責任と支援(上)
今回は「責任と支援」について感じたことを少しまとめます。
最近、ある民族の在日協会の人々が協会発足の挨拶とリーダーとの顔合わせのため、私の事務所に見えました。もちろんリーダーとして同胞の人々をまとめる立場にある方々だけに、それぞれしっかりした考えの持ち主ばかりでした。それに加え、日本語が流暢であったことは言うまでもありません。この方々は、私がチベット人として長い間日本で活動してきた経験などを踏まえ、いろいろと意見を聞きたいということでした。当然ながら私は喜んでそれに応じることにしました。
会話が進むうちに、今までお世話になった日本の方々についての話題になりました。彼らは、日本人一人一人の今までの貢献に対して感謝しており、今後もご指導ご鞭捷を賜っていきたいという考えを持っています。ところが残念なことに、彼らの多くは「A氏が参加するのであれば私は遠慮します」とか「B女史とは名前を一緒に連ねたくない」という理由で、その在日協会への協力に肯定的な返事を貰えず、困惑していました。
私は「これはあなたたち自身の問題であって、あなたたちが今までのご厚意に感謝をし、礼を尽くしていれば、後は相手の良識に任せるしかありません。自分たちのほうから恩人を裏切ったりすることは決して良くありません。自分たちの立場や目的を理解して助けてくれる方が本当の支持者であって、彼らの感情的なこだわりに振り回される必要はありません」と助言しました。
助けるということは、私達それぞれのやろうとする目的を実現するために“力”(即ち精神的・知性的・物質的援助)をいただくことであり、援助者の思惑やわがままに振り回されることは、支援でも援助でもないはずであるとつけ加えました。
話は変わりますが、私の恩師の中に倉前盛通先生がおられます。先生はいわゆる“右より”とか“民族派”と言われる方でしたが、先生ご自身はそのようなレッテルを貼られることを特に気にされている様子はありませんでした。先生は常日頃「自分が正しいと思うことを信じ、行動しなければならない。人の中傷や評判など気にしていたら何も出来ない」と、おっしゃっていました。
そして倉前先生と反対の立場の論客に、歴史家の色川大吉先生という方がおられます。色川先生はいわゆる代表的左翼学者と言われたこともあったように記憶しています。倉前先生と色川先生は、それぞれ常に自分の立場を明確にされ、お互いに批判をしておられました。
一九八○年代後半、色川先生はチベットを訪問されました。そしてご自分がチベットで見、感じたことを、勇気を持って写実的に執筆された『雲莞(うんぼう)の国』という書籍を出版されました。その本の中で、色川先生は中国のチベット侵略を認め「社会主義体制における植民地支配があることに驚いた」と、中国のチベット支配の不当性を明確にされ、またチベットの悲惨な現状を雄弁に表現されました。 (続く)
※『向上』(2008年9月号)より転載。
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