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2008年10月26日 (日)

民主主義の限界(上)

 今、世界には中華人民共和国を中心に、北朝鮮など中国の支援を受ける一党独裁の軍事政権、または個人崇拝に基づく強権政治が未だに数多く存在しています。世界の二割相当の人々は、恐怖政治を体験しています。もちろんこれらの国においては、言論の自由や表現の自由などはほとんどありません。

Img106_3 中国で本当の普通選挙を経験したことのある人はほとんどいないでしょう。常に当局から監視され、下手をすれば台所やトイレにまで盗聴器が仕掛けられて四六時中監視され、当局からどのような因縁をつけられるかわからないのです。これらの方々の不自由を考えると悲しくなります。

 一方、民主主義社会においてはどうでしょう。今、自由のチャンピオンと自称するアメリカでは大統領選が盛り上がっており、日本を始めとして世界中が注目しています。また日本においても自民党の総裁選が話題になり、政局そのものが総裁選直後の衆議院選をもくろんで激しく動きました。

 一見自由のようで、政治に熱気すら感じますが、本質的にはこの現象も悲しい幻想でもあるように思います。国民一人一人が成人であれば自らの意志で自分の国の運命を左右しうる一票を手にしていながら、その実態は、ほとんどの人が広告代理店とマスコミによつて意識操作をされて操られており、そしてそのマスコミと広告代理店は当然ながら金で動かされています。

 アメリカの大統領選において、使われているテレビコマーシャル及び宣伝合戦の費用は、地球上の餓死寸前の人々や、エイズに侵されている人たちを救える費用の何倍にもなります。候補者たちはスピーチライターを抱え、そしてメディアの専門家たちに衣装から微笑み方まで指導してもらいます。これらは選挙民に好印象を与え、票を集めることのみに専念した行為です。タレント同様の人気だけが最重視されて、具体的な政策やそれを実行するための裏づけとしての政治的経験、指導者としての能力、国民からの真の尊敬や信頼を得ることが軽視されているように思います。 (続く)

※『向上』(2008年11月号)より転載。

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