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2008年4月

2008年4月28日 (月)

神秘の国チベット 弾圧の中での青春

亜細亜大学新聞 昭和47年5月15日付

ペマ・ギャルポ君、彼は一九五三年六月八日チベットカンム地方ニャクルングに十二人兄弟の三男として生まれた。昭和四十年十二月日本に来てから、毛呂山中学校・飯能高校を卒業し、今年本学法学部に人学した。彼は昨年本学雄弁会主催全日本高等学校弁論大会に参加し、特別賞(毎日新聞新聞社杯)を受賞している。以下の文は彼が”チベットの生沽様式””日木に来た理由””本学を選んだ理由”について書いたものである。



※画像をクリックすると記事の原文を読むことができます。なお、原文での曖昧な文脈や、送りがな、読点など推敲したうえで転載いたしましたこと、ご了解願います 

神秘の国チベット 弾圧の中での青春


ペマ・ギャルポ (法一)

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生活様式

チベット人の生活様式について語るのは、大変難しい事なのです。というのは現在チベット人は一つの民族として、一定した生活を営むことは不可能になっているからです。そこで私は三つに分けて述べてみたいと思います。

第一に、中共軍が侵略してくるまでは自給自足の生活をしていました。侵略される以前は大変平和な、慎ましい毎日を過ごしていました。農牧民が人口の九〇%以上をしめ、また仏教の国で信仰心の深い人々であっただけに、生活は仏教の教えに従い、人道主義的な風俗、習慣につつまれた生活をしていました。

このように、虫も殺せない民族でしたので他国を侵略しようとか、支配しようと言うような意志は国民には持てなかったのです。そのため、他国との交流もほとんどなく、その結果二千年以上の歴史と伝統を守ることができたのではないでしょうか。

しかしその半面、外国と国交関係がなかったため、国際的政治感覚を失い、他の国々にとっては神秘的な国になっていたのです。

ここでチベットの歴史について語ると長くなるので、日本の皆さんにチベット人民が、平和な生活を営んでいたという証拠に、第二次世界大戦中の事を少し述べてみようと思います。

第二次大戦中、日本は中国・モンゴルなどチベットの近くの国々で争ったのは、ここで私が改めて言うまでもありません。しかし、私は日本人が第二次大戦中にチベット人を殺したことも、またチベット人に殺されたことも聞いたことがありません。ですが、チベットのこのような平和な生活も、他国によってめちゃくちゃにこわされてしまいました。

一九五九年、虫も殺せない人々が、祖国防衛と平和を守るために中共軍に抵抗したことを知らない人は少ないでしょう。そして、その結果として弱者が敗れ、十分の一の人々が難民となり、他の九割が捕虜となったことも皆さんが知っていることと思います。

第二に、チベットに残っている約九割の人々の生活について述べたいと思います。これは一口で言うとすれば、中国の一方的な支配を受け「奴隷」と同様の生活をしているのです。

中国ブームの今日、私がこんなことを述べても本気にする人がいないかもしれません。中共は現在強大な国となって、それに逆らう国もいなくなっています。しかし、なぜ中共があれほど大きく、強くなったのだろうかと皆さんは一度でも考えたことがあるでしょうか。それは小さな国々を支配し、それらを搾取しているからなのです。

第三に、チベット国外にいるチベット人の生活についてですが、今日チベットの亡命者達は世界中にちらばっています。しかし大部分はインドにいるのです。

中国側は亡命しているチベット人が、皆、上流階級の人達であるかのような”でま”を言っています。でも本当は家族そろって亡命できたものはほとんどいません。この人々はその日その日のパンのことを心配していると同時に、祖国がかつての平和な国になるのを夢み、昼も、夜も絶え間ない努力を続けています。

また、国際赤十字を初めとする多くの団体や個人の援助を受けているにもかかわらず、未だに二千人以上の学校教育を受けられない子供達がいますが、このような問題は徐々に解決しつつあります。チベット人が人並みの生活を営むことができるようになるのはいつか分かりません。しかし、その日は必ずくるでしょう。

日本に来た理由

なぜ私が日本へ来たかということですが、これを説明するために歴史をさかのぼる必要があります。一九四九年に中華人民共和国が成立して以来、周りの小国に次から次へと侵略を始めた。現在中共の七億とか八億の人民がどうのこうのといっていますが、満州・モンゴル・ウィグル・チベットなど小民族を除くと中共の人口はどうなるでしょうか。

チベットは文化。伝統すべての面で中国とは異なっています。チベットは一九五〇年に中共軍に侵略され、一九五四年の十七条の条約に一方的に調印させられてしまったのです。それにはチベットの自治を認め、チベットを他国の侵略から守るとする内容があった。ところが、中国にとって約束は何らの価値を有するものではなかったのです。

それは中・ソ、中・印紛争にも如実に表れました。中国はこれらいずれの国とも条約を結んでいたのは、皆さんもよく知っていることと思います。

中国はチベット人から土地を始め、その他の財産を没収してしまったのです。これも改革のためだと思い我慢したのですが、中国はチベット人の思想や、言論の自由をも認めず、子供達を半強制的に親の元から離し、洗脳し始めでしまったのです。

チベット人にとって精神の一部だった寺など、伝統的なものは次から次へと破壊してしまった。このようなことは他国の人には、とても理解できないことでしょう。とにかくチベット人民も限界が来たため、中共軍に抵抗を試みたのです。その結果、前に述べた通りになってしまいました。

私がインドに亡命していた時、日本のある医師が、西洋の国々でチベットの難民達に教育を受けさせていることを知り、同じ人間としてまたアジア人として自分のできることをしたいと思い、私達を日本へ招いてくれたのです。

チベット人は日本人を非常に高く評価しています。現在のチベットと同様に、日本でも暗黒な歴史の一ページがあったと思います。しかし日本人は堂々それを乗り越えて輝かしく発展をしてきました。

武器を持って人の命を奪うことは最後の手段でなければならないと思います。ですから日本のかつての行為を賛美するわけではありませんが、あの時イギリス・フランスを初めとする、西欧の国々によって支配されていたアジア諸国にとって日本は夢と希望を与えたのです。

また日本人は、自分たちの手で自分達の意志で早くから西欧の文化を取り入れたりするなど、大変意欲があり盛んな民族であるところに、密かに憧れを感じていたのです。

亜細亜大学を選んだ理由

なぜ亜細亜大学を志望したかと言うと、これにはいくつかの理由があります。まず私にとっては日本の学校の勉強だけではなく、人々の生活様式・考え方などについて知る事も、大切な勉強の一つであると思います。

私の国は今有名校卒業生のエリートを必要としているのではなく、自分の身体で体験を学び知識を実践できる人間を必要としているのです。別に私はそう言うエリート達を僻んでこのようなことを言っているのではありません。それはエリートコースで行けば、社会的地位も名誉も早く勝ち取ることはできるでしょう。しかしこう言う人々は最後まで大衆の支持を得られるでしょうか。

前に述べたような理由から、私は多くの考えの違った国や社会から来た先生・友達と語り合いながら勉強して行きたい、そのようなことを考え自分なりの調査をして、亜細亜大学を選んだのです。

そして、私は国際法を勉強したいとずっと以前から思っていました。何度も見捨てられようと私は正義を信じています。自分達の最後の友達となってくれるのは正義であり、法であると思います。

現在中国側が言っていることと、チベット人が言っていることに大きな違いがあります。そして私はチベット人が語っていることが正しいと強く信じています。真実は一つしかありません。そこでもしチベット人が語っているのが間違いであったとしたら、私達チベット人は嘘を語り、全世界の人々をだましていることになります。もしそうならばこれは重大なことです。ですから中国のこともよく勉強し、さらにその真実を探らなければならないと思います。

幸い亜細亜大学には、自分で教えていただきたいと思うような先生方もいらっしゃいますし、それに中国関係の資料もかなりあるようです。私はこれからもまたアジア・アフリカ諸国が強くなるときが来ると思いますし、また来なければならないと思います。

私は別に民族主義を主張し、西欧を支配しようというような意味ではありません。平和な世界を実現するために、全ての国々が互いに対等な力をもつ必要があると思います。つまり勢力均衡の問題です。

亜細亜大学に入り、自分なりに世の中をどうどうと渡れるだけの知識と勇気を得て、世のよい僕になれるよう努力するつもりです。これから四年間いろいろな人達と共に語り合い、学び合い、充実した学生生活を送りたいと思います。学生としての義務と責任を十分果たし、仲良くやって行きたいと思っております。

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2008年4月26日 (土)

物事は見る視点によって変わる (下)

かつての日本は、ヨーロッパ諸国同様、のれんと創業者以来の家訓を大切に重んじてきました。その店ならではのものを大切にし、いわゆる老舗の精神を受け継ぎ、また顧客もそのような店と長いつき合いをして、客と店の百年を超える代々の信頼に基づいて、共に支え合ってきたのです。

このような企業の伝統を壊すことには忍び難いものがあります。昔の企業の社員の中には必ず大番頭的な存在の人や、その会社について何でも知っている裏方がたくさんおられ、その方々が日本の産業を支え、経済を支え、人々の生活を支え、そして伝統と良き仕事倫理が受け継がれてきました。これはヨーロッパなど伝統豊かな国々と共通した面がありました。時計であればロレックス、セイコーなど、靴であればバリー、衣類であればバーバリー、或いは和菓子であれば虎屋、絹であれば龍村、赤福や吉兆などもこれに類するかもしれません。

しかし昨今はそれらの伝統的なブランドネームを付加価値として、本来の伝統分野以外の領域まで手を出し、名前だけに大量のコマーシャル費用を投入し、支店を増やすことに夢中になったり、伝統を重んずる人々を古臭い邪魔者で時代遅れの頑固者扱いをして排除してきました。

私の狭い交際範囲で見る限りにおいては、あのバブル期でも家業を大切にし、あまり手を広げなかった経営者は会社を守り通しましたが、伝統を無視し調子に乗った者はそれなりの代償を払うことになったように感じます。

また最近、日本では農業を株式会社化しようと意気荒く主張している人々もいるようですが、農業は真の農民でなければ本当の意味での成長はないのではないかと私は思うのです。ただ単に農業労働者を増員すること、特に日本の農民を農場から追い払って外国から安い賃金で農場労働者を連れてきて株式会社が農業をすることは、時代に逆行し、昔の小作人制度に戻るようなものではないでしょうか。

農業には土地に対する愛着を持つ農民の手と、大自然を敬う気持ちが必要です。天皇自ら毎年田植えの儀式に臨まれる国は素晴らしいと思い、日本の農家の人々に対しては常に尊敬の気持ちを持ってこの四十数年生活をしてきました。そのような気持ちのせいか、私は日本のお米がとにかく美味しいと思い、何とも不思議な感覚を持っていました。

同じこの日本で生活してきた竹中さんと私が、これだけものの考え方が違うのは、それぞれの視点が違うから世界観も違ってくる訳です。私はあの短い安倍政権は、少なくとも日本を衰退への道から少し救済でき、日本国を延命できたと評価しています。特に教育改革など不十分ではありますが、その試みと貢献度はいずれ歴史が正しく評価してくれる日がくるのではないでしょうか。日本のマスコミがもう少し健全、公平になり表面的な改革を唱える人々のみならず、少数派の意見も国民に伝えるチャンスを与えるようになれば、国民はいろいろな視点から自分を見、自国を見、世界を見ることができ、その中で正しい道を選択できるようになるのではないでしょうか。残念ながら今のところ、日本のテレビ、ラジオ、大新聞などは成金主義者、物質至上主義のみを重宝がっているように見えます。皆様はどうお考えでしょうか。 (了)

※『向上』(2008年5月号)より転載

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2008年4月25日 (金)

物事は見る視点によって変わる (上)

本日(三月十日)朝八時頃の某ラジオ局に、元経済閣僚で小泉内閣で経済全般に関して大きな力を持っていた竹中平蔵さんが出演し、英国の経済誌を引用しながら、日本の景気の悪いのは三匹のワニ(中曽根さん、ナベツネさん、森さん)と安倍前首相の責任であると熱弁を奮っていました。

英国の記者がそのような記事を書いたことは事実でしょうが、それを都合良く引用するのは、竹中元大臣の個人的なご都合主義に過ぎないと私は思いました。安倍前首相は憲法改正など政治的問題に重点を置き、小泉内閣の経済改革を継承しなかったと竹中さんは言及していました。

189_2 しかし長期にわたって日本の経済担当閣僚としてまたブレーンとしてこの国の金融や経済に直接関わってきた人の言葉としては、極めて無責任で自己保身的な弁明にしか聞こえませんでした。物事はどのような立場で見るかによって、同じ事実に対する評価も変わってきます。私は彼の話を聞きながら、彼すなわち元国務大臣は一体誰の利益を代表し、どのような立場でものを見てきたのだろうかと考えさせられました。

確かに英国人やその他外国人の立場から考え、外国の都合で解釈しようとすれば、彼らが言うように日本の経済に無秩序な自由化の原理を導入することで、数字上の金融の流れは大きく変わるかもしれません。

また一部の金儲け至上主義(成金)が天文学的な数字で大きく伸び、世界の長者番付に名を連ねることができたかもしれません。日本人が長者番付の上位に入り、一部の日本人が大儲けすることは日本の名誉のためにも良いことであり、また他の人々の励みにもなるでしょうから、そのこと自体に異論を唱えるつもりは全くありません。しかしそれが国民全体の犠牲の上に成り立ち、国家そのものの弱体化つまり総合的な国力の低下につながるものであれば、やはり優先順位としては後廻しにすべきことであると私は思うのです。

竹中さんたちは”国際競争、国際競争"と言いますが、国民の生活がどんどん圧迫され家族を養うにも困り衣食住すら確保できないようでは、国際競争に勝つ意味がどこにあるのでしょうか。ましてやグローバライゼーション、国際化の名の下でどんどんと日本で生まれ成長した企業が外国の資本に牛耳られ、名ばかりの"日本製"であるのでは、なおさら奨励できることではありません。 (続く)

※『向上』(2008年5月号)より転載

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2008年4月24日 (木)

第2のチベットを懸念する

中国の本質は覇権国家 

経済に目が眩んだ認識正せ


人権説くダライ・ラマは鬼か

四月十日、ダライ・ラマ法王がアメリカ訪問途中、日本の成田空港に立ち寄りマスコミ関係者と四十数分間記者会見を行った。会場には百二十名前後のメディア関係者が押し寄せ熱気に溢れた雰囲気となった。法王は改めてご自分は中国によるオリンピック開催に反対していない、むしろ支持をしていると強調なさった。またチベット問題と関連しオリンピックの聖火ランナーに対する妨害的な行為も支持していないし、そのような暴力的な手段による妨害はしないように呼び掛けているとおっしゃった。

それを受けて日本国内でも法王が中国によるオリンピックの主催を支持しておられるので、妨害するような行為を行ってはならないという、ごもっとものような意見を述べる人がいたが、私は法王のお言葉の真意は中国に対しオリンピックを開催できるような常識的な国家になって欲しい、中国が世界に誇れるような民主主義と人権を尊重するような国になって欲しいという願いが込められているように思う。

また法王は、中国の指導者たちは現実から目をそらさず現実に照らし合わせて真実を追求して欲しいともおっしゃつていた。会場の皆さんの前で法王は頭の両脇から人差し指で角を表すような仕草をされ、「私が鬼に見えますか。私には角などありませんし、私が鬼かどうかは皆さんが分かると思います。しかし中国政府は私が鬼であり、今回の一連の抗議行動を後ろで糸を引いていると言って個人攻撃をしていますが、これは事実無根で、もしそうおっしゃるのであれば中国の方々や第三者の機関がダラムサラも合めて調査に来て頂ければ分かることです。中国の指導者たちは現実を見て、問題解決に努めるべきです。今のような民衆の不満を力で抑え、暴力的に問題対処することは時代遅れです」と、法王にしては珍しく中国を強い口調で批判された。

中国共産党の軍拡と不安要因

中国のあまりにも出鱈目な時代遅れの人格抹殺を図った共産党特有のキャンペーンに対してうんざりなさっておられる気持ちはよく理解できる。そのようなキャンペーンで世界の世論を説得できると思っている中国の時代錯誤な認識には果れ返るというほか言いようがない。

それにしても、今、中国は目覚ましい経済成長と目に余る軍備増強で、世界の注目を浴びていると同時に、周囲の国々の不安をかき立てている。今チベットで起きていることが、いつ我が身に降ってくるか分からないからである。

そのような中で比較的呑気に構えているのは日本ぐらいである。日本の政治に大きな影響力を持っている経済界の首脳陣が目先のマーケットとしての中国に目が眩んでいる。

しかし、それは希望的観測で幻想であり、中国の実態はもっとフラジャイル(Fragile:-脆い、壊れやすい)であり、いつ崩れてもおかしくない様々な要因を抱えている。そのような間題の一つで、アキレス腱になり得るのがチベット問題であると言えるのではなかろうか。

もちろん、中国当局はその機関誌などを通して、ウイグルでの抵抗運動について反国家的行為で、テロ活動があったと報じ、先週も四十八名逮捕したと自慢げに報じているが、それを裏返して考えてみればチベット以上にウイグルの人々が抵抗していることを物語っている。

また中国は、見せしめのため国内の中国人の人権活動家などについても国家を崩壊させようとした罪などで厳しい判決を言い渡したと報じているが、これもまた逆に言えば、それだけ今の政権に対する不満が国内で高まっていることを意味するものである。

安定したマーケットではない

北京オリンピックに関しては、チベット問題などに絡む政治問題のほかに環境問題も大きく、諸外国の裕福な選手たちは大会直前まで日本などに待機する予定であると聞いている。これらすべての問題を総合的に考えれば、中国は決して一部の経済人の言うような安定したマーケットなどではない。まして資源が豊宮な国でもない。なぜならば、今たくさんの地下資源が眠っている領域は本来中国の領土外の地域だからである。

日本の経済人は近視眼的な利益よりも長期的な国家戦略に基づく視野でチベットを見、中国を見て考えを正す時期に来ているのではないか。中国の本質的な覇権国家としての潜在的国家目標をどのように打ち破って行くかということもアジア全体の安全と発展を考える上で重要なテーマではないかと私は思う。

チベット問題を単に哀れな出来事として見るのではなく、中国という国の正体を見極め、そこの人々の真の幸せを願い、アジアと世界の平和と永久的繁栄を望む立場から今回の一連の出来事、オリンピック問題などを考えるべきではないだろうか。

※「世界日報」(2008年4月17日付)より転載

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2008年4月22日 (火)

緊急告知 チベットの平和を願う集会

チベットの平和を願う集会

チベットで亡くなった人々を悼んで49日法要

対談 中沢新一/ペマ・ギヤルポ

会場:梅窓院祖師堂 
(銀座線外苑前駅1a出口サブウェィ左折)

2008年4月23日(水) 16:00-20:30 

参加費:無料 当日はご記帳をお願いいたします。

3月10日チベット僧たちの抗議デモから始まった一連の抗義行動が中国の公安当局の弾圧行為で、ダラムサラ亡命政府公表では140名強(中国当局によると19名)の尊い命が犠牲になりました。また、このことががきっかけとなり世界中の人が中国政府に抗議活動を行っております。非暴力を貫いているダライ・ラマ法王は、中国政府に対話の実現を求めており、人権擁護の立場からさまざまな形で抗議が繰り広げられております。私たちはここ、日本において、下記のとおり、亡くなられた方々を悼み、またチベットの地に平和の日が訪れるよう儀式を執り行いたいと思います。

ペマ・ギャルポ

第一部:49日の法要 16:00〜18:00 (都合の良い時間にご参加下さい)

導師は、カルサン・テンジン・リンポチェ(チベット、カム地方ニャロン出身。幼少からチベットで修行を重ね亡命後は南インドのペイユル寺院で9年間修行し、現在台湾の仏教センター3カ所で教鞭を執る〉と、ラマ・ウゲン(ニャロン出身、インドミンドォリン寺で修行、チベット文化研究所レジデンスラマ)

第二部:対談 19:00〜20:30

中沢新一(多摩美術大学教授・チベット仏教学者)とペマ・ギャルポ(チベット文化研究所所長・桐蔭横浜大学大学院教授)

コーディネーター:松本智量(アーユス仏教国際協力ネットワーク事務局長・浄土真宗本願寺派延立寺住職)

主催:チベット文化研究会
協力:アーユス仏教国際協力ネットワーク
発起人:ペマ・ギャルポ
問い合せ チベット文化研究所/西五反田2-12-15-401(03-5745-9889)  

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2008年4月20日 (日)

活火山と化すチベット情勢 (下)

山田 日頃、「人権」「平和」を声高に叫ぶ左翼(団体)はなぜか黙っている。おかしい。良識ある市民サイドでは三月十六日、代々木公園で集会を開き、翌十七日、自由チベット協議会(酒井信彦代表)やチベット問題を考える会(小林秀英代表)が主催する中国批判のデモが中国大使館に向けて行われた。二十日には笄公園で日本文化チャンネル桜(水島総代表)グループが、二十二日は三河台公園で約千二百人が参加してチベットに自由を求めるデモ行進があり、「チベット議連」代表の牧野聖修前衆院議員が日本とチベットの連帯を訴えた。二十三日、「百人の会」が中心になって大阪靱公園から中国領事館に向けて、更に三十日には東京、大阪で同様のデモが行われた。引き続き、今後も各地で行われる予定だ。

ペマ教授 パリ、ローマなど世界各地でも中国政府の対応に抗議する抗議デモが頻繁に行われた。ネパールのカトマンズやインド・ニューデリーでは中国大使館に、豪シドニーとスイスのチューリッヒでは中国総領事館にそれぞれ押し掛け、デモ隊と警備当局が衝突して負傷者も出ている。
 報道によると、ダラムサラのNGO「チベット青年会議」(ツゥエワン・リグジン議長)など五団体はインドのシッキム州ナトッラ峠からチベット・ラサを目指して決死の帰郷行進を実施していたが、ダライ・ラマ法王は主催者と会い、行進の中止を求められた。非暴力路線の法王は「(独立急進派の)暴力が続くなら退位する」とも語った。もうこれ以上、チベット青年の血を流してはいけない。
 ダライ・ラマ法王は以前から、チベットの高度な自治権と信仰の自由を求めてきた。チベット人に内政、文化、宗教を任せて貰いたいと言い、それ以上の何等難しいことを要求していない。その上、法王は以前から北京五輪を支持している。
 今回のことについて、法王は「ある種の文化的虐殺が起きている。差別があり、常に二級市民として扱われている」「恐怖による統治が行われている」と憂慮している。

山田 ダライ・ラマ法王は一九八八年迄、チベットの独立を希求していた。法王の抱く自治権は、具体的には香港・マカオ型の一国両制と思われる。

ペマ教授 民族自治権を得たい。法王の求める「自治」について、中国政府はチベットに「自治区」という名称のみを与えるだけで、実質自治権は全くない。
 一九五一年に中国とチベットの間に締結した十七条協定には、チベット民族の権利、信仰の自由、チベット後の公用化を約束したが、中国は一方的に破り、チベット語を第二外国語として扱っている。従って教科書は中国の為で、中国語が出来ないと試験や高等教育は受けられない。就職も難しい。それに、法王のお写真を寺院に掲示してはいけないなど、チベット仏教を弾圧している。

山田 中国は宗教自体を認めない。

ペマ教授 唯一、心の安らぎをチベット仏教に求めるチベット人にとって、最も屈辱的なことは、中国政府の愛国主義教育によって、僧侶に対してダライ・ラマ法王を批判する文章を書くことを強要しそれに署名させる。これはとても耐え難い仕打ちだ。
 チベット仏教の信仰はチベット人の生活に密着していることは、中国政府も分っているにも拘らず、学校の教育現場では「古い体質にしがみついて、改革精神がない」と徹底的に批判する。

山田 中国の孟建柱公安相は三月二十三日ラサ入りし、「僧侶への愛国主義教育を徹底的に施さねばならない」と改めて表明していた。とんでもないことだ。

ペマ教授 翌二十四日には甘粛省蘭州市内のホテルに僧侶三千人が集められ、当局によるダライ・ラマ法王への批判が行われ、共産党政府に歩調を合わせるよう要求されたという。
 チベット人の価値観を無理やり中国に同化させようとする試みで、これはチベット抹殺政策だ。
 抑も、今回の発端になった三月十日は、チベット人にとっては決起記念日に当り、過去四十九年間、世界各地でデモを実施してきた。東京でのデモに、山田さんもこれまで何回も参加している。
 中国は独立国のチベットを軍事侵略し、一九五九年の三月十日にはダライ・ラマ法王を呼んで監禁しようとしたために、チベット人が法王を守るために立ち上がった。その時、大量虐殺が行われた。私の家もそうだが、チベット人のどの家からも犠牲者が出ている。

山田 今回の騒乱について、温家宝首相は「分離主義ダライ集団が謀略、煽動した。北京五輪の破壊が狙いだ」とか「政府への非難は内政干渉に当る」「西蔵(チベット)は歴史的に中国領」と言い、頑なに国際世論を拒絶している。
 その十年前(一九四九年)、中華人民共和国共和国の建国記念式典にチベット代表団はインド、香港経由で北京入りした。ジャーナリストの櫻井よしこさんは「両国を結ぶ交通路がなくて交流など出来なかった。二つの国が一つの国だったとの主張は成立しない」と論破している。

ペマ教授 これ迄のデモと違うのは、昨年十月に米議会がダライ・ラマ法王に「議会名誉黄金賞」を授与、表彰し、それを祝うチベットの僧侶を中国当局が拘束、その釈放を求めていたことと、中国政府が北京五輪の聖火リレーをチベットから始めて工ベレストを通過し、チベットが中国のものであることを誇示する目的で政治利用したため、大きく火がついた。それにチベット人にとって工ベレストなどの山々はとても神聖なもので、リレー通過は非常に抵抗を感ずる。

山田 聖火リレーは五月にチベット側から工ベレストに登頂する他、これとは別に六月十九日にチベット自治区に入って、二十一日迄にラサを通過する予定という。
 それに、チベットの希少動物、チベットカモシカやパンダを五輪のマスコットにしようとした。

ペマ教授 これもチベット支配の既成事実化の表われだ。抑も、パンダのいる雲南省は本来、チベットの地域。だから、パンダは中国のものではない、チベットのもの。
 それに二年前、青蔵鉄道が開通しても、チベット人に経済的恩恵を与えられていない。ラサは観光都市化によって世俗化してしまった。更に、中国人の役人は腐敗しているし、利益の大きい商売は中国人が独占し、大きな格差が生じた。長年、チベット人は経済的不平等について不満を抱いてきた。それも今回騒動の大きな引き金の一つだ。
 特に考えられるのは、中国政府にとって、五輪の開催中に騒乱などが起きては困るので、開催前に以前からマークしていた活動家を捕まえようとした。その為に、毎年三月十日に行われる平和的なデモ行進を狙い挑発したのではないのか。

山田 それで、僧侶に扮した数百人の人民解放軍兵士が入り乱れて煽動し、暴動に発展したと言われている。そのニセ僧侶が手にしていたのはチベット人の使う刀でなく、中国の刀だったという。

ペマ教授 山田さんは十一年前に通訳のお嬢さんと共にチベットに行き、独立派の僧侶に会いましたね。

山田 偶然、現地で知り得て、二十歳代のお坊さん五名に接触しました。彼等の隠れ家の薄暗い部屋に入ると、大きな仏壇にダライ・ラマ猊下のお写真が飾ってあった。又、これも偶然ですが、中国統治反体制派の一般市民も知り合い、彼の家に招かれて、バター茶を飲みながら中国政府によるチベット人迫害の事実や経済面での冷遇策を詳しく聞いた。

ペマ教授 山田さんはラサで酸欠で倒れたとか。

山田 そう、私と支那人がトラブルになり揉みあいになった為、軽い高山病に罹ってしまった。泊っていた旅館に医者が往診し、点滴を打って間もなく治ったが、旅館の従業員によると、その医者は「公安」だという。
 帰ってきて、国民新聞紙上に、ジョカン寺前の広場で制服姿の治安当局者や据えつけてある隠しカメラや武警本部等を隠し撮りし、その写真とリポートを掲載しました。

ペマ教授 ラサ市内は至る所、制服、私服の警察官が多勢いる。

山田 田舎のある寺院に行った時、私は思わず「フリー・チベット」と叫んだら、お坊さんがとんで来て、「それを聴かれたら逮捕されますよ。この寺にも三人の私服が常駐していますから」と慌てていた。

ペマ教授 チベット人、特にお坊さんは常に厳重に見張られている。

山田 話は戻りますが、ダライ・ラマ法王の求める民族自治権の要求だけでは、独立支持派の「チベット青年会議」や若い人にとってはもの足りないようですね。チベットの理想は当然、分離・独立だと思う。
 中国政府が認定したパンチェン・ラマは三月十一日、「暴動は仏教の教義に反する」と非難し、中国サイドのスタンスだ。本来、パンチェン・ラマは法王が指名したニマ少年が務める筈だった。未だにニマ少年とその家族の行方が知れない。
 チベット間題が、中国によって他の抑圧されている民族、例えば新彊のウイグル人や内モンゴルに飛び火する司能性もある。

ペマ教授 現に、三月二十三日、新彊ウイグル自治区のホータンでウイグル独立派や住民千人によるデモが行われ、治安当局に五百人拘束されたという。

山田 詳しく報道されていないが、ウイグルのアクスなど三大都市は夜十時以降の外出が制限され警備が強化された模様だ。

ペマ教授 中国は中華思想によって周辺を属国化する野心を持つ他、中国人そのものに対しても非人道的、非民主的な政策を今後も取り続けるならば、早晩、ウイグル人、民主化活動派、法輪功等も立ち上がるに違いない。何と言っても人権は自由・民主主義と同様に普遍的価値だから。

山田 アムネスティ・インターナショナルは四月一日、五輪に向けて人権活動家への弾圧を更に強化していると報告書を公表した。報告書によると、中国当局がチベットの抗議デモ参加者や北京の人権・民主化活動家等を逮捕し、粛正を行い深刻な情況になっているという。よって、国際オリンピック委員会を「人権弾圧の共犯者と何等変わらない」と指摘している。

ペマ教授 三月二十八日、四川省アバ県で武装警察が急襲し、お坊さん百人以上を連行したと報道されている。
 ダライ・ラマ法王は四月二日、「中国当局はチベット自治区等に大規模部隊を投入して、チベット人への弾圧を強め、抗議行動地域を封鎖している。世界は弾圧の即時停止を迫るべきだ」と訴える「懇願」と題した声明を出した。
調嘩籍麗簸会の支援隊が現地に入る一ことによって・治安当旦の厳しい取締りを抑制す、ることが出来る。山田中国政府はこれ迄の民族政策の失敗、誤ちを認め正しく修正すべきだろう。司能ならチベット独立に向けてタイムテーブルを作成するのがベターだが。ロハ、現実的にはまず国際監視の下で今回の件の真相について究明されるべきだ。今のところ、中国当局の武力による取締りや強権に抑え込まれてか、チベット人の抗議活動が鎮静化している。ラサ市観光局は国内外の観、光客を一カ月半ぶりに五月一日から受入れると発表し、自信の程を見せている。

ペマ教授 現在、治安当局は自首するよう求める通告を出す他、デモのあった地域の家庭から一人一づつ連行し尋問を行い、密告者には報奨金を与えるなど締め付けを強化している。そして、逮捕の後には過酷な刑罰が待っている。
 しかし、鎮静化したから解決したということにはならない。締め付けがきつければきつい程、火山のマグマはますます煮え滾って、大爆発を起こす。チベット情勢は活火山と化した。

山田 本日はご多忙の中、ありがとうございました。頑張ってください。 (了)

※「国民新聞」(2008年4月25日付)より転載

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2008年4月19日 (土)

活火山と化すチベット情勢 (上)

ついにチベット人の憤りが爆発したー。中国のチベット自治区等で中国の同化政策に対して抗議行動するチベット人僧侶・市民らと治安部隊の衝突は多数の犠牲者を出した。このチベット問題の背景について桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ教授に本紙山田恵久主幹が聞いた。ペマ教授は一九五三年、チベット・カム出身。中国軍の弾圧を受け、一九五九年四月にインドに亡命。六五年来日し、ダライ・ラマ法王アジア太平洋地区の初代代表を務めた。

山田 タシデレ(今日わ)、ご無沙汰しております。中国のチベット自治区のラサで、中国の弾圧に反撥するチベット仏教の僧侶や市民は、三月十四日から一、二万人に上る大規模な中国支配反対運動を行った。デモ隊は口々に「チベットに自由を」「チベット独立」等と叫んでいたという。それに対して、治安当局は装甲車など武装車輌を投入し、発砲等で多くの犠牲者を出した。
 香港紙「明報」が伝えたところによると、三月二十一日、ラサで開かれた治安会議に公安省、国家安全省、武装警察部隊の高官と共に、何と驚くことに、人民解放軍成都軍区の呂登明副司令官が出席していたという。騒乱鎮圧の指揮本部を軍に置き、軍が前面に出て最高レベルの警戒態勢をとっていたという。実際、同軍区の緊急展開師団も投入された。
 報道によると、三月十日、ジョカン寺周辺で僧侶十人がチベットの旗を振り、ビラを配りながら抗議デモを行っているところに、武装警察が殴り掛ってきて、実力で制圧したという。
 更に同日、デプン寺からジョカン寺まで約三百人の僧侶がデモ行進をしたが、間もなく武装警察に阻止され五十人以上が連行されたという。中には手首を切って自殺を図ったり、ハンガーストライキをして、中国による圧政に抗議。これに対して中国当局はラサにある有名なセラ寺など三大仏教寺院を封鎖した。
 翌日、六百人以上の僧侶や市民による抗議活動があり、武装警察が催涙弾を発射して制圧したという。
 十六日、甘粛省蘭州の西北民族大学では学生が数百人規模の追悼集会を、十七日には北京の中央民族大学でも集会を開いた。同日、成都の西南民族大学では座り込みデモがあったが、治安当局はこれらの大学を厳戒下に置いたという。
 続いて、十八日から二十三日に掛け、四川省アバ・チベット族チャン族自治州、甘孜チベット族自治州、甘粛省甘南チベット族自治州、青海省黄南チベット族自治州でもそれぞれ数百人規模のデモが行われ、警察官の発砲で多数の犠牲者が出たと言われている。

ペマ教授 大変、悲しいことだ。当初、中国政府はデモ隊側の死者は三人とし、殺傷力のある武器を使っていないと発表したが、インド北部のダラムサラにあるチベット亡命政府(リンポチェ主席大臣)は四月五日、中国治安当局の発砲により百五十人以上が殺害されたと発表している。その後、昔からチベット領土であった四川省、青海省、甘粛省などでも両者の衝突によって多数の犠牲者が出ている。多分、四百人以上が死傷しているのではないか。今、チベットの人々の安否が最も心配だ。

山田 この三省の中に計十一のチベット族自治州とチベット自治区があるが、これ等は本来、チベットの国土だった。
 侵略した上、今度は残虐行為を働く。国際世論は中国政府の無慈悲な対応を批判している。外国人記者の現地立入りを一切阻み、国営新華社通信の偽装された一方的なニュースのみが飛び交った。

ペマ教授 メディア・情報統制は完壁で中国政府の得意とするところだ。北京駐在の十五カ国の外交員にラサの実情を公開したが、それはずっと後の三月二十八日で、中国側の都合のいいところしか見せなかったようだ。

山田 厳重警戒の中、それでも僧侶等は直訴していた。治安当局は彼らを直ぐ逮捕してしまった。ラサ郊外を含め全てオープンにすべきだ。
 中国政府は米動画投稿サイトの「ユーチューブ」を中国内で利用出来ないよう、インターネット経由での接続を遮断した。
 中国以外でのユーチューブ・アクセスは司能で、「プロテスト・イン・ラサ2008」と題する動画には、射殺されたチベット人男性六名の姿が生々しく撮影されている。
 又、中国国内では米ネットのグーグルやヤフーのニュースサイトも閲覧が出来ない。以前からグーグルのサイトではネット検閲も実施され、検索キーワードに「チベット」「ダライ・ラマ」と入力すると何も表示されない。

ペマ教授 世界中で北京五輪開催の是非が問われている。

山田 北京五輪の聖火リレー走者を務めることになっていた元タイ国王の孫娘、ナリサラさんやインドサッカーチームの主将は「チベットの大義に連帯を示すため」として、走ることを辞退した。

ペマ教授 北京五輪ボイコットはハリウッドの俳優リチャード・ギアさん、ハリソン・フォードさん、ユマ・サーマンさんやスティーブン・セガールさんを始め、クシュネル仏外相はEU(欧州連合)に開会式欠席を呼び掛け、メルケル独首相、ブラウン英首相始めポーランド、チェコ、スロバキア、エストニア、ブラジルの七カ国首脳やチャールズ英皇太子は参加を見送った。

山田 サルコジ仏大統領も中国側がダライ・ラマ法王と対話しなければ欠席するようだ。ドイツは先に中国と取り決めた経済協力を凍結し、二月にメルケル首相も参加しないことを決めている。英国、チェコ、ポーランドはダライ・ラマ法王の招請や首相会見を検討している。
 又、胡錦濤に電話で「対話するように」と促したブッシュ米大統領は開会式には出席する予定だが、議会では出席を取り止めるべきとの声が挙がっている。出席は一九三六年にナチスによるベルリン五輪に参加したルーズベルト大統領の轍を踏むことになろう。ロハ、最近になって大統領報道官は「大統領はいつでも予定を変更司能」と述べている。
 ライス国務長官は中国にチベット政策の修正を求め、チベットに領事館の開設を求める方向で検討を始めると言っている。
 更に、ペロシ下院議長の提案で、米下院は四月九日、抗議するチベット人に対する弾圧を厳しく非難すると共に、中国政府とダライ・ラマ法王の対話や拘束されている僧侶の即時釈放を求める決議を賛成四一三対一の圧倒的多数で採択した。

ペマ教授 米下院のペロシ議長は米議員九人と其に三月二十一日、ダライ・ラマ法王にお会いになり、二十八日、中国政府を批判すると共に「国際オリンピック委員会が五輪開催地に北京を決めたのは間違いだった」と述べ、聖火がペロシ氏の地元サンフランシスコを通過する時、中国に対する抗議を容認すると表明した。

山田 国際オリンピック委員会は、中国の内政問題に関与しないとしていたが、事態が悪化して風向きが悪くなると遅ればせながら、「平和的解決を求める」と言い出した。
 四月八日、サンフランシスコでは地元中国人の約一万人と中国批判の市民約八千人の衝突が想定され、流血の事態を避ける為、聖火リレーのコースを全面的に変更せざるを得なくなった。

ペマ教授 「平和の祭典」オリンピックを台無しにしたのは、明らかに中国政府だ。
 四月六、七日の両日、ロンドンやパリでも、市民の妨害に遭い聖火は何度も立往生した。しかし、ダライ・ラマ法王は「いかなる妨害もすべきではない」、聖火リレーの阻止行動は「中国の人々にチベット人への憎悪を抱かせるだけで、無益なこと」と仰っている。

山田 盗っ人猛々しく、北京五輪組織委員会は我国に五輪聖火が妨害されないよう警備するよう強く注文をつけてきた。日本での聖火リレーは四月二十六日、長野の善光寺からスタートする。
 しかし、国連人権理事会では中国、ロシアの反対にあって、チベットの人権侵害間題について討議されなかった。国連の播基文事務総長は五輪開会式の出席を見送ったが、未だに弾圧等についてメツセージを出していない。
 又、日本の仏教界が黙って見ているのもおかしい。唯一、天台宗の書為山圓教寺の大樹玄承執事長が声明立を出してチベット擁護と中国批判を行っている。

ペマ教授 台湾の次期総統に選出された親中派と言われている馬英九氏でさえ、「弾圧を続けるなら、五輪に参加しないことも排除しない」と言っていた。

山田 日本では、福田総理は胡錦濤の来日を控えて、著しく慎重な構えで、「声高に(中国を)批判したり、北京五輪と関連付けることはどうか」「(双方の)対話が行われることを歓迎する」と言うだけで、非人道的な弾圧について直接言及しない。何しろ、福田首相は靖国神社参拝について「(中国など)相手の嫌がることを敢えてする必要はない」と言う親中姿勢を示す。これが我国のトップリーダーとは情ない。
 更に、中国は皇族のご出席を要請してきたが、ご出席はチベット弾圧を容認することになってしまう。政府は要請を受入れない方向で進めているというが、水面下でおかしな動きもあり予断を許さない。
 超党派の国会議員で構成する「チベット間題を考える議員連盟」(枝野衆院議員が日本とチベッ幸男代表)は、事態が悪化すれば「胡錦濤の訪日歓迎は出来ない状況になりかねない」などとした非難声明を出した。しかし、その総会に出席したのは自民、民主両党の僅か二十七議員だけだった。
 因みに「北京オリンピックを支援する議員の会」は会長河野洋平、会長代理に中川秀直と鳩山由紀夫、幹事長野田毅で総勢二百二十五名もいる。これら国会議員は未だに誰一人として中国を批判していない。
 最も危惧するのは、五月六日に来日する胡錦濤が国会で演説を行ったり、皇居で午餐会か晩餐会に出席したら、それこそ、畏多くも天皇陛下が中国の政治利用に悪用されかねないことだ。

ペマ教授 多くの国民、市民がチベットの置かれている状況を良く理解して頂き、味方になってくれることは、大変ありがたい。 (続く)


※「国民新聞」(2008年4月25日付)より転載

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2008年4月 1日 (火)

中国はチベットに何をしたのか (下)

 

中国の狡猜な手口

そもそも中国がチベット侵攻を始めたとき、彼らは「チベットを米国の帝国主義から守る」というのを大義名分にしていた。憲法にもしっかりそう明記してある。また、ダライ・ラマ法王を頂点とするチベットの体制を尊重するとも書かれている。

 ところがいつの間にか中国の侵攻の目的がチベットの支配階級を打倒することにすり替わってしまった。条文自体は変わっていないのに、言葉をすり替えて自分達に都合のいいように振舞うのが中国なのである。

 チベットの防衛と外交は中国が担当する、とも書かれており、それ以外の内政に関してはチベット人の考えを尊重するという風に見せかけているが、実情とは大きくかけ離れている。

 チベット人を油断させて、実際には内政も中国にいいようにされているのが現状であり、「自治区」になった時点で「自治」などないのである。

 中国と付き合うときには口約束などもってのほかで、条文にしたものであってもすり替えるのだから油断がならない。その狡猜さを国際社会はしっかり理解しておく必要があるだろう。

 中国はチベットに対して、あるときは弾圧し、あるときは柔軟な姿勢を見せる。水前寺清子の歌ではないが、「三歩進んで二歩下がる」のが中国のやり方であり、ある時期柔軟な姿勢を見せてはいても、確実に中国側は一歩前進しているのである。

 日中関係を見ても、一九七〇年の「日中国交正常化」を果たしたにもかかわらず、「正常化」していないのは明らかである。

 毎年新しい要求が出され、「文書で謝罪しろ」「教科書を書き換えろ」「靖国に参拝するな」などという。その一方で、ある時急に「微笑外交」に転じる。だが、これに騙されてはいけない。

 チベットはイヤというほど中国の手口を知っている。中国の外交戦術を知るには、チベットをケーススタディとするのがよいだろう。

 中国のチベット制圧の歴史を簡単に振り返ると、一九五一年から七〇年代までの二十年間、中国政府は軍事力による侵略を行った。六五年に自治区を成立させ、六七年に共産党支部を作ってからは、政治的侵略を行うようになった。

 さらに八○年代からは多少、中国が世界の世論を気にするようになり、国際的立場も上がってきたため、中国政府はダライ・ラマ法王との対話路線を引き、柔軟政策をとってきた。

 しかし時期を同じくして二〇〇〇年あたりからは経済的侵略を行うようになった。鉄道を完成させ、中国人を移住させて、政府ではなく民衆によるチベット搾取を行い、同化政策をとるようになったのである。まさに長期的計画でチベット支配を実行しているのである。

 特に経済的侵略による同化政策はかなり効果を挙げている。軍事的に中国がチベットを支配していた頃は、中国から命令によって人が送り込まれてきた。その人たちは「命令によって辺境の地に左遷された」との思いが強く、チベットに根づくことはなかった。

 それでも五〇年代は革命思想があったため何とかなったのだが、やがて共産党幹部も含めて、明らかに不便な土地にむりやり行かされ、歓迎されることもなく、下手をすれば自分が刺されかねない。このような状況の中にいることなど誰も望まなくなっていったのである。

 ところが経済的侵略を重視するようになってからは状況が一変した。現在チベットに居住する、今回民衆にターゲットにされている中国人の多くは、経済的利益を追求してチベットヘ来ているため、当然すぐには帰らない。また、中国人の犯罪者に「チベット行きを了承すれば釈放する」ともちかけ、融資までしたうえでチベットに送り込むのである。

 人間は、例えばビルの屋上まで上がるのに、「屋上まで歩いて来い」と命令されればうんざりするが、「屋上に一億円がある」と言われれば喜び勇んで駆け上がるものだ。

 それと同じように、「チベットに行けば経済的未来が開ける」と宣伝することで、中国人がこぞってチベットにやってくるようになった。特にチベットに近い内陸部の人々が多く、内陸部は沿岸部に比べて経済格差があるうえ環境的にチベットヘの順応性もあるため、定着してしまっているのである。

 音楽や着物まで同化

 中国の同化政策は様々な角度から行われており、文化的な面にも及ぶ。細かいことで言えば、チベットの音楽には独特の音階があるのだが、それまでも中国風に変えられている。チベットの民族衣装は、着物の帯を取って夜にはそのまま布団代わりにできるくらい長いものであるが、その着物を作るための長い生地を売らない。そうなると中国風の短い着物を作るしかない。このような小細工までするのである。

 他にも「チベット語を教えてもいい」と一見懐の深いところを見せておきながら、教えられる人を刑務所にぶち込んでいるし、高等試験は中国語でしか受けられない。これではチベット語だけを学んでいても就職できないので、中国語を学ばざるを得ない。

 学校の授業では「チベットの歴史」という言葉を使うことができない。チベット語で「歴史」とは「国物語」を意味しており、そこに「国」という表現がある以上、認められないと言うのが中国の言い分である。

 寺院も六千あったもののほとんどが破壊され、八つしか残らなかった。その後かなりの数の寺院を修復したのだが、世界的に価値のある寺院は国が、その次のランクは地方政府が修復予算を組んで行った。

 が、それもチベット文化を大事にするためではなく、寺院復興のための、外国にいるチベット人の仕送りや日本からの浄財や、寺院目当ての観光客の落とす外貨稼ぎのためであった。侵略のために邪魔なものはどんなにささやかな民族文化でも破壊しつくすのが中国なのである。

 拡大思想は続

 中国の拡大思想はチベット侵略で留まるものではない。チベットの次はネパールなどの周辺諸国に手をのばし、場合によっては日本まで中国の中華帝国の野望の餌食にしかねない。

 中国の目的はチベットの資源を搾取し、人口を移住させて同化政策を進めていくことである。

 よく「チベットは独立しても経済的に立ち行かなくなるのではないか」「なぜ中国はチベットのような小さな国に固執するのか」と言われるが、自然も資源も豊かなチベットは、中国に侵略される前の五〇年代には、中国よりも豊かだった。

 チベット人が独立を取り戻せば、三十年から五十年の間には、アジアでも上位の暮らしができるくらいに成長するだろう。だからこそ中国に狙われるのである。

 また地政学的に言えば、中国はチベットを押さえたあと、最終的には南下して海に出ることを目論んでいる。インドとの間には棚上げされているとはいえ領上問題がある。パキスタン経由でアラビア海やインド海に出ることを画策しているのである。

 しかも中国があれだけの人口を抱えていては、領土を広げない限り国家が維持できない。このような思惑を世界が認識しない限り、アジアに安定がもたらされることはない。

 チベット問題に関しては最終的にはチベットの民族自決権の問題であり、チベット人が自由意志を明確に表明できる環境で決めるべきことだ。

 現在チベット人にも中国に対する免疫ができてきており、ダライ・ラマは独立を放棄し、高度な自治を求める中道政策を取っているため、多くの人は「法王に従う」という。しかしそれは表の言葉であって、お茶を飲む時の乾杯の挨拶は「チベットの自由に乾杯」という。特に若い人たちの間ではこの傾向が強くある。

 もちろんチベット人の中にも現在の経済発展で潤っている人たちもいる。今はともかく中国がいてくれたほうが良いという考えもあり、私自身もそういう考えに対して批判的ではない。むしろ外からはガンガン批判をし、中にいる人たちは自分達の力で自立できるくらいの経済的、文化的な力をつけておくことが必要だ。

 日本がアジアの先頭に

 今回の騒動はすでに周辺各省に飛び火したが、さらに広まれば世界各地から北京オリンピック中止の声が上がってくる可能性がある。チベットだけではこの暴動が拡大するのは難しいかもしれないが、今回の行動の副産物のような形で、欧米などで動きがあるかもしれないし、流れのなかで、参加拒否をする選手も出てくるかもしれない。

 それだけに、今回のチベットの暴動をただ「人権問題」だけにとどめてはならない。「チベットのお坊さん達は自由にお経を唱えられなくて可哀想だ」「チベット人が文化を守るために戦っている」という類のものではなく、アジア全体の平和の観点から見るべき問題なのである。

 中国はこのまま民主化と開放を続けてもつぶれるし、弾圧してもつぶれる。中国がむやみにつぶれる事態になれば、周辺国の安定に大きな影響を及ぼすことになる。

 中国が緩やかな連邦制をつくり、健全なメディアを持ち、ソフトランディングするように誘導するしかない。そのためには中国以外のアジアの国々が共同歩調をとる必要があり、日本はその先頭に立たなければならない。 (了)

※ 『WILL 』(2008年5月号)より転載

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