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2008年12月 2日 (火)

教育について思う(下)

 伝統や風習は、長年私達の先祖の賢人たちが試行錯誤の上、築き上げてきたのです。これを創造するには労力と時間がかかりますが、破壊することはそれに比較したら簡単なものであり、時間もかかりません。私達の先祖が何百年もかかって作った道徳や倫理を、たった数十年で破壊してしまったのです。

 私が日本に来た今から四十年前の日本人と今日の日本の若者は精神的にも肉体的にも大きく変わっています。当時の学校も社会も一丸となって「他人に迷惑を掛けないこと」「自分、家族その他自分が所属する団体などの恥にならないこと」を教えていましたし、教育の中に自然に含まれていたように思います。例えば、電車内などで高齢者や妊婦、幼児連れの母親などには、小学生から大学生頃の青年までが席を譲るのは常識でしたし、今でも他のアジアの国々では文化的要素も含んできちんと残っています。しかし今日の日本では、なかなかそのような場面を見ることはなくなりました。また公共と私的な空間を区別する感覚も失われてきたように感じます。これは若者だけでなく、成人においても同様です。

「あなたを先に、私はあとで」という言葉を色紙に好んで書いていらしたのは四十年前の文部大臣・坂田道太先生でした。しかし今ではどこに行ってもそのような優雅な姿勢、心のゆとりは見当たらなくなりました。つまりここで教育を再検討しなければ、人間が人間らしさを失い、動物的要素ばかりが増すような社会が膨張する危険性が大きくなるような気がします。仕事を好き嫌いで判断し、全ては自分を中心に思考し行動するような人間が氾濫しつつある社会は、今こそ見直すべきではないでしょうか。

 今、改革とか変革という言葉を好む風潮があるようですが、何を変えるべきかということを見極める先見性がなければいけないと思いますし、変えるべきでないものは変えないという勇気も必要です。

 古い人間であると思われるかもしれませんが、私は日本の輝かしい未来のために、今もう一度かつての日本の教育を見直し、その教育によって今日の発展の礎を築いてきたことの再評価を、教育、この場合には学校教育に限らず社会教育も含めて急がなければ、日本の未来は明るくはならないように思います。

 マハトマ・ガンジーの言葉に「道徳のない商業は罪である」というものがありますが、現在何でも商業的観点から見ようとする風潮や教育そのものが産業化していることが極めて残念なことであると思うのです。

 大人ひとりひとりが若者の言動に関心を持ち、注意をすることが必要なのです。人間は完全でなく互いに学び合い、教え合うことができるような謙虚さと、知識を尊ぶ姿勢を取り戻す必要があるのです。私はかつての日本社会にはこのような高度な倫理観とそれに基づく社会秩序があり、他の国々から模範として尊敬されていたと思います。

 (了)

※ 『向上』(2008年12月号)より転載。

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