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2008年6月 5日 (木)

聖火リレーの逮捕劇に思う

チベット人に重い罰金

中国優先する国家観を象徴


中国留学生との小競り合いで

 世界日報の読者の皆様と世界日報社に対しては日ごろからチベット問題に多大な関心を示していただき心から感謝申し上げたい。特に今回は長野で聖火リレー抗議デモに参加したタシ・ツェリンさんの身柄拘束に関しても皆様のご支援のおかげで去る五月十六日午後釈放された。百通以上の支援の手紙が全国から届いたようで、日本の皆様にお礼を伝えてほしいと言付けられたのでここに報告申し上げたい。また罰金についても全国から七十八万円のカンパが寄せられ、罰金を支払えたほか帰国の交通費まで賄うことができ、心から感謝申し上げたい。

 ただ今回の事件は日本国の国家としての主権に対しても考えさせられたため、下記の通り考えを提言したい。

 四月二十六日オリツピック聖火リレーに反対する人々が長野に結集し、特に中国大使館によって招集を掛けられたオリンピックを支援する留学生などと小競り合いがあった。台湾国籍を有し、台湾からわざわざ抗議デモに参加するため日本にやって来たチベット人タシ・ツェリンさんが「卓球の愛ちゃん」で親しまれている福原愛選手の聖火走行の前に飛び込んでリレーを阻止しようとしたが、周囲の警官に捕らえられ、その後二十日間拘留された。二十日間のうちの十七日間当局によって厳しく取り調べられ、長い時で取り調べは一日約十二時間に及んだ。

 タシさん本人も日本の警察や検事は義務を果たしただけであると言っていたし、取り調べ自体も極めて人権を尊重するやり方で、徹底的に調べはしたが人道的に外れた行為は無かったという。最終的には五十万円の罰金を払い釈放された。

 私が間題にしたいのは現場の警察官や担当の検事に対しての苦情ではなく、実行部隊としての彼らに命令を下した方々や五十万円の罰金を決めた裁判官の国家観、人間性についての疑間であり、日本という国家の現状について大きな不安を感じた。

年収を遙かに上回る「50万円」

 国家とは固有の領士が存在し、そこに国民が在住し、国民は機能的な政府のサービスを受け、その政府と国民は法によって縛られ守られると学んだ。後に国際環境の変化の中でその政府と国は他の国と政府によって承認されるという条件が加えられた。

 また海洋法などの確立により、その政府の法律の及ぶところは海に関しては排他的経済水域として二百海里が定められ、領空に関しても垂直で約三万㌔㍍というような慣例ができた。国連では主権平等の原則に基づいて前.述の条件を整えた国家の主権は、領土的な面積の大小や経済的な強弱、人口の多少に関係なく主権平等の原則と主権は侵すべからずの基本原則が確立されている。

 この原則に照らし合わせると、今回の長野における警察や公安当局の態度は属国に等しく、中国側に対して無法地帯化を許し、反対する側のみを厳し く取り締まっていた。例えば当局に逮捕されたタシさんについても判決を下した裁判官は、結果としての彼の行為のみを考慮の対象にし、行動に至った原因につ いては一切考慮していない。今回の裁判官や当局は公平さを失い、逆に弱者をいじめることに懸命になっているように見受けられた。例えばタシさんは「ダラ イ・ラマ万歳」と叫んだところ、中国の若者たちは「ダライ・ラマ気違い」と罵声(ばせい)を浴びせたらしい。尊敬しでやまない法王をそのように誹諦(ひぼう)されて逆上した彼は聖火ランナーに飛びつこうとしたと言っていた。

 彼は卓球の福原選手が親中派であることも、後に胡錦濤主席と卓球の試合をするほど中国で重宝がられていることも知らなかったらしい。しかし彼は業務妨害という罪で逮捕 され、二十日間拘留された上、五十万円の罰金が科された。多くのチベット人にとって五十万円は年収を遥(はる)かに超える金額であり大変な負担である。

弱者への配慮や国際感覚なし

 今回は幸いにして日本の有志の善意でこれを賄えたが、この裁判官は弱者の立場への配慮も国際感覚も持っていないように思えた。日本の法律を侵し秩序を乱した懲罰は当然受けなければならないし、タシさんも日本政府と日本国民に迷惑を掛けたことを含め、深く謝罪したいと言っていた。

 しかし今回の一連の対応の仕方に、私が大きな不満と不安を抱いているのは中国側に対して何のお咎(とが)めもないことが不公平であり、正義に反すると思う。日本政府が中国だはに斬り捨て御免のような治外法権的免除を与えることは、日本国の国家の権威にかかわる問題であり、主権の放棄であるように思う。

 日本がまるで中国の属国のように振る舞うことは一時的な友好ムードをつくるために効果はあるかもしれないが、子孫に対して大きな汚点であり、独立国家としてはあってはならない。

※ 「世界日報」(2008年5月27日付)より転載

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