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2008年12月 1日 (月)

教育について思う(上)

 最近、教育関係のニュースが目につくようになった気がします。大阪では橋下知事が学力テストの自治体別結果を公表したことを報じています。それに対し、教育委員会などは猛烈に反発しているようです。長い間、日本では学校の運動会でも順位をつけないというほど、学校教育の場での競争力をなくさせるような変な平等主義が大手を振るってきました。それが今日、社会でいろいろな問題を起こす原因となっているように思います。

295 学校によっては、先生が子どもたちから名前で呼ばれると、自分は人気者だと勘違いして喜んで得意な顔をしている有り様です。

 その結果かもしれませんが、最近、大学を卒業して就職した若者たちの三割くらいが三年以内に会社を辞めています。その会社を辞める理由のほとんどが、単に仕事がつまらないとか、新入社員に対して清掃などの雑用をさせるのが気に入らない、先輩から仕事を教えて貰えず、同じ作業が続くことが多くつまらない、というものでした。

 そして私が最悪だと思ったのは、仕事が自分のやりたいことと違って好きではない、ということを理由に挙げていることでした。仕事に対して、義務とか責任などという考えは少しも現れてきません。ましてや仕事は生活のため、という現実的な考えも現れてはきません。

 私はこれらの若者たちの考えが、彼らとしては純粋で正当な理由であると思っていることを疑う気持ちは全くありません。しかし彼らを見ていると日本の将来が非常に心配になります。そしてこのような青少年たちを育ててしまった国と教育者、特に日教組の責任は極めて重大であると思うのです。この数十年間、ほとんど理想ばかりを唱え、幻想の中で生きてきた教育の現場への反発が、まさしくあの中山大臣の問題発言であり、場はずれとは言え、真実であるように思うのです。

 なぜ子どもたちに対し、現実の世界を正確に教えなかったのでしょうか。なぜ生きるということの厳しさを隠し、理想ばかり唱えていたのでしょうか。仕事は好き嫌いだけで選ぶような甘いものではないことを教えるべきではないでしょうか。

 例えば、新入社員は先輩が教えてくれなかったと言って先輩の冷たさを指摘しますが、先輩に対する自分自身の立場、教えを請うという謙虚な気持ち、そして掃除をはじめとして下積みをしっかりやることが一人前になるための土台である、というような教育をしてこなかったことが、結果的に自分の都合だけ考え、今のことだけを考えるような人間を育ててしまったのではないでしょうか。また中途半端な競争社会、弱肉強食の社会をいかにも格好良いこととして奨励するようなことを総理大臣はじめ評論家たちが、もっともらしく発言したこともその要因のひとつです。

 要するに人間の本能的、動物的要素を無限に増長するごとを放置する一方、人間を人間らしくするための道徳、倫理、知性、理性といったものを破壊することに意義があるようなことを、テレビの司会者や評論家たち、あるいは進歩的と言われる政治家たちが主張し、それが常識ででもあるかのように若者が受け止めてしまい実行してきたのです。

(続く)

※ 『向上』(2008年12月号)より転載。

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