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2008年4月 1日 (火)

中国はチベットに何をしたのか (下)

 

中国の狡猜な手口

そもそも中国がチベット侵攻を始めたとき、彼らは「チベットを米国の帝国主義から守る」というのを大義名分にしていた。憲法にもしっかりそう明記してある。また、ダライ・ラマ法王を頂点とするチベットの体制を尊重するとも書かれている。

 ところがいつの間にか中国の侵攻の目的がチベットの支配階級を打倒することにすり替わってしまった。条文自体は変わっていないのに、言葉をすり替えて自分達に都合のいいように振舞うのが中国なのである。

 チベットの防衛と外交は中国が担当する、とも書かれており、それ以外の内政に関してはチベット人の考えを尊重するという風に見せかけているが、実情とは大きくかけ離れている。

 チベット人を油断させて、実際には内政も中国にいいようにされているのが現状であり、「自治区」になった時点で「自治」などないのである。

 中国と付き合うときには口約束などもってのほかで、条文にしたものであってもすり替えるのだから油断がならない。その狡猜さを国際社会はしっかり理解しておく必要があるだろう。

 中国はチベットに対して、あるときは弾圧し、あるときは柔軟な姿勢を見せる。水前寺清子の歌ではないが、「三歩進んで二歩下がる」のが中国のやり方であり、ある時期柔軟な姿勢を見せてはいても、確実に中国側は一歩前進しているのである。

 日中関係を見ても、一九七〇年の「日中国交正常化」を果たしたにもかかわらず、「正常化」していないのは明らかである。

 毎年新しい要求が出され、「文書で謝罪しろ」「教科書を書き換えろ」「靖国に参拝するな」などという。その一方で、ある時急に「微笑外交」に転じる。だが、これに騙されてはいけない。

 チベットはイヤというほど中国の手口を知っている。中国の外交戦術を知るには、チベットをケーススタディとするのがよいだろう。

 中国のチベット制圧の歴史を簡単に振り返ると、一九五一年から七〇年代までの二十年間、中国政府は軍事力による侵略を行った。六五年に自治区を成立させ、六七年に共産党支部を作ってからは、政治的侵略を行うようになった。

 さらに八○年代からは多少、中国が世界の世論を気にするようになり、国際的立場も上がってきたため、中国政府はダライ・ラマ法王との対話路線を引き、柔軟政策をとってきた。

 しかし時期を同じくして二〇〇〇年あたりからは経済的侵略を行うようになった。鉄道を完成させ、中国人を移住させて、政府ではなく民衆によるチベット搾取を行い、同化政策をとるようになったのである。まさに長期的計画でチベット支配を実行しているのである。

 特に経済的侵略による同化政策はかなり効果を挙げている。軍事的に中国がチベットを支配していた頃は、中国から命令によって人が送り込まれてきた。その人たちは「命令によって辺境の地に左遷された」との思いが強く、チベットに根づくことはなかった。

 それでも五〇年代は革命思想があったため何とかなったのだが、やがて共産党幹部も含めて、明らかに不便な土地にむりやり行かされ、歓迎されることもなく、下手をすれば自分が刺されかねない。このような状況の中にいることなど誰も望まなくなっていったのである。

 ところが経済的侵略を重視するようになってからは状況が一変した。現在チベットに居住する、今回民衆にターゲットにされている中国人の多くは、経済的利益を追求してチベットヘ来ているため、当然すぐには帰らない。また、中国人の犯罪者に「チベット行きを了承すれば釈放する」ともちかけ、融資までしたうえでチベットに送り込むのである。

 人間は、例えばビルの屋上まで上がるのに、「屋上まで歩いて来い」と命令されればうんざりするが、「屋上に一億円がある」と言われれば喜び勇んで駆け上がるものだ。

 それと同じように、「チベットに行けば経済的未来が開ける」と宣伝することで、中国人がこぞってチベットにやってくるようになった。特にチベットに近い内陸部の人々が多く、内陸部は沿岸部に比べて経済格差があるうえ環境的にチベットヘの順応性もあるため、定着してしまっているのである。

 音楽や着物まで同化

 中国の同化政策は様々な角度から行われており、文化的な面にも及ぶ。細かいことで言えば、チベットの音楽には独特の音階があるのだが、それまでも中国風に変えられている。チベットの民族衣装は、着物の帯を取って夜にはそのまま布団代わりにできるくらい長いものであるが、その着物を作るための長い生地を売らない。そうなると中国風の短い着物を作るしかない。このような小細工までするのである。

 他にも「チベット語を教えてもいい」と一見懐の深いところを見せておきながら、教えられる人を刑務所にぶち込んでいるし、高等試験は中国語でしか受けられない。これではチベット語だけを学んでいても就職できないので、中国語を学ばざるを得ない。

 学校の授業では「チベットの歴史」という言葉を使うことができない。チベット語で「歴史」とは「国物語」を意味しており、そこに「国」という表現がある以上、認められないと言うのが中国の言い分である。

 寺院も六千あったもののほとんどが破壊され、八つしか残らなかった。その後かなりの数の寺院を修復したのだが、世界的に価値のある寺院は国が、その次のランクは地方政府が修復予算を組んで行った。

 が、それもチベット文化を大事にするためではなく、寺院復興のための、外国にいるチベット人の仕送りや日本からの浄財や、寺院目当ての観光客の落とす外貨稼ぎのためであった。侵略のために邪魔なものはどんなにささやかな民族文化でも破壊しつくすのが中国なのである。

 拡大思想は続

 中国の拡大思想はチベット侵略で留まるものではない。チベットの次はネパールなどの周辺諸国に手をのばし、場合によっては日本まで中国の中華帝国の野望の餌食にしかねない。

 中国の目的はチベットの資源を搾取し、人口を移住させて同化政策を進めていくことである。

 よく「チベットは独立しても経済的に立ち行かなくなるのではないか」「なぜ中国はチベットのような小さな国に固執するのか」と言われるが、自然も資源も豊かなチベットは、中国に侵略される前の五〇年代には、中国よりも豊かだった。

 チベット人が独立を取り戻せば、三十年から五十年の間には、アジアでも上位の暮らしができるくらいに成長するだろう。だからこそ中国に狙われるのである。

 また地政学的に言えば、中国はチベットを押さえたあと、最終的には南下して海に出ることを目論んでいる。インドとの間には棚上げされているとはいえ領上問題がある。パキスタン経由でアラビア海やインド海に出ることを画策しているのである。

 しかも中国があれだけの人口を抱えていては、領土を広げない限り国家が維持できない。このような思惑を世界が認識しない限り、アジアに安定がもたらされることはない。

 チベット問題に関しては最終的にはチベットの民族自決権の問題であり、チベット人が自由意志を明確に表明できる環境で決めるべきことだ。

 現在チベット人にも中国に対する免疫ができてきており、ダライ・ラマは独立を放棄し、高度な自治を求める中道政策を取っているため、多くの人は「法王に従う」という。しかしそれは表の言葉であって、お茶を飲む時の乾杯の挨拶は「チベットの自由に乾杯」という。特に若い人たちの間ではこの傾向が強くある。

 もちろんチベット人の中にも現在の経済発展で潤っている人たちもいる。今はともかく中国がいてくれたほうが良いという考えもあり、私自身もそういう考えに対して批判的ではない。むしろ外からはガンガン批判をし、中にいる人たちは自分達の力で自立できるくらいの経済的、文化的な力をつけておくことが必要だ。

 日本がアジアの先頭に

 今回の騒動はすでに周辺各省に飛び火したが、さらに広まれば世界各地から北京オリンピック中止の声が上がってくる可能性がある。チベットだけではこの暴動が拡大するのは難しいかもしれないが、今回の行動の副産物のような形で、欧米などで動きがあるかもしれないし、流れのなかで、参加拒否をする選手も出てくるかもしれない。

 それだけに、今回のチベットの暴動をただ「人権問題」だけにとどめてはならない。「チベットのお坊さん達は自由にお経を唱えられなくて可哀想だ」「チベット人が文化を守るために戦っている」という類のものではなく、アジア全体の平和の観点から見るべき問題なのである。

 中国はこのまま民主化と開放を続けてもつぶれるし、弾圧してもつぶれる。中国がむやみにつぶれる事態になれば、周辺国の安定に大きな影響を及ぼすことになる。

 中国が緩やかな連邦制をつくり、健全なメディアを持ち、ソフトランディングするように誘導するしかない。そのためには中国以外のアジアの国々が共同歩調をとる必要があり、日本はその先頭に立たなければならない。 (了)

※ 『WILL 』(2008年5月号)より転載

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