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2008年9月25日 (木)

政治と倫理 毒入り 鮫子事件とインドの内閣不信任案に触れて (上)

 “政治に倫理が必要か”ということに関しては賛否両論あるでしょうが、私はやはり政治にも倫理が必要であるという立場です。確かに現実の政治はどろどろしていて、倫理などという余裕がないほど不純な面があることは否定しません。ボクシングやその他の武術において、互いに殴り合い血を流すような非情な要素があっても、ある一定のルールの中ではその行為は正当化されており、そのルールを守っている限り結果が重視されるように、政治の面においても政治家同士の中で、あるいは国家間において、手段を選べるような悠長なことを言っていられない側面があることは事実です。しかし、このような武術においても場外乱闘は許されていませんし、素人に対して技をつかうことも良しとされていません。

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 同様に、政治上の交渉事において、戦略や戦術を講じることは当然許されることです。しかし自国民の大衆を騙す行為は決して許されることではないはずであり、今回の毒入りギョーザ事件についての日本政府の対応についてはそれを強く感じます。中国での鮫子の毒入りが確認された後、日本政府がその事実を国民に隠していたことは極めて非道徳で、許されるべきことではないと私は思います。

 特にこの問題に関して、総理大臣、外務大臣、内閣官房長官はその事実をオリンピックの開催に合わせ、どさくさ紛れでの発表をすることで、問題を曖昧にしようとする魂胆は許せません。外務大臣は国民に対して事実を隠したのではなく、相手国(中国)からの要請があり、その要請に応じなければ今後協力が得られないと思って真相を明るみにしなかったと弁明していましたが、これは極めて残念なことで、口実であると言わざるを得ません、

 相手に非があるということが明確になった以上、それに対して責任を追及し、真相を明らかにして、先方に対して謝罪または責任をにヲつ求めることが筋であるはずです。情報が貰えなくなると困るという姿勢は低姿勢を越え、へつらいにも受け止められがちです。

 日頃政治家は「透明性」ということをやたらに口にしますが、今回の出来事は政府の姿勢そのものに透明性が欠けていることを立証するようなものです。

 私には何故マスコミや国民がこの事実を深刻に受け止め、対応しないのかが不思議でなりません。もちろん、発表の時期を充分に計算した政府首脳や高級官僚の狙いは、まさにからオリンピックの開催に絡ませることで、国民の反中感情や政府の対応に対する批判をそらすためだったでしょう。そのためにオリンピック開催まで真実を隠蔽する必要を感じたのかもしれません。何力月も国民に真実を隠し続けた政府首脳や官僚だけでなく、真実の追究をする立場のマスコミも、その間、真実を追究しなかったのかあるいは出来なかったのか。真実は把握しても、各方面からの圧力など考慮して真実を暴露しなかったのであるならば同罪です。 (続く)

※ 『向上』(2008年10月号)より転載。

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