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2009年1月20日 (火)

亡命チベット政府臨時総会 中道路線から独立志向の声も

インドのダラムサラで十一月十七日から六日間、世界十四カ国の亡命チベット人指導者が参加して亡命チベット政府(TGIE)の臨時特別総会が開かれた。日本から出席した桐蔭横浜大学法学部のペマ・ギャルポ教授に総会からの報告と今後のチベットの行方について聞いた。聞き手は山田恵久國民新聞主幹(十二月一日)。

山田 今年の三月、中国・チベット自治区の区都ラサなどで、チベット人が中国当局による悪虐で執拗な圧政に耐えられず、ついに反乱が起きました。
 一九八八年以来、ダライ・ラマ十四世法王はチベット人の自治権の確立を訴えてきたが、全く改善されることはなく、寧ろ、チベット人のアイデンティティであるチベット仏教への抑圧が激しくなってきた。

ペマ教授 周知のようにチベット人は、心の底から平和を望む、性格も穏やかな民族です。それをいいことに中国政府はチベット人の人権を剥奪し、暴力をもって押さえつけてきた。
 ダライ・ラマ猊下は大きな心で、中国に対して政治的に譲歩、妥協してきました。中国は逆にチベットの文化を破壊し、チベット人から経済、生活の場をも奪った上、そこへ大量に入植してきた中国人に経済的権益を優先的に分け与えてきた。そして、遂に我慢がならなくなった若いチベット青年らは暴発せざるを得なくなる状況に追い込まれました。
 インドなど海外に亡命したチベット人は約十三万人おり、殆どがダライ・ラマ猊下を心の底から尊敬しています。それでも狙下の穏健な中道路線には、もう限界があるのではないかと、「チベット青年会議」(リグジン議長)のメンバーなどは独立復興論を主張し、同調する人々も年々増えてきた。そこで十月に猊下は「中国に対する平和的アプローチは失敗した。失敗は失敗として認め、もう一度、チベット人の総意を確認したい」と呼びかけて、今回、特別総会を開くことになった。

山田 中国政府とチベットとの間に、なんら情勢の進展、改善が全くない。ダライ・ラマ法王は十一月に東京で記者会見した際、「中国には失望した」と語っていた。
 中国の不誠実な姿勢に対する不満は募るばかりで挫折感も出ていることでしょう。これまで、チベット人による世界会議の開催は殆どなく、大規模な会議は一九八八年以来という。

ペマ教授 特別総会は亡命チベット人憲章五三条に基づき、猊下が招集をかけ、約五百八十人が参加しました。猊下は総会などに出席していませんが、初日は「チベット児童の村」の大ホールでサムドン・リンポチェ亡命政府主席大臣(首相)が挨拶。カルマ・チョペル亡命議会議長が開会を宣言。続いて、十五の分科会でそれぞれ意見を集約し、提案が纏められた。
 総会では、これまで猊下が直接リーダーシップを発揮、実施してきた自治権拡大活動を、全亡命チベット人によって民主的に運営する運動に変わった。これはチベット人自ら民主主義を重んじていることを中国を始め国際社会に認識してもらう強いメッセージになると確信しています。

山田 中道路線を支持する人々と独立派との間に、摩擦や対立は生じていますか。

ペマ教授 チベット人以外の人々からみると、それも懸念の一つでしょう。それぞれの政治的な立場、見解が異なっていても、お互いの主張を理解しようと真剣な討議が行われました。 
 今、中国政府に自治権の拡大を求めてもなしのつぶてという状況の中で、さらにすぐに独立を要求してもとても手が届くことではない、という意見が支配しています。

山田 独立派の最有力者といわれる作家のジャミャン・ノルブ氏は「独立対中という図式は考えられない。我々は共通の目的に向けて進むだけだ」と対立を否定し、現実路線を歩もうと述べている。

ペマ教授 独立への主張は多かった。ただ、当面、中道路線でいこうとはなっているものの、もし、うまくいかなかったら独立を求めていく方針に変更することもあり得ます。
 以前、亡命チベット人を対象に世論調査が行われた。回答一万八千余のうち、約一万が全面的にダライ・ラマ猊下に委ねると答え、あとの五千が独立志向、三千が中道路線を支持した、という結果が出ています。

山田 独立派は反法王勢力と見倣されないのですか。

ペマ教授 多数派を占める中道路線勢力の一部に、独立運動をあざ笑ったりする者もいたが、それはほんの一握りの人々です。お互いの見解を尊重することが大切です。
 ただ、独立派がより組織化が成されると、一大勢力となり、多くのチベット人方が独立論に同調するでしょう。そして、中国にいるチベット人を勢いづかせ、至る所で激しい暴動が起きる可能性が大きい。このことを中国当局はよく理解すべきです。

山田 中国外務省の秦剛副報道局長は「所謂亡命政府と独立を承認する国は一つもない」と強気の発言を行い、チベット領土の既成事実化を内外に周知させようと必死になっている。

ペマ教授 結局、総会は「中国側の前向きな姿勢が見られるまで、中国との対話を一旦中止する」ことと、これまでの「高度な自治を獲得する」などの提言を満場一致で採択しました。また高度な自治の実現を得られなかったことを踏まえて「近い将来、進展ない場合は、独立などの他の選択肢も検討する」との条件も付け加えられました。
 今回の総会を通して、ダライ・ラマ猊下のカリスマとしての求心力が少しも低下していないことを、参加者全員が再確認したことは、大変意義があったと思います。それに、今の猊下に代る者は一人もいません。

山田 我々第三者からみると、一九五一年に中国人民解放軍が独立国家チベットを侵略、ラサなどに進駐したことから、全ての始まりであることは明白だから、酒井信彦元東大教授の言うように、中国は現在進行形の侵略行為を直ちにやめて元に戻せと、国際社会には元に戻して貰えるように訴え続けることが最も肝要でしょう。

ペマ教授 二〇〇二年から始まった中国との対話は、八回行いました。しかし、最近になって中国側はダライ・ラマ猊下をチベットの代表と見倣さないと豹変して、「ダライ・ラマは中国の分離主義者。話す余地はない」とチベットとの協議に応じない。猊下は中国国内のチベット人も含めた全チベットの唯一の代表者です。

山田 十一月に法王の特使は外交と防衛を除く分野でチベット人の自治について「真の自治に関する覚書」を提示しましたね。

ペマ教授 覚書の内容は、昔からチベットと言われた地域は現在のチベット自治区は勿論、本来、周辺のチベット高原一帯を指し、四川、青海、甘粛、雲南のチベット民族居住地域を対象に、チベット語を第一言語に、チベットの伝統的な文化、仏教、教育を保護するべきであり、また、中国人の移住規制や中国軍の撤退を明示しています。これはごく当り前のことであって、最小限のチベット人の権利を求めています。

山田 ところが、中国側の窓口責任者である中国共産党統一戦線工作部の朱維群副部長は「これは事実上の独立要求に等しい、我々は譲歩することはあり得ない」と一蹴してしまった。

ペマ教授 猊下は五九年のチベット動乱の際、インドに亡命し、ずっと独立を要求していました。しかし、七九年に当時の鄧小平国家主席が「独立を除く全ての問題について、議論の余地はある」との発言があったからこそ、八七年に高度な自治を求める方向に転換したという経緯があったのです。

山田 先月初めに、法王は自らの中道路線の失敗を認めている。一方で、法王はこれまで中国と距離をとっていたインドの対中接近を牽制しているのか、「チベットという弟子が苦しんでいるなら、師匠のインドはすぐに助けるべきではないか」と指摘していた。

ペマ教授 ある分科会では、対中交渉に際して第三国を仲介にした方がいいという案も出ていたが、今や経済大国になった中国に対して、仲介してくれる国はなさそうです。また「一般の中国人と友好関係を進めるべきだ」との声も挙がりました。

山田 総会ではダライ・ラマ十四世の後継間題も討議されたという。

ペマ教授 七十三歳になられた「生き菩薩」猊下は今夏以来、時々体調の不調を訴えられ、二度入院することもありました。しかし、今は体調も回復し、極めて健康になられた。従来の、死後に生まれ代りを探すのではなく、「マ・デ・ツル制」という生前に後継者を選んでほしいという提案もありました。

山田 十四世法王は「チベット人民の過半数が望めば、ダライ・ラマ制度がなくなってもかまわない」「政治的には半分引退した恰好をとっているが、道徳的な見地から、死ぬまで引退はしない」と断言し、転生者に女性が選ばれることもあり得るとしています。

ペマ教授 引き続き政治指導者としてその地位に留まってほしいとの要望が多かった。いずれにせよ、我々はこの地から中国が出ていくまで闘っていく覚悟ができています。

山田 本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。頑張ってください。

※『國民新聞』(平成20年12月25日号)より転載。

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