« 物事は見る視点によって変わる (上) | トップページ | 神秘の国チベット 弾圧の中での青春 »

2008年4月26日 (土)

物事は見る視点によって変わる (下)

かつての日本は、ヨーロッパ諸国同様、のれんと創業者以来の家訓を大切に重んじてきました。その店ならではのものを大切にし、いわゆる老舗の精神を受け継ぎ、また顧客もそのような店と長いつき合いをして、客と店の百年を超える代々の信頼に基づいて、共に支え合ってきたのです。

このような企業の伝統を壊すことには忍び難いものがあります。昔の企業の社員の中には必ず大番頭的な存在の人や、その会社について何でも知っている裏方がたくさんおられ、その方々が日本の産業を支え、経済を支え、人々の生活を支え、そして伝統と良き仕事倫理が受け継がれてきました。これはヨーロッパなど伝統豊かな国々と共通した面がありました。時計であればロレックス、セイコーなど、靴であればバリー、衣類であればバーバリー、或いは和菓子であれば虎屋、絹であれば龍村、赤福や吉兆などもこれに類するかもしれません。

しかし昨今はそれらの伝統的なブランドネームを付加価値として、本来の伝統分野以外の領域まで手を出し、名前だけに大量のコマーシャル費用を投入し、支店を増やすことに夢中になったり、伝統を重んずる人々を古臭い邪魔者で時代遅れの頑固者扱いをして排除してきました。

私の狭い交際範囲で見る限りにおいては、あのバブル期でも家業を大切にし、あまり手を広げなかった経営者は会社を守り通しましたが、伝統を無視し調子に乗った者はそれなりの代償を払うことになったように感じます。

また最近、日本では農業を株式会社化しようと意気荒く主張している人々もいるようですが、農業は真の農民でなければ本当の意味での成長はないのではないかと私は思うのです。ただ単に農業労働者を増員すること、特に日本の農民を農場から追い払って外国から安い賃金で農場労働者を連れてきて株式会社が農業をすることは、時代に逆行し、昔の小作人制度に戻るようなものではないでしょうか。

農業には土地に対する愛着を持つ農民の手と、大自然を敬う気持ちが必要です。天皇自ら毎年田植えの儀式に臨まれる国は素晴らしいと思い、日本の農家の人々に対しては常に尊敬の気持ちを持ってこの四十数年生活をしてきました。そのような気持ちのせいか、私は日本のお米がとにかく美味しいと思い、何とも不思議な感覚を持っていました。

同じこの日本で生活してきた竹中さんと私が、これだけものの考え方が違うのは、それぞれの視点が違うから世界観も違ってくる訳です。私はあの短い安倍政権は、少なくとも日本を衰退への道から少し救済でき、日本国を延命できたと評価しています。特に教育改革など不十分ではありますが、その試みと貢献度はいずれ歴史が正しく評価してくれる日がくるのではないでしょうか。日本のマスコミがもう少し健全、公平になり表面的な改革を唱える人々のみならず、少数派の意見も国民に伝えるチャンスを与えるようになれば、国民はいろいろな視点から自分を見、自国を見、世界を見ることができ、その中で正しい道を選択できるようになるのではないでしょうか。残念ながら今のところ、日本のテレビ、ラジオ、大新聞などは成金主義者、物質至上主義のみを重宝がっているように見えます。皆様はどうお考えでしょうか。 (了)

※『向上』(2008年5月号)より転載

|

« 物事は見る視点によって変わる (上) | トップページ | 神秘の国チベット 弾圧の中での青春 »

幸せって何だろう?」カテゴリの記事