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2008年9月

2008年9月28日 (日)

チベツトで暴行・強姦・住民虐殺を繰り返す中国

中国は少数民族に対する「民族浄化」を行っている

── 五輪開会式では民族衣装を着た子供の演出がありました。

ペマ 昨年の全国人民代表大会でも、少数民族の代表委員が民族衣装を着て参加していました。彼らは自分たちの行っている民族浄化を隠蔽するために、民族融和を演出したのでしょうが、全くの茶番としか言いようがありません。
 中国の紙幣には、漢字のほかにチベット文字、モンゴル文字、アラビア文字などが表記されています。それもまた、それらの文字を使用する民族が、自分たち中華民族のものであることを表現しているに過ぎません。
 中国の民族政策は、少数民族に対する「民族浄化」なのです。この恐るべき政策を隠蔽し、正当化するために、民族融和のイメージが巧みに利用されているのです。
 かつての満州国は跡形もなく消えて、いまや純粋な満州人は消滅してしまいました。南モンゴルでは、中国人とモンゴル人の人口比は8対2にまでなっています。チベットやウイグルもまた、このままでは民族のアイデンテイテイは奪われ、中華民族に呑み込まれてしまいます。
 チベットでは、中国の侵略・支配によって120万人もが犠牲になったとされています。チベット亡命政府の発表では、現在チベット人の600万人に対して中国人が720万人で、すでに人口比は逆転しています。首都ラサでは、人口37万人のうち、チベット人はわずか12万人、中国人はその倍以上の25万人に達しています。
 こうした人口構成に行き着くまでには、人口流入だけではなく、過酷な政策が進められ、かつては強制中絶すら行われていました。北京五輪終了後には、さらに100万人もの中国人がチベットに入ってくるとの予測もあります。
 宗教の自由も奪われました。かつて約7000もあった寺院のほとんどが破壊され、今はわずか8つしか残っていません。寺院の管理は民主管理委員会が行っていますが、それを牛耳っているのは中国共産党なのです。
 本来の宗教の自由とは、自ら信仰心に基づいて宗教儀式を自由に行うことですが、今やその宗教は、観光のためのものとしてエンターテイメント化されてしまっています。観光客の都合に合わせて、当局に時間を指定されて、お経を読まされるような有様なのです。
 チベットに対する同化政策は文化面にまで及んでいます。チベットの伝統音楽には独特の音階がありますが、それまでを中国風に変えられてしまいました。またチベットの民族衣装に必要な長い生地を売らないようにするなど、陰湿な小細工までしているのです。
 チベット語の存続も危うくなっています。中国当局は表面的には「チベット語を教えもいい」との立場をとっていますが、その陰ではチベット語を教える人を拘束しています。しかも、チベット語を学んでも、希望する仕事に就くことができないため、中国語を学ばざるを得ない状況に追い込まれているのです。

暴行・強姦・住民虐殺を繰り返す中国人民解放軍

── 漢民族のチベット政策は変化していますか?

ペマ チベットは、2100年以上の歴史を持つ国です。7世紀から9世紀頃まで続いた古代王国「吐蕃」の時代には、当時の唐と度々争っていたが、時には和睦を結び、唐の王妃をチベットの朝廷に迎えるようなこともありました。元の時代には、元の朝廷がチベット仏教に帰依し、チベットの寺院に多大な寄進をしています。つまり、チベットは当時「住職」のような存在で、元の政府は「檀家」のような存在だったのです。
 ところが、明、清の時代には、彼らはチベットを侵略・併合を試みるようになりました。しかし、それは成功しませんでした。一方、19世紀には、イギリスがチベットヘの干渉を強めました。 
 1949年に中華人民共和国が成立、翌50年に中国軍はついにチベットに侵入してきたのです。彼らは当初、「仏教の敵であるアメリカや他の帝国主義からチベットを守るためにチベットに来た」と、言っていたのに、やがてチベットの維持制度、社会制度にまで手を加え始めたのです。
 1951年に中国とチベットの間に締結した「十七条協定」においては、チベット民族の権利、信仰の自由、チベット語の公用化が約束されていました。しかし、中国はそれを一方的に破ったのです。やがて、チベットに駐留する中国人民軍による暴行・強姦・住民虐殺なども続発するようになったのです。1965年に「チベット自治区」を設立し、1967年には共産党支部を作り
ました。以来、中国は政治的侵略を露骨に進めるようになったのです。

── 中国は、経済的、地政学的にもチベットの領有を重視していますね。

ペマ チベットには、鉱物資源をはじめ豊富な資源がある。またさらにチベットには、インド、ネパール、ブータン、ビルマなどの国々に隣接しているという「地の利」がある。しかも、チベット、ヒマラヤは重要な水源地滞で、揚子江、黄河の水源なのです。中国の狙いは、チベットの資源を収奪し、中国人を大量に移住させて同化政策を進め、チベットを「チベット人の住むところ」から、「中国の一部」に完全に変えてしまうことなのです。

ラサ騒乱事件はチベット全土に波及した

── 3月20日にラサで騒乱事件がありました。どのような状況で起こったのでしょうか。

ペマ 中国は「ダライ・ラマとその一派が海外から糸を引いて、計画的・組織的な暴動を企てた」などと主張しましたが、まったくのデタラメです。
 もともと、北京五輪を控えていた中国は、「民主化に努力する」と約束していました。
 ダライ・ラマ法王が北京五輪開催を支持したのも、そうした中国の変化を期待したからなのです。法王は、中国が五輪を開催するにふさわしい「良識ある国であることを証明するべきである」と、語っていました。
 ところが、そうした期待は裏切られてしまいました。中国政府は、五輪開催に当たって、チベットが中国の一部であることを印象づけようと、様々な演出をしました。その一つが五輪のマスコットです。
 5つのマスコットの中にチベットの動物であるパンダと、チベットカモシカが含まれています。しかも、チベット人にとって聖なる山であるヒマラヤの最高峰であるチョモランマ(工ベレスト)に聖火ランナーを登らせることを計画しました。これが、チベット人の感情を逆なでしたのです。
 また、昨年10月にアメリカ議会がダライ・ラマ法王に「議会名誉黄金賞」を授与しましたが、それをお祝いするチベットの僧侶を中国当局が拘束しました。
 こうした中において、チベット人の抗議の意志が強まっていったのです。
 3月10日、ラサの中心地ジョカン寺近くにある土産物街バルコで、10人程度のチベット人僧侶や尼僧らが、チベット国旗を持って抗議行動を始めました。
 この3月10日という日は、1959年3月10日の「平和蜂起」から49周年に当たる日です。ダライ・ラマ法王は、1959年の平和蜂起に対する中国当局の弾圧に直面、宮殿を脱出して、インドに亡命しました。以来、チベット人は独立への思いの「心の灯火」を消すことなく、毎年3月10日にはチベット国内だけでなく、世界各地で集会を開いてきました。
 そして、今年3月10日の騒乱では、中国当局の武装警官がこの平和的な抗議行動の参加者に対して、殴りつけるなどの暴力で妨害、排除したのです。その後3月14日、ラサで起こった抗議行動が激化し、チベット人が中国人の商店などを襲うという事態に発展しました。
 中国当局は、これを鎮圧に当たりましたが、中国は都合の悪い映像は配信しなかったのです。こうした情報操作にもかかわらず、騒乱はチベット全土に波及していきました。

国際世論は中国政府の動向を監視すべし

── 新彊ウイグル自治区でも、中国政府に対する民族的反発が高まっていますね。

ペマ 北京五輪を間近に控えた8月4日朝には、新彊ウイグル自治区のカシュガルで武装警察隊への襲殻書予件が発生しました。さらに、五輪開催後の8月10日には、クチャ県で地元政府庁舎や警察署などに爆発物などが投げ込まれました。
 これらの事件は、中国政府に対するウイグル人の反発の強さを示しています。北京五輪開催中もこうした抗議行動が起こる可能性はあると思います。
 ウイグルの状況もチベットと同様で、中国政府による同化政策が強まるなど、深刻な状況にあるのです。中国は、㎝年9月n日のアメリカ同時多発テロ事件後の中国政府の姿勢には、イスラム原理主義者によるテロと、独立運動を行うウイグル人の破壊活動を、テロという一点で結びつけ、弾圧しようという意図が感じられます。

── 北京五輪後、中国政府の姿勢に変化はありますか?

ペマ 中国が一党独裁の政治体制を続け、他民族の抑圧を続けようとすれば、それに抵抗する民衆の反発が激化し、いずれ内戦に繋がるような混乱をもたらす可能性があります。
 中国共産党はいまや利権政党に転落しており、利権と特権を維持する勢力と、彼らに抵抗しようとする民衆の対立は激化していくに違いありません。
 ただ、中国が民主化を進め、各民族の自治を守る方向に変化していけば、事態は好転する可能性はあります。各民族の伝統と文化を守り、民族の特質を活かした生活が保証されれば、混乱は回避され、中国も面子を保つことができ、ひいては中国、アジアの平和と安定に貢献することもできるからです。
 しかし、決して楽観することはできませんが、時代とともに指導者は変わるのです。かつて、趙紫陽のブレーンの中に、「国際世論と中国自身のことを考えた場合、チベット人には少し勝手にやらせた方がいい」と、助言する人たちもいたのです。
 いずれの方向に進むかは、国際世論が中国の動向を監視し、中国が良い方向に進むよう有効な発言をすることができるかどうかに、大きく左右されます。ところがいま、欧米先進国は、ミャンマーなどに対しては人権問題で厳しく批判するにも関わらず、中国に対しては遠慮しています。
 その意味で、日本は単なる経済的利益を守るという理由で、中国に言うべきことを、遠慮して言わないようなことがあってはなりません。 (了)

※ 『月刊日本』(2009年9月号)より転載。

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2008年9月26日 (金)

政治と倫理 毒入り 鮫子事件とインドの内閣不信任案に触れて (下)

一方、インドの国会においては、アメリカとの核エネルギー協力関係の是か非かという問題と絡ませて、内閣不信任案が議会で取り上げられました。票決を行ったところ、与党がかろうじて首相の首をつなげることに成功しましたが、その代わり相当な財源が遣われ、与野党共に相手を買収する工作が行われたとして批判を受けています。

 そもそもインディラ・ガンジーの時代は、かつての田中角栄同様、多数派工作が行われ、相当の金銭が飛び交ったとされており、本会議場で「自分たちは買収工作を受けた」と、与党から受け取った札束を会場に持ち込んだ議員もいました。

 インディラ・ガンジー首相は、それまで党議拘束が強かったインド議会において、議員一人一人の良識による判断を尊重すべきと主張し、そのため一時は同首相の方に有利な展開が見られましたが、結果的にはブーメランのように、自分の政党からも支持する議員がどんどん離れていき、最終的には自己破滅の要因となりました。

 今回も与党から野党に票が流れ、野党からも与党に票が流れ、様々な憶測を呼ぶ羽目になっています。国民が自分たちそれぞれの夢と希望を託して選んだ政党や、政党の公認をあら受けた議員の行為に対して怒りを露わにしている人も少なくないようです。

 いずれにしてもこの毒入り鮫子問題の真相隠しと選挙民の意志を無視して、インドで言う「床渡り」(金とポストで釣られて、野党席から与党席、また与党席から野党席へと渡り歩く様子)するような行為は、一般人にとって極めて理解し難い、非道徳的なものです。

 私達は子どもに正直になれと教えているのに、その国の形を左右する政治家が、このような非道徳的行為をする限り、社会的正義や政治的倫理の確立は極めて縁遠いものになります。

 内閣総理大臣、外務大臣そして官房長官は国民に謝罪すると同時に、問題の真相究明に全力を尽くし、中国側から納得できる説明と処置を求めるべきであると思います。

 高村外務大臣の言う、先方から依頼があったからとか情報が貰えなくなったら困る、という低姿勢は、相手から正しいと受け止められる代わりに、むしろ弱腰と見られ、今後ますますつけ入れられる環境を自ら作っていると言えるのではないでしょうか。

 政治は、確かに現実的にはきれいごとで済まない部分もあり、時と場合によっては交渉などを未公開のうちに行う必要があるでしょう。しかし今回のように、既に政治問題になっている事件で、真実を国民が求めている案件に関しては、事実が明白になった段階で、国民に知らせるべき事柄です。それをしなかった責任は、道義的にも政治的にも倫理的にも重大です。また、メディアの無関心さも問題であると感じています。この事実をオリンピックの開会式にまで引き延ばした総理大臣の考えは、私には正常とは思えません。読者の皆様はどのように受け止められたのでしょうか。 (了)

※ 『向上』(2008年10月号)より転載。

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2008年9月25日 (木)

政治と倫理 毒入り 鮫子事件とインドの内閣不信任案に触れて (上)

 “政治に倫理が必要か”ということに関しては賛否両論あるでしょうが、私はやはり政治にも倫理が必要であるという立場です。確かに現実の政治はどろどろしていて、倫理などという余裕がないほど不純な面があることは否定しません。ボクシングやその他の武術において、互いに殴り合い血を流すような非情な要素があっても、ある一定のルールの中ではその行為は正当化されており、そのルールを守っている限り結果が重視されるように、政治の面においても政治家同士の中で、あるいは国家間において、手段を選べるような悠長なことを言っていられない側面があることは事実です。しかし、このような武術においても場外乱闘は許されていませんし、素人に対して技をつかうことも良しとされていません。

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 同様に、政治上の交渉事において、戦略や戦術を講じることは当然許されることです。しかし自国民の大衆を騙す行為は決して許されることではないはずであり、今回の毒入りギョーザ事件についての日本政府の対応についてはそれを強く感じます。中国での鮫子の毒入りが確認された後、日本政府がその事実を国民に隠していたことは極めて非道徳で、許されるべきことではないと私は思います。

 特にこの問題に関して、総理大臣、外務大臣、内閣官房長官はその事実をオリンピックの開催に合わせ、どさくさ紛れでの発表をすることで、問題を曖昧にしようとする魂胆は許せません。外務大臣は国民に対して事実を隠したのではなく、相手国(中国)からの要請があり、その要請に応じなければ今後協力が得られないと思って真相を明るみにしなかったと弁明していましたが、これは極めて残念なことで、口実であると言わざるを得ません、

 相手に非があるということが明確になった以上、それに対して責任を追及し、真相を明らかにして、先方に対して謝罪または責任をにヲつ求めることが筋であるはずです。情報が貰えなくなると困るという姿勢は低姿勢を越え、へつらいにも受け止められがちです。

 日頃政治家は「透明性」ということをやたらに口にしますが、今回の出来事は政府の姿勢そのものに透明性が欠けていることを立証するようなものです。

 私には何故マスコミや国民がこの事実を深刻に受け止め、対応しないのかが不思議でなりません。もちろん、発表の時期を充分に計算した政府首脳や高級官僚の狙いは、まさにからオリンピックの開催に絡ませることで、国民の反中感情や政府の対応に対する批判をそらすためだったでしょう。そのためにオリンピック開催まで真実を隠蔽する必要を感じたのかもしれません。何力月も国民に真実を隠し続けた政府首脳や官僚だけでなく、真実の追究をする立場のマスコミも、その間、真実を追究しなかったのかあるいは出来なかったのか。真実は把握しても、各方面からの圧力など考慮して真実を暴露しなかったのであるならば同罪です。 (続く)

※ 『向上』(2008年10月号)より転載。

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