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2008年11月12日 (水)

「チベット」というメッセージ 

 二〇〇八年四月、長野で行われた北京五輪の聖火リレーが大きな混乱もなく"無事"終わった。が、走者を務めた著名人の幾人かがテレビの中で「最後まで気持ち良く走りたかったのに、ちょっと邪魔が人り……」などと発言しているのを見て、ペマ・ギヤルポさんは大いに落胆した。今この瞬間にも、虐められ苦しめられている多数の人がいることを知らないはずはないのに、そのことには誰もひと言も触れることがなかったからだ。
「優しくない」
そう思った。それまではファンですらあった有名人のあの人この人が、偽善者にさえ見えたと言った。
 「個人の問題というより日本人全体の民意のレベル、チベットで起こっていることへの無知・無関心の現れではないでしょうか」
 こう筆者が口をはさむと
「かつて一二〇万人が虐殺されたことは知らなくても、ほんの少し前に、百数十人が殺され、多数の人が投獄されたことは知らないはずはないでしよう。それなのにひと言も言わないということは、それを肯定していることになるのでしょう」
ギヤルポさんは静かに反論した。

本質

 チベットは古代から独立した国であった。そして中国に対して長い間精神的に指導的な役割を果たした時期もあった。モンゴル人の元朝、満州人の清朝は、ともにその王室がチベット仏教に帰依し、ダライ・ラマとは法王と檀家のような関係に立っていた。一時、清国の支配を受けたものの、中国で一九一一年に辛亥革命が勃発、清の滅亡により再び独立国に戻る。しかし、一九五〇年、中国人民解放軍による侵略と軍事制圧を許す。さらに、一九五五〜五九年「中華人民共和国政府による併合に抗議したチベット動乱が勃発、インドに逃れたダラィ・ラマ法王のもとでチベット亡命政権ができて、一〇万人をこえるチベット人が亡命した。
 こんな風にかいつまんで国の歴史に触れたあと、ギャルポさんは中国との関係を断言するような口調で要約した。
「中国は、二十一世紀の今日でもいまだに"植民地"支配し、言論を統制している。そんな国はもう世界中どこにもない。これが問題の本質です。多くのチベット人や民主化を求める中国人を投獄してまで「オリンピックを開催する国家の品格を間題にすべきです」

難民

 ギヤルポさんは、今は四川省に併合されている新龍を本拠地にした東チベットの一地方の領主の家に生まれた。四、五歳の頃に、一家は中国軍との戦闘に巻き込まれ、故郷を離れた。首都ラサへの「巡礼者」に身をやつし、世界の屋根・ヒマラヤ山脈の背後に広がる平均標高四〇〇〇メートルのチベット高原を、西へ西へと逃げのびて行った。
 「ダライ・ラマ法王のインド亡命」の知らせが届いた時、ギャルポさん一家も「もはやチベットに正当性のある政府はない。法王のあとを追って亡命するしかない」と意を決した。吹雪のヒマラヤ山脈を越え、国境を越えてインドヘ入った。
 その後、ギャルポさんは、チベット難民キャンプで少年期を過ごすことになる。やがて、チベットを支援するため諸外国で留学生を受け入れる制度がスタートした。英国・スイス・カナダ・日本など世界各国ヘチベット難民が旅立って行った。ギャルポ少年もその候補に選ばれた。「同じ仏教国がいいだろう」と両親。「戦争に敗れたのに国を再建した立派な民族」と兄。ギャルポさんは「日本」を選んだ。十二歳の少午が四人の仲間と羽田空港に降り立ったのは、一九六五年のことだった。それから今日に至るまでの四〇数年の日本の生活が始まった。「本来の日本と日本文化」をこよなく愛するギャルポさんは、日木の国籍を取得する。

仏教国

 チベットが仏教的であり、平和主義的であることが、隣国中国からの侵略の隙を作ったのではないかと、ギヤルポさんは考えることがある。
 「チベットでは、あらゆることに仏教的な考えがいやというほど浸透しているのです。先日、ある僧侶の説法を聞きに行きました。最近のラサで起こった一連の事件をどう見るか、という質問に答えて『全て無常です。平和な時もあり、戦争の時もある。すべて歴史の中の流れの一環です。そしてさらに現在チベットに生まれてきている人々は、輪廻の中で死んでから中国人に悪事を働いた者で、今その浄化の過程にあるのです』とまで言っていました。これでは何も変わらず、何も変えないでいいことになる訳ですね」
 人々の心の中に根付いている輪廻転生の感覚は、変革や敵対の力を削ぐ一方、苦難を耐える力を与えてくれているのかもしれない。ギャルポさんの話が続く。
 「かつて、仏教、特に大寺院の政治への影響力も絶大でした。『平和、平和、何が何でも平和』一点張りで、国連加入の話も非仏教国の組織に入ることはいかがなものか、と反対、英語学校も水力発電も反対、あれやこれやで国の近代化の阻害要因になってしまったようです。それに一国平和主義というのでしょうか、鎖国のような政治体制を続けて、周辺諸国が大きく変化する中で置き去りにされてしまったのですね。さらに、男子の三〇%は僧侶でした。鉄砲を持つ代わりに祈りと修行に明け暮
れる。僧侶になるための修行は、特に密教では「敵を愛すること、少なくとも敵
とニュートラルになること」です。祈りと修行が国の中心にあるのです」
 中国から植民地支配を受けるようになった要因の一つはチベット自身のこうい
うあり方そのものにあったと、ギャルポさんは忸怩たる思いに捉われる。

本当の文明

 近代化に後れをとり、それが現在の国の苦境を招いた一因だったにせよ、結局はチベットの人々はそうした代償を払いながらも、早急な近代化を選択しなかった、と言つた方がよいのかもしれない。
 「チベットの人々は、古代以来五〇〇年の長きにわたって、自分たちの世界で平和に生きることができました。それは本当に素晴らしいことでした。ホテルはなくても旅人を温かく迎え入れてくれる家はどこにでもありました。大きな家族が伝統的な価値観の中で助け合って暮らしました。近代化文明は、こういう「より高度な文明」「本当の文明」を壊し続けてきています。チベット人の選択と苦難は、現在の人類に対して意味深いメッセージを発信していると思います」
 そこでひと息入れてから、ギャルポさんは
「決して犬の遠吠えだとは思わないでくださいね」
そう言って茶目っ気ある表情になった。

 最後にギャルポさんの著書である『おかげさまで生かされて』という本の中の文章を引用しておきたい。(・・・この六〇年、中国政府は「チベットの領土」を物理的に支配しながらも「チベットという国」を完全に呑み込むことはできませんでした。それは「チベットの人々」が確固たる意志と方向性を持ち続けたからです。私はある意味では、チベットより日本の将来を憂えています。チベットは失われたアイデンティティを必死で取り戻そうとしていますが、何がアイデンティティかも気付かぬまま、日本はそれを失おうとしているのです・・・)

(文・高野公一)

インタビュー誌※「Ripers」(2008 Vol.29 SUMMER)より転載

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