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2008年8月20日 (水)

福田内閣は長期戦略を示せ

 新聞などによると自民党の有力議員の方々は内閣の改造を強く提言している。しかし政局は内閣改造のような整形手術で済むような事態ではないように見える。日本の周辺の国々は着実に領土に対しても既成事実に基づいて、自分の主張を進めている。今の日本の諸問題は内閣改造や政権交代だけで済むような病状ではなく、抜本的な手術が必要とされているのではないか。福田さんに代わって、小沢さんがたとえ総理になったとしても現状では何も変わらないように思う。ただ政治がさらに混乱するだけで、むしろマイナスの要因の方が大きいのではないかと思う。

 私の考えでは今日本が必要としているのは二十一世紀の日本の行方に対して、明確なビジョンを国民に説明できる能力とそれを実行するための勇気、さらにそのビジョンを理解し、そのために首相と運命を共にするダイナミックなチームが必要ではないか。残念ながら「角福戦争」以来、その場逃れのパッチワークのような施策があっても国家全体を引っ張っていけるような魅力的なビジョンと長期展望に立った戦略がなかったように思う。その時その時の世論の反応を見ながら、あるいは外圧に屈しながら何とか政権維持ができる程度のことしかやって来ていなかったように見える。

 内閣改造は、大臣の順番待ちの人にとっては大切であることは理解できるが、はっきり申し上げてどの大臣が代われば今の大臣より良くなるというのだろうか。これは総理大臣をも含めてのことである。真に総理大臣になるべき人、大臣になるべき人は明確なビジョンと自分ならでは、自分でなければならないという信念に立って自らの政治生命を懸けた行動に出て、政治を根底から揺るがして今の日本の閉塞感を打ち破るほどの勇気を持っていれば別の話である。

 しかし、残念ながら今そのような動きは見あたらない。国家、国民のために命を懸けたり、自分の地位を懸けて政治行動に出る勇気を持っている人がいるようには見えない。そのような状況において内閣を改造したところで政治が良くなるとか日本のためになると期待することはできない。せいぜい数カ月内閣の支持率が少し上がるだけで、それもそう長くは持続しないだろう。
 
 私はそれよりも福田首相が智慧を出して日本の今後百年の国家ビジョンを描くような政策を研究し、憲法改正をも含めて二十一世紀日本がどのような方向に行くか、何を求めるべきかを議論するためのビジョンを明確にして、国民に訴え、充分に説明した上で自分の政治生命と、自民党政権を懸けて総選挙に臨むべきであると思う。

 当然のことながら各野党もその福田さんの政策に負けない実行可能な政策を打ち出し、その政策を実現するための戦略を講じ、追いかけて来る中国とインドと対等に切磋琢磨して、アジアのリーダーとして世界に確固たる影響を持てるくらいの元気な日本の再生を目指すべきではないか。私は日本が国家として、良い意味での野望が足りないような気がする。例えば国連の常任理事国になって、アジアの代弁者になるといっても、本気で日本がアジアになるための意欲、魅力をアジアに対し、アピールできていない。つまり主権国家としての勢いとリーダーとしての犠牲的精神と到達、あるいは達成すべき目的が不明確なままアジアのリーダーを名乗ってもアジアはついてこないだろう。

 先日、八王子で自分の境遇に対して親が無関心であるため、何か目立つことをやれば親が注目してくれるのではないかと思ったといって馬鹿な行動に出た三十三歳の大人になりきっていない大人が現れたが、国民に対し充分な方向性を示さないという意味では今の日本の政治も同じではないだろうか。そして今日だけ何とかなればよい、私だけ何とかなればよいと思ってきた国民も今は強いリーダーシップと明確なビジョンを求めていると思う。

 政治家にとってこのような混迷の時代こそ自らの力量示すチャンスではないだろうか。そのせっかくのチャンスを内閣改造のような一時的な避難措置で現実逃避するのではなく、立派な政策を打ち出し、選挙を通じて国民に自らのビジョンと夢を訴えるべきだ。国民に夢を持たせるような自主、自尊、独立の精神を土台にした教育改革を目指した安倍内閣の時の政策を堅持し、そして、かつてのような全ての国民が共に栄える充実した福祉政策のもとで安心安全な生活が営めるように道徳と治安の回復を実現すべきではないだろうか。

※世界日報(2008年7月30日付)より転載。

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