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2008年5月25日 (日)

中国にとってチベット問題とは何か

騒乱を通して中国は最も醜悪な一面を世界に知られた。解決にはダライ・ラマ法王と対話するしかない

世界が知った恥部

──北京五輪の聖火リレーに対して、英仏はじめ各地でチベットの自由を訴える抗議活動が広がっている。チベツト自治区の状況は?

 形の上では沈静化に向かっている。第十四世ダライ・ラマ法王が四月六日に出した「チベットの人々はオリンピックの障害となることを起こすべきではない」との声明もあり、中国当局は周辺軍区から応援部隊を動員して押さえ込んでいるからだ。
 しかし、実情を見ると、民衆の自発的な抗議活動は続いている。特にチベット自治区の東にある青海省、甘粛省、四川省では散発的に起こっているし、三月三十日にはラサでも二千人ほどの抗議活動があった。
 世界的には、ネルソン・マンデラやジミー・力ーターなどノーベル賞受賞者や現職を離れた著名な政治家たちが中国政府に対して、チベットにおける人権弾圧をやめ、法王と対話するよう呼び掛けている。中国国内の民主活動家をはじめ世界チベット学会や日本の国民新党、議員連盟など、宗教界では全日本仏教会や日蓮宗なども声明を発表した。これら内外の支援に心から感謝したい。

──ダライ・ラマ法王が沈静化のメツセージを出したのは?

 二つの意味があると思う。一つは、チベットの遊牧民までが抗議活動に加わり始め、ゲリラ戦になる怖れが出てきたので、それを防ぐこと。チベット自治区の第一書記も「人民戦争だ」と発言しており、やがて「一人残らず殺す」になりかねない。法王はチベット人の犠牲者を増やしたくないのだ。もう一つは、中国に対して、「今までは騒乱が拡大しないように努力してきたが、これ以上弾圧を続けると抑えきれない」という警告を発したのではないか。実際、法王が自制を求めているのでチベット人も我慢しているところが大きいが、もう怒りが限界に来ている。だから、法王があのような呼び掛けをしなければ、勝ち負けは別として、民衆はもっと抵抗活動をしたと思う。

──背景には近年の中国人によるチベットヘの経済侵路があるのか。

 そもそも、一九五一年にチベットとの間に結んだ十七条条約を中国が破り続けているからだ。同条約では、内政・文化・宗教において高度な自治を保障するとある。中国のチベット支配の実態を見ると、チベット人やチベット文化そのものを抹殺するような民族的、文化的虐殺が行われている。
 チベット問題は決して中国による不当な支配の問題だけでなく、今や世界有数の経済大国になった中華人民共和国の体質的な問題だと、世界は知るべきだ。世界の主要国になり、オリンピックのホスト国ともなれば、経済以外の国の内容も問われるようになる。その意味で、今回のチベット騒乱が意味することは大きい。

──中国当局はチベットが戒厳令的な状況になるのを、むしろ望んでいるのでは?

 今も実態は戒厳令だ。オリンピックが近づくにつれ民衆を抑えきれなくなりつつあり、大規模な争乱がチベットから起こることを恐れている。そうなる前に、軍事力で徹底して押さえ込み、五輪を見に来る外国人には自由な旅行を許可しないようにしたいのだろう。当局としては、それ以外に選択肢がない。その意味では、中国政府も追い込まれているのではないか。
 中国政府に自信があるのなら、オリンピックは世界に向けて自国の発展ぶりを宣伝するよい機会なので、外国人も自由に全国を旅行できるようにしたいだろう。しかし、外国には隠さないといけない部分がある今の中国はそれができない。

──聖火リレーがエベレストまで走るのは?

 チベットが中国の一部であることを国内外にアピールするためだ。それによって彼らの支配の正当化を図ろうとしている。しかし、その意図は外れてしまった。少なくとも、今回の騒乱で世界の多くの人々は中国のチベット支配は極めて不自然で問題があることをはっきり知っただろう。
 エベレストのごみ掃除をしているアルピニストの野口健さんが、「エベレストはごみの山から政治の山になったので、もう登りたくない」と言っていたが、世界の人たちが中国に対してそういう印象を持ち始めている。

民族独立を恐れる

──元々チベットの領土は自治区よりも広かったのか。

 今の自治区の二倍、現在の中国全土の四分の一くらいを占めていた。チベット人は中国の内陸地帯の広範囲に住んでいて、青海省、甘粛省、四川省から雲南省あたりまで、歴史的にも文化的にもラサに通じている。例えば、日本人はパンダは中国の動物だと思っているが、実はチベットの代表的な動物だ。

──チベットは山岳地帯の厳しい風土という印象だが。

 私が生まれた西チベットは野菜や果物も豊富で、外国の人たちが想像する月面のようなチベットとは大違いだ。自然も豊かで恵まれている。

──中国がチベットにこだわる理由は?

 第一にリチウムなどの希少金属やウランなどの地下資源に水資源、そしてアジアの屋根としての地政学的な戦略的重要性からだ。

──法王のメッセージで沈静化するか。

「独立を求めない、平和的に解決する」という法王に対して、中国支配下のチベットに生まれ育った若い人たちの間には、「中国政府は信頼するに足る相手ではない」との思いから、法王の考えは甘いという意見が確かにある。ただ、今のところは、最終的には法王が決めたことに従うという気持ちが強いと思う。
 中国政府は法王が海外から糸を引いて計画的に騒乱を起こしていると言っているが、それは事実ではない。むしろ、法王がインドに亡命した後、中国支配下で育った子供たちが二十代から三十代になり、彼らが中心になって騒乱を起こしている。それは、中国の統治が成功しなかったからだ。

──チベット自治区は自治区の名に値するのか。

 中国政府は甘粛省や四川省に蔵族(チベット人)自治区を設けたが、中国では自治区というのが自治のないことを証明しているようなものだ。青海省や四川省あたりには昔、アムド、カムというチベット最大の州があり、今のチベット自治区の大半は元のウツァン州だった。チベット人にしてみると、自分たちは南北ベトナムや朝鮮、東西ドイツのようにはなりたくない、あくまでも歴史的、文化的、宗教的に一つの国だったチベットを回復するというのが民族の総意で、法王も常に強調している。

──中国当局は騒乱が他のチベット人居住地域にも広がることを警戒している。

 さらに新彊ウイグル自治区や内モンゴル自治区にも拡大する恐れがある。北朝鮮もその一つではないか。騒乱が少数民族の独立につながると、中国は国土の73%を失う。

──中国政府はそうした地域に漢民族を移住させ、経済を握り、通婚などを通して実質的に支配しようとしている。

 かつては命令で行かせたが、今は経済的なインセンティブを与えて移住を奨励している。だから、金目当ての漢民族が押し寄せてきて、チベット文化が破壊されるようなことも起こる。例えば、チベット人は銀のスプーンなどを庶民も好んで使うのだが、それを漢民族が安値で買占め、香港の骨董屋に売ったりしている。市場経済化で現金が欲しいチベット人は、安くても手放してしまう。現金がないと暮らせないようにしているので、半ば強制的だ。
 モンゴル自治区では漢民族とモンゴル族との割合が九対一で、ほとんど制圧されてしまっている。騒乱が起こるのはチベットと新彊ウイグル自治区くらいだろう。

法治国家以前の中国

──第十四世ダライ・ラマ法王も七十三歳と高齢になり、後継者を含めチベットの将来をどう展望しているのか。

 数年前から政教分離を進め、政治の分野では二〇〇〇年から直接選挙で亡命政権の首相(主席大臣)を選ぶようになった。それにより、首相がチベット人の代弁者となることの正当性を与え、法王は「私はセミ・リタイアだ」と言っている。閣僚の人事権などは首相が持っているので、もし法王が活動できなくなっても、政治的な空白は生じないだろう。
 宗教的には法王は輪廻転生されるので、生まれ変わった少年が探し出されることになる。これに関しても法王は、「共産主義政権の支配下では生まれない」と断言している。

──高度な自治が確保できれば、中国の一部としてやっていけると思うか。

 法王が現実的な問題を把握し、ベストの選択肢を選んでいると思う。しかし、過去六十年間の経験から言うと、中国共産党の政権そのものが変わらなければ、自治も絵に描いた餅だろう。法王の言われることは理解できるし、チベット人の総意としてのご意志には従うが、同時に中国そのものが法的な整備も含め公正な政治が行えるようにならないと、今までの自治と変わらないと思う。残念ながらまだ中国は法治国家とはいえない要素があるので、それが今後どう変わるかによって違ってくる。

──胡錦濤政権が強攻策に出ているのは人民解放軍を抑えるためとの見方もある。

 一九八九年にチベット自治区で激しい独立運動が起きた時、当時、同自治区の共産党書記だった胡錦濤が現場の指揮を取り、チベットに戒厳令を敷いた時は、上の命令に従ったからだろう。その後、国家主席の座に就いて世界を意識せざるをえなくなったので、今回の騒乱で武装警察が強攻策に出た時は、おそらく中央では全部を掌握しておらず、公安当局が独走しているからだと思った。
 しかし、その後、温家宝首相の記者会見や、聖火の採火式に胡錦濤自らが出席したことをみると、やはり彼も権力の座に就くと、同じような強攻策を取るのだろうと思えるようになった。胡錦濤は軍事委員会主席にもなり、本来なら統帥権を持っているはずだが、まだ完全には掌握していないようで、これからの見極めが必要だ。
 中国の人民解放軍はまだ完全な国軍にはなっていない、いわば共産党の私兵だ。しかも他の国の軍隊と違って軍自体が経済活動をしている。中国の権力は表向きの全人代(全国人民代表者大会)に基づく政府と共産党、さらに軍の三重構造になっているので複雑だ。憲法では共産党が指導することになっているが、実際には軍が圧力団体として大きな影響力を持っている。

──IOC(国際オリンピツク委員会)は政治には関与しないとの立場だが。

私は「政治問題にしてはならない」という発言こそ、最も政治的な発言だと思う。しかも、問題の本質から逃げていて、極めて卑怯なスタンスだ。オリンピックは国家の権威を示す祭典でもあり、全くの政治抜きの開催などなかった。モスクワ五輪のように参加をボイコットすると、確かに選手はかわいそうだ。それには同情するが、I0Cやホスト国は五輪を政治利用している当事者であり、我々も抗議活動をすることで政治利用している。それは世界の人が認めている事実だろう。

──日本政府の姿勢をどう思うか。

 チベット問題のみならず毒ぎょうざ問題もまだ解決していない。靖国神社についても内政干渉を受けている。こと中国に対して日本政府は、主権国家としての振る舞いができていないと思う。
 経済的利益から中国と問題を起こしてはならないという経済人がいるが、三月の全人代で胡錦濤が発言したように、チベットなど周辺地域が安定しない限り中国の安定もないので、この問題に目をつぶることは、長期的には中国の安定にマイナスになる。中国を安定した市場とするためには、政治的安定を促すべきだ。そうしない経済人は、目先の利益だけを考え、本当の国益は考えていないのではないか。

法王との対話始めよ

──チベット人は中国政府に何を求めるのか。

 各国の議会で決議文が出されているが、チベットは今は中国の占領下にある国だという認識をはっきり持つべきだ。中国が併合するのであれば、軍事力によるのではなく、民意を尊重した形で正式な手続きを踏まなければならない。それが中国のためにもなる。それにはダライ・ラマ法王と対話をするしかない。

──チベット人の独立志向は?

 それは強い。この六十年問、チベットが地上から消えなかったのは、やはり仏教のお陰だと思う。世界中にチベットがこれだけ知られ、友人ができ、チベット仏教の信者が増えたのは、チベットニ千年の歴史上初めてのこと。その頂点に立つ法王の力は依然として大きい。国際世論を背景に、中国首脳との対話が実現し、法王が求める自治に向かって進むようであれば、民衆も落ち着くのではないか。それは胡錦濤政権にとってもプラスのはずだ。中国の最も醜悪な一面は、いまだに植民地を持っていることで、それを解消すれば中国に対する国際評価は高まるだろう。

※ 月刊『世界思想』(2008年6月号)より転載

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