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2008年12月

2008年12月28日 (日)

ダライ・ラマ訪日を前にして

米国の如く迎えられるか

独立国家の姿勢を示す機会

米大統領と議会与野党が表彰

 十月十七日ダライ・ラマ法王とブッシュ大統領はホワイトハウスで親しく懇談され、チベット情勢、ビルマの現状などについてまで話題が及んだ。アメリカ政府としては中国を必要以上に刺激したくないという配慮もあって、法王との歓談は執務室ではなく居間で設定された。しかし偶然か意図的かは別として、この時期に中国共産党の第十七回党大会が開催中でもあり、今まで以上に中国は反対し、北京駐在アメリカ大使を中国の外務大臣が呼びつけ激しく抗議をした。
 しかし、アメリカは基本姿勢を崩すことなく翌日、議会において民間へ与える最高の栄誉賞の授賞式でペロシ議長をはじめ、両院の指導者たち並びに共和党、民主党の次期大統領有力候補たちも含め、大勢の特別招待者たちやメディアの目の前でブッシュ大統領自ら法王を会場にエスコートし、自らの手で賞を渡した。
 このアメリカの勇気ある行為はチベット国民に対しても大きな勇気づけとなった。世界各地でチベット人による祝賀の催しが行われ、チベット本土でも僧侶たちや若者たちがお祝いをしたところ当局によって捕まえられたという報道も流れた。
 久しぶりにチベット問題が世界的に注目を浴び、半世紀以上たった今日もチベットが完全に消えていないことを印象付ける結果となった。しかし、半世紀を過ぎても中国政府の首脳は一向に過去の経験から物事を学んでおらず、チベットに対する対応はあくまでも自分たちの価値観を押し付けていくという姿勢は変わっていないようである。

チベット問題で中国に筋通せ

 ダライ・ラマ法王は一九五九年インドに亡命して以来一貫してチベット問題の平和的解決を主張し、中国の指導者たちに対してもそのことを訴え続けてきた。しかし、中国は対話そのものには応じたものの、問題解決の本質を真面目に見ようとする姿勢は持っていない。それどころか逆にダライ・ラマ法王が政治活動をしており、チベットの分離独立を図っていると主張し、法王が訪ねる世界各国に対し、まず第一にビザを出さないことを要求し、それを止められないことを知ると、要人などが法王と会うことは非友好的行為であり、その結果によっては両国間の関係を悪化させることもあり得るとし、法王の海外渡航を邪魔するのみならず、その活動を妨害する行為を繰り返している。
 だが、現段階ではアメリカの他にドイツ、カナダをはじめとする西側の首脳は逆に中国に対し、法王と真剣に話し合うべきだということを進言すると同時に、法王との面会に応じ、法王の平和的解決方法に対して、モラルサボートを惜しみなく与え続けている。
 今月十五日から法王は日本をご訪問され、法話、講演を行う。先進七カ国の殆どの首脳が法王と対面し、世界の人権問題や平和について語っているが、わが国の総理はどのような対応をするだろうか。独立国家としての日本の姿を世界に示す良いチャンスとして捉えるであろうか。私は日本の自衛隊による平和活動や救援活動も大事だと思うが同様にチベット問題に対して、アジアのリーダーとして独自の姿勢を示すことも重要でないかと考える。

力モフラージュした同化政策

 日本の政治家で真にチベットの独立を支援し、その問題をきちんと理解しているのは石原慎太郎都知事他十数名しかおられない。チベット問題を人権問題化して、問題の本質を曖昧にするような国際人権派と称する政治家や、ジャーナリストたちの支援も、もちろん重要ではあるが、中国が「鞭」に代わって「飴」を使い、経済活動や表面的宗教活動に対する多少の緩和政策は、チベット独自の文化、宗教、民族意識などを失わせ、同化政策を強化するためのカモフラージュを見破ることができなくなる危険性のあることを指摘せざるを得ない。
 チベットヘの鉄道の開通や、観光開発の促進は、チベット人の長期的利益を考える場合、両手を挙げて歓迎できないのは、これらの付属品として中国人の移住とともにチベットが経済的、文化的に大中国にのみこまれていくからである。
 かつてマハトマ・ガンジーは悪事が行われているのを見て見ぬ振りをするのは共犯者であると言い切ったが、私は発展、開発の名において協力する行為はまさに共犯そのものであると思う。中国は来年オリンピックを主催することになっている。これに対して心ある人々は今のような独裁政権のもとで、オリンピックを決行することに懸念を示している。読者の皆様はどう考えるであろうか。

※『世界日報』(2007年11月7日付より転載)

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精神性の探究(下)

 今年の三月以降、幸いにして日本でもチベット問題に対する理解と支援は高まっています。これはとても嬉しいことで感謝にたえません。しかしチベット問題そのものはあの時から一向に良くなっておらず、むしろ中国側の引き締めが更に強まっている様子です。そのチベット人を支えているのは精神力、忍耐力であると思います。海外に流出したチベット人は過去半世紀近く「来年こそラサで!」といって乾杯をしながら新年を迎え、また一年間をお互い励まして希望を持ち続けてきました。そしてチベット国内の人々は一日も早く、ダライ・ラマ法王にお目に掛かることを祈っていました。
 つまりチベット人を今日まで強く支えてきたのは精神力であり、夢と希望であったと思うのです。もちろん夢と希望を抱くだけでは人間は生きていけませんし、人間が持っているこの肉体を維持するためには物質的な要素の必要性も決して否定できません。それを支えて下さったのはインド政府を始め世界各国の人々の善意による援助であったと思います。海外の難民たちは、多くの皆様のご理解とご支援の賜として必要な教育を受けることが出来ました。そして今日世界各地で個々のチベット人は自立した個人として、自分と家族の生活を支えることだけでなく、祖国のためにも献身的に尽くしています。
 七世紀以来、千四百年間大切に保持し発展させてきた仏教精神に基づくチベット文化は今多くの高僧たちの努力によって世界中に広がり、物質的に受けた難民への支援の代わりに精神面において目に見える貢献をさせていただいています。
 行き詰まった共産主義の一党独裁のもとでさえ、チベット仏教徒の信者たちは今どんどん増えています。特に中国人の富裕層、インテリ層の中に浸透していることから見ても、人間にとって物質的豊かさのみによって幸福がもたらされるものではなく、この両面のバランスがいかに重要であるかということを物語っていると思います。
 以上のような出来事に接し、私自身改めてこの豊かな国、自由の国で暮らしていることに感謝の気持ちを強く抱きました。
 そして私を日本に派遣して下さった法王の義理のお姉様のミセス・ギャロウ・トンドゥップ女史、チベット史上の英雄で大蔵大臣を務め、日本との強いつながりを作ったツァロンのお嬢様で私達よりも先に来日し、私達の面倒を見て下さったツェリン・ドルマ女史、物心両面において私と仲間たちを日本に呼び大学まで卒業させて下さった丸木清美先生、そして私を温かくご支援下さった村井順先生、私が日本の土地を踏んだ日から私を父のように厳しく、母のように優しく導いて下さった木村肥佐男先生、倉前盛通先生他多くの日本人の恩人たちのことを思いながら、残りの人生を有意義に生きることを自分自身の心に誓いました。 

(了)

※『向上』(2009年1月号より転載)

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精神性の探究(上)

 この度、十月三十一日から十一月七日までダライ・ラマ法王が来日され、九州と東京でご講演をされました。
 東京の蔵前国技館で行われたご講演にはたくさんの人が集まり、ほぼ満席状態でした。出席者には特に若い人が目立ちました。

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 その時の様子や最近の日本の書店などを覗いてみると、精神性の重要性を強調する本が目立っていますし、そして十一月九日に行われた私が所属しているエンジン01という各界での第一線で活躍している文化人、芸能人などによる奉仕活動の一環とするイベントでも、脳科学者の茂木健一郎さん、江原啓之さん、林真理子さん、司会を務めた奥田瑛士さんの鼎談には多くの名古屋市民、特に若者が駆けつけ、懸命に何かを求めようとしていることを強く感じさせられました。
 ダライ・ラマ法王は十一月六日の東京の講演会で、数日前にバングラデシュの留学生から聞いたエピソードを紹介されました。留学生は自分が帰国した際、祖国の人々は朝目覚めたら、まず今日一日の食事をどうやって確保しどう生きていくかという切実な問題を抱えているのに対し、日本では恵まれていること自体、特別に気づく訳でもなく過ごしていることで改めて日本の人々がいかに恵まれているかを痛感したというような話をされました。
 もちろん私はその時録音したり、その場でメモをしたわけではないので一言一句正確にここで引用している訳ではありません。
 また会場には柔道のオリンピック金メダリストの石井選手がマイクを握り、自分は今周囲の意見を聞くべきか、自分の考えを押し通して生きるべきかという切実な問題を抱えている心情を吐露していました。これに対してさすがに法王は周囲の意見を参考にしても、最終的には自分自身が決めなければならないことですとはっきりおっしゃったことに私は大変気分爽快となりました。何故ならば、今の日本の風潮として何でもお金で買えると思ったり、何でも人に考えて貰ったり、そして失敗したら人のせいにしたり、あれが悪いこれが悪い、制度が悪いなど言って他人にばかり指をさして責任逃れをし、自らの言動に責任を持たない甘えの構造が蔓延しているように思うからです。これは青少年に限らず、あらゆる階層、組織、政党までがそうなっているように見えます。
 また別の質問者は、私達はチベットのためにこれこれのことをやっていますと言って自分の活動をアピールし質問というよりも報告めいたことをしていましたが、法王は当然それに対しては特別のコメントはされませんでした。
 質問者としては折角アピールしたのに、調子が崩れたかもしれませんが、チベット仏教の立場からすると、良いことをすることは隠徳であって、特別アピールするようなものではないとされていますし、それに会場には何十年もチベットのために支援してきた人々もたくさんいましたので、法王が一人一人に改めてお礼を申し上げるまでもなく、常日頃から感謝していることであり、敢えて言葉に出すこともなかったからかもしれません。 (続く)

※『向上』(2009年1月号より転載)

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2008年12月 2日 (火)

教育について思う(下)

 伝統や風習は、長年私達の先祖の賢人たちが試行錯誤の上、築き上げてきたのです。これを創造するには労力と時間がかかりますが、破壊することはそれに比較したら簡単なものであり、時間もかかりません。私達の先祖が何百年もかかって作った道徳や倫理を、たった数十年で破壊してしまったのです。

 私が日本に来た今から四十年前の日本人と今日の日本の若者は精神的にも肉体的にも大きく変わっています。当時の学校も社会も一丸となって「他人に迷惑を掛けないこと」「自分、家族その他自分が所属する団体などの恥にならないこと」を教えていましたし、教育の中に自然に含まれていたように思います。例えば、電車内などで高齢者や妊婦、幼児連れの母親などには、小学生から大学生頃の青年までが席を譲るのは常識でしたし、今でも他のアジアの国々では文化的要素も含んできちんと残っています。しかし今日の日本では、なかなかそのような場面を見ることはなくなりました。また公共と私的な空間を区別する感覚も失われてきたように感じます。これは若者だけでなく、成人においても同様です。

「あなたを先に、私はあとで」という言葉を色紙に好んで書いていらしたのは四十年前の文部大臣・坂田道太先生でした。しかし今ではどこに行ってもそのような優雅な姿勢、心のゆとりは見当たらなくなりました。つまりここで教育を再検討しなければ、人間が人間らしさを失い、動物的要素ばかりが増すような社会が膨張する危険性が大きくなるような気がします。仕事を好き嫌いで判断し、全ては自分を中心に思考し行動するような人間が氾濫しつつある社会は、今こそ見直すべきではないでしょうか。

 今、改革とか変革という言葉を好む風潮があるようですが、何を変えるべきかということを見極める先見性がなければいけないと思いますし、変えるべきでないものは変えないという勇気も必要です。

 古い人間であると思われるかもしれませんが、私は日本の輝かしい未来のために、今もう一度かつての日本の教育を見直し、その教育によって今日の発展の礎を築いてきたことの再評価を、教育、この場合には学校教育に限らず社会教育も含めて急がなければ、日本の未来は明るくはならないように思います。

 マハトマ・ガンジーの言葉に「道徳のない商業は罪である」というものがありますが、現在何でも商業的観点から見ようとする風潮や教育そのものが産業化していることが極めて残念なことであると思うのです。

 大人ひとりひとりが若者の言動に関心を持ち、注意をすることが必要なのです。人間は完全でなく互いに学び合い、教え合うことができるような謙虚さと、知識を尊ぶ姿勢を取り戻す必要があるのです。私はかつての日本社会にはこのような高度な倫理観とそれに基づく社会秩序があり、他の国々から模範として尊敬されていたと思います。

 (了)

※ 『向上』(2008年12月号)より転載。

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2008年12月 1日 (月)

教育について思う(上)

 最近、教育関係のニュースが目につくようになった気がします。大阪では橋下知事が学力テストの自治体別結果を公表したことを報じています。それに対し、教育委員会などは猛烈に反発しているようです。長い間、日本では学校の運動会でも順位をつけないというほど、学校教育の場での競争力をなくさせるような変な平等主義が大手を振るってきました。それが今日、社会でいろいろな問題を起こす原因となっているように思います。

295 学校によっては、先生が子どもたちから名前で呼ばれると、自分は人気者だと勘違いして喜んで得意な顔をしている有り様です。

 その結果かもしれませんが、最近、大学を卒業して就職した若者たちの三割くらいが三年以内に会社を辞めています。その会社を辞める理由のほとんどが、単に仕事がつまらないとか、新入社員に対して清掃などの雑用をさせるのが気に入らない、先輩から仕事を教えて貰えず、同じ作業が続くことが多くつまらない、というものでした。

 そして私が最悪だと思ったのは、仕事が自分のやりたいことと違って好きではない、ということを理由に挙げていることでした。仕事に対して、義務とか責任などという考えは少しも現れてきません。ましてや仕事は生活のため、という現実的な考えも現れてはきません。

 私はこれらの若者たちの考えが、彼らとしては純粋で正当な理由であると思っていることを疑う気持ちは全くありません。しかし彼らを見ていると日本の将来が非常に心配になります。そしてこのような青少年たちを育ててしまった国と教育者、特に日教組の責任は極めて重大であると思うのです。この数十年間、ほとんど理想ばかりを唱え、幻想の中で生きてきた教育の現場への反発が、まさしくあの中山大臣の問題発言であり、場はずれとは言え、真実であるように思うのです。

 なぜ子どもたちに対し、現実の世界を正確に教えなかったのでしょうか。なぜ生きるということの厳しさを隠し、理想ばかり唱えていたのでしょうか。仕事は好き嫌いだけで選ぶような甘いものではないことを教えるべきではないでしょうか。

 例えば、新入社員は先輩が教えてくれなかったと言って先輩の冷たさを指摘しますが、先輩に対する自分自身の立場、教えを請うという謙虚な気持ち、そして掃除をはじめとして下積みをしっかりやることが一人前になるための土台である、というような教育をしてこなかったことが、結果的に自分の都合だけ考え、今のことだけを考えるような人間を育ててしまったのではないでしょうか。また中途半端な競争社会、弱肉強食の社会をいかにも格好良いこととして奨励するようなことを総理大臣はじめ評論家たちが、もっともらしく発言したこともその要因のひとつです。

 要するに人間の本能的、動物的要素を無限に増長するごとを放置する一方、人間を人間らしくするための道徳、倫理、知性、理性といったものを破壊することに意義があるようなことを、テレビの司会者や評論家たち、あるいは進歩的と言われる政治家たちが主張し、それが常識ででもあるかのように若者が受け止めてしまい実行してきたのです。

(続く)

※ 『向上』(2008年12月号)より転載。

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