の代表のどちらを上に座らせるかということで抗議を受けた記録文献もあります、そういう意味で駐蔵大臣は単なる大使、代表にすぎなかった。

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石平 直接の行政支配はなかったということですね。

ペマ 一九五〇年までは、チベット人は中国に対して税金を払ったことはありません。しかし、五〇年に中華人民解放軍がチベットを軍事制圧します。そして五一年に、中国とチベット政府は「中央人民政府と西蔵地方政府の西蔵平和解放に関する協議」(十七カ条協定)を締結し、チベット全域が中国の実効支配下に組み入れられ、その後、ダライ・ラマ法王は北京で憲法を作る時に全人代に出席しています。
 それ以後、中国はチベット人から直接、税金を取っていませんが、逆に役人に給料を支払っています。この給料をもらったことはまずかったと私は思っています。

石平 つまり、チベットが中国の実効支配下に入ったのは、人民解放軍が入ってきたからだということですね。軍隊を派遣して他国に入り、自分たちの国の一部だとする。それは明らかに侵略です。

ペマ その通りですよ。いわゆる十七カ条協定も国際法に照らし合わせると非合法的な条約です。なぜならば、チベットの全権大使は印鑑を持っておらず、中国が用意した印鑑を押したんですね。
 残念なのは一九五六年にダライ・ラマ法王がインドに行った時、あの条約は押しつけられたものだと言えば国際的に反論するチャンスでしたが、それを言わなかった。ダライ・ラマ法王には、中国となんとかなるだろうという期待感があったのでしょう。

石平 今の日本と同じですね。

ペマ そうです。その期待感で、条約を批准していないと訴えるチャンスを逃してしまいました。チベット問題は一九一一年から国連に提訴していますが、この間、国連は三度の決議をしています。中国軍の即時撤退、チベット人の人権の回復、平和的な解決の三つです。しかし何も進まない。
 インドの初代首相であったジャワハルラール・ネルーと周恩来は「平和五原則」を掲げてアジアの発展を目指していたため、国連でチベット問題を取り上げると欧米が介入してくることを恐れたということもあります。インドが仲介すると言っていたわけです。
 しかし一九六二年に中国軍がいきなりインドに入ってきて、ネルー首相は命を縮めることになりました。それからインドと中国は二度にわたって交戦することになります。

(続く)

□ Will-2008年3月号より転載 □

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