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2008年7月31日 (木)

携帯電話文化と若者 (上)

 先日、通勤電車で聞いた、私の隣のおばあさんとその隣の若い男性の会話です。

 おばあさんは怒ったような声で「その電話をしまいなさい。私は心臓にぺースメーカーをつけてるのだから」と言いました。すると若者は「しやべっていない」と言って反論しました。しかしおばあさんは「しゃべっていなくても、電波が悪いのです」と、さらに興奮気味に言い返しました。そこで私も、この若者に一言言わなければと体をそちらに向けたら、その若者は不機嫌そうな顔をしつつ携帯の電源を切りました。

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 正直に申し上げて、私は若者がしていることが本当に間違っているのか、そのおばあさんが神経質過ぎるのか良くわかりません。ただ以前から電車内で携帯電話を開いている人のメールを打つ親指のスピードを見て、この人たちの子孫は親指が大きくなったりするのではないかと思ったりしていました。

 車内放送や中吊り広告は、確かに「通話をやめてください」と表示していますが、それはマナーモードに切り替えれば電源は入っていても良いように受け止められても仕方のない表現です。はっきり申し上げて、私は車内広告や放送にも問題があるように思います。

 同様に電車がまだかなりのスピードで走っている時に、次に止まる駅の名前やプラットフォームを案内しても聞きづらく、意味がないように感じます。むしろそのような放送は減速して停車直前に案内してくれた方が、効果的であるように思います。

 また、携帯電話やデジタルカメラなどの電化製品を買うたびに受け取る、分厚い説明書や資料は無意味のように思い、紙など資源の無駄であり、環境問題でもあるように思うのです。それよりは必要最小限のインストラクションを、より大きい文字で表示した方が実用的で親切です。

 つまり私が言いたいことは、公共設備の利用や機械類の使用に関しては、利用者の立場よりも、マニアックな人々を満足させるのに懸命になっていると同時に、自分たちの責任だけ果たそうとする意志が先に働いているように思います。

 冒頭に述べた若者からすれば、皆がしていることで何故自分はそのおばあさんから文句を言われるのか納得いかないようでありましたし、実際そのような気持ちになっていたのかもしれません。昔は、ことの善悪は常識で判断していましたが、今はやってはいけないということ以外は全てやって良いと解釈されるような世の中に変わってきています。つまり多くの日本人は、出来事や行いの結果についてまで先に予測したり考えたりするような面倒くさいことは一切無意味だ、と考えているとしか思えません。 (続く)

※ 『向上』(2008年8月号)より転載

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