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2008年5月16日 (金)

中国は五輪を開催する資格があるのか (下)

”血まみれのスタート”となった北京五輪

当初、中国は華々しく聖火ランナーの式典をやる予定だった。世界中がランナーを拍手喝采で迎えるはずだったのである。

だが、中国側の過剰防衛と私服の護衛隊による挑発的行為のため、世界各地で、まったく穏やかでない方向へと展開しているのは、連日の報道を見れば明らかである。

今となっては中国に対して、オリンピック開催を認めたことへの責任を言及する動きさえ出始めたほどだ。

二〇〇一年、中国が北京をオリンピック開催地として名乗りを上げたとき、当時の北京市長は、「われわれは世界に対し、中国の目覚ましい発展と人権、民主主義の進歩を披露する」と断言したものである。

同様にダライ・ラマ法王はじめ、当時、「中国に北京オリンピック開催のチャンスを与えるべきだ」と主張した人々も、中国がオリンピックを主催することによってさまざまな改善が行われ、特に人権の尊重や民主主義の促進に寄与することを期待したのである。

しかし、オリンピックが既に”血まみれのスタート”で始まった以上、当初の期待は見事に裏切られたと言うべきであろう。

あと開催まで残すところ、数力月となり、北京政府がオリンピックをあくまで継続しようとするならば、ダライ・ラマ法王と直接、建設的な対話に入り、今回、逮捕した千人とも二千人とも言われる人たちを即時に解放しなければならない。

また、中国国内で人権や民主主義のために捕まっている政治犯を釈放し、中国が人権を尊重する国であり、オリンピックを主催する国として、ふさわしいことを一日も早く世界に対し、示さねばならない。

それができないのであれば、このオリンピックが不成功に終わることは火を見るより明らかだ。

メディアはいつの間にか聖火ランナーにだけ注目し、問題の本質について忘れているような気になる。

そもそも、この問題の本質は中国によるチベットヘの侵略に端を発しているのだ。

今日において、他のアジア、アフリカの植民地や属国が次から次へと独立し、また大国が細分化される中、中国だけがチベット、ウイグル、内モンゴルなどいまだに占領支配を継続し、植民地支配を行っている。

ダライ・ラマ法王の誠意に基づく中道の路線、すなわち真の自治への提言は法王ならではの譲歩であり、寛容な処置であることは言うまでもないが、過去六十年間の中国のやり方と現在も続く共産党一党独裁の支配については、たとえそのような真の自治、または高度な自治が約束されても、それが守られるという保障はどこにもない。

ましてや民族自決権のない自治は「絵に描いた餅」になるのは今までの状況が物語っている。現在、中華人民共和国の自治区、自治州などを合計すると、約五百万平方キロ硫に達し、中華人民共和国の全体面積(約九百四十万平方キロ材)の半分以上となる。

しかし、残念なことに、現段階においては、この「自治」とは名ばかりであり、実際は、自治など存在しない”形容詞”として使われているに過ぎない。

だがもし、中国の指導者がダライ・ラマ法王の提言に真剣に耳を向け、胸に手を当てて考えれば、中国そのものが大変革し、発展と繁栄を確実にするための「鍵」になるはずだ。

胡錦濤が言う「調和のとれた社会」は、まさに「自由と平等に基づく民主的な社会の確立」から生まれると私は思っている。

そうすることにより、中国とその周辺の各民族、諸国の安全と安定も確保され、アジアの平和と世界の平和に大きく寄与するであろう。

いつまで人民の血を流す行為を続けるのか

中国人(有識者も含め)と議論をして思うことは、中国は自ら作文した歴史観と、このモザイク国家が「いつ崩壊するか」という恐怖が混じり合った不安感を持ち、それを隠そうとするがために不自然な時代錯誤的な行為をする。

そのために「蜘蛛の巣」にかかった虫のように怯えているように感じる。私は、中国が真の発展と永久的安定を望むのであれば、自らこの「蜘蛛の巣」を破り、勇気と知恵を持って、二十一世紀の世界の常識と現状に照らし合わせた「確かな脱皮」を行うことが必要である、と思うのである。

過去六十年間、中国がチベットに対して行ってきたやり方は、問題の解決に何ら建設的に貢献していない。そのことは、今回の抗議デモとそれに対する中国のやり方で十分にわかるであろう。

今回の抗議デモで、中国当局は「十九人の死者を出した」と言っており、チベット亡命政府は「百四十人の死者が出た」と発表した。このように毎年、人民の血を流すような行為を、いつまで続けるつもりであろうか。

中国の最近の新聞を見て驚いたのだが、いまだに文革時代のレトリックで、かつてチベットが残酷きわまりない社会であったような印象を与える記事が掲載されていた。チベットでは厳しい法律のもと、罪人は目玉をくり抜かれ、足を切断されたとして、一九六〇年代に使われた写真を載せて、世界を丸め込もうとしているのである。

だが、確かに、そのようなことはチベットの一部で過去にあったかもしれないが、全体ではないし、また、逆に言えば、そのような法律がチベット全土において実施されていたとしたら、それは何よりも「チベットが中国と違う」「中国の法律が及ばない国である」という証拠ではないだろうか。

今回の抗議デモなどを見ていると、大半は中国共産党の元で育てられた若者がデモに参加している。

もし、中国が言うように、彼らが高度な教育を受け、そして彼らが自ら自国においてその教育を生かして活躍するチャンスと場があって、幸せとなっている、のであれば、あのような行動を命がけでするだろうか。

世界各国の議会では、中国のチベットにおける人権を無視した行為と、中国における人権抑圧に対する決議文が相次いで出されている。

アメリカのように、「チベットが占領下の国家である」という位置づけをするような決議文までが出されるようになったことは、国際社会にチベット問題の認知度が広まっていることを意味している。

幸いにして、日本でも最近は国会でチベット間題を言及する場面が見られるようになった。また、メディアにおいても、かつてのように中国専門家と称する、中国に影響された文献にばかり頼り、”中国フィルタ”を通した見解しかなかった専門家からは距離を置き、現在では、若い学者やジャーナリストの中でも世界に通じる見識と知識を持った人を多く起用しているようだ。

日本にいる中国の有識者の中でも、自国の過ちに気がついている人は多くなっている。だが、現状においては、それを指摘するまでには勇気と覚悟ができないことも十分に理解できる。

今回、世界の指導者のノーベル賞の受賞者たち、中国の法律家や作家、ジャーナリストなど、二十数人が勇気をふり絞って、中国当局のチベット問題の対応を批判し、ダライ・ラマ法王と真剣な対話に臨むことを要請する声明文を発表している。

オリンピックはあと数力月で始まり、終わるが、チベット問題をはじめとする中国の周辺民族間の問題、中国の民主化の問題は、その後も対応せねばならぬ問題として残ることは間違いないのだ。

中国はその問題の本質を隠すためのカムフラージュとして、ある時は飴と鞭、ある時は鞭だけを使い、その場限りの解決を求めている。そのような対応を取っている限り、問題の本質は変わらないのだ。

国際社会は、過去六十年あまりの政策を反省し、改める勇気と知恵を中国首脳がどう対応するか、をよく見てほしいのだ。

また、今回の聖火リレーと、それに対する関心が、ただの花火に終わることなく、中国が真に国際社会の一員として誇れる行為を取り、チベットの人々やその他の同じ境遇の人々が真の自由を勝ち取ること。そして、アジアに真の平和が訪れるまで、末永くこの動向が見守られることを私は祈っている。 (了)

※ 『正論』(2008年6月号)より転載

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