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2008年6月27日 (金)

国 日本は国家として機能しているでしょうか (上)

 四月二十四日、オリンピック聖火リレーに反対する人々が長野に結集し、特に中国大使館によって招集を掛けられたオリンピックを支援する留学生らとぶつかりあいました。

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 その時、台湾国籍を有し、台湾からわざわざ抗議デモに参加するため日本にやって来たチベット人タシ・ツェリンさんが、卓球の愛さんの前に飛び込んで阻止しようとしました。彼は周囲の警官に捕らえられ、その後二十日間拘留されました。二十日間の拘留のうちの十七日間は当局によって厳しく取り調べられ、長い時で一日約十二時間に及んだそうです。タシ本人は、日本の警察や検事は義務を果たしただけだと言っていましたし、またその取り調べ方も極めて人権を尊重するやり方で、徹底的に調べはしましたが特に人道的に外れた行為はなかったということでした。そして最終的には五十万円の罰金を払い釈放されたのです。
 ここで私が問題にしたいのは、現場の警察官や担当の検事ではありません。実行部隊としての現場の警察官らに対して命令を下した方々や、五十万円の罰金を決めた裁判官の国家観、人間性についての疑問から、日本という国家の現状について大きな不安を感じたと申し上げたいのです。

 というのも、私が大学生であった頃、国家とは固有の領土が存在しそこに国民が在住し、国民は機能的な政府のサービスを受け、その政府と国民は法によって縛られ守られる、と習いました。後になって、国際環境の変化の中で、その政府と国は他の国と政府によって承認されるという条件が加えられました。また海洋法などの確立により、その政府の法律の及ぶところは海に関しては排他的経済水域として二〇〇海里が定められ、領空に関しても垂直で約三万キロメートルというような慣例ができているようです。

 また国連などにおいては、主権平等の原則に基づいて前述の条件を整えた国家の主権は、領土的な大小や経済的な強弱、人口の多少に関係なく主権平等の原則と主権は侵すべからずの基本原則が確立されています。

 これらの原則に照らし合わせてみると、今回の長野における警察や公安当局の態度は、反対する側のみを厳しく取り締まることで日本を中国の属国とするに等しく、中国側に対して無法地帯化を許すものです。

 例えば当局に逮捕されたタシさんについても、判決を下した裁判官は、結果としての彼の行為だけを考慮の対象にし、なぜ彼がそのような行動に至ったかという原因については何も考慮していないようです。徳川時代の時代劇を見ても、大岡越前守の「喧嘩両成敗」という裁きの公平さに感銘を受けますが、今回の裁判官や当局はこの公平さを失い、逆に弱者をいじめることに懸命になっているように見受けられました。 (続く)

※『向上』(2008年7月号)より転載。

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