« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月28日 (土)

「9」のつく今年 大きな事が起こる

 2009年はオバマ新政権の中枢にチベット問題に強い人物が加わるので、米国が中国に対して積極的な働きかけをしてくれると思います。ダライ・ラマ14世の友人ヒラリー・クリントン次期(ママ)国務長官らです。

 中国はいま、三つの爆弾を抱えています。一つ目は国際世論。二つ目は国内の経済格差。三つ目は国家への不信感。こうした不満が爆発すれば、09年中に大暴動や内戦状態に発展する可能性だってあります。

 9のつく年は、何かあるんです。1949年は中国建国、59年はダライ・ラマ14世のインド亡命、79年にはラサ対話、89年にはダライ・ラマ14世がノーベル賞を獲得。今年もきっと何かあります。

※『AERA』(2009年1月12日号)より転載。

|

2009年2月27日 (金)

運命共同体(下)

 無秩序の自由経済が生み出したのが、現在の労働状況ではないでしょうか。それまで会社は公共性があり、そこで働く人々とその家族の生活を最優先し、社会に対する貢献度を重視していました。ところが会社は株主のものであると言い張るようになり、株主に対して大きな利益を分配出来ない社長は無能とされ、社員は単なる生産の道具となってしまいました。

 私がアルバイトをしていた頃は、先輩は後輩に仕事を教え、後輩は先輩や上司に礼を尽くし教えを請うのは当然のことでした。何かを達成した時は皆で喜び合っていたのに、能力主義という言葉の下で個人プレイを重視し、仲間全体の協力や努力よりも成果を生み出した個人を評価する社会になりました。そして社会を勝ち組と負け組に分類し、負け組とレッテルを貼られた者は道具化され、勝ち組と言われる成金は「金で買えないものは何一つない」と言い張るあり様となりました。

 当然、道具化された人々は、自分の会社や仕事に対する愛着や誇りを失い、少しでも自分の労働や技能を評価してくれる所に流れ出しました。偽造、事故なども、このような環境が生み出したのではないかと思います。

 今、この不況を克服するためには、痛みを皆が分かち合い、もう一度謙虚にビジネスの意義や目的を再確認し、その発展と成長を社会全体の歯車と調和したものに変えていく努力が必要だと感じるのです。

 社長の給料は社員の百倍以上であったり、ぜいたく社長は賛沢な生活を変えないのに社員の首切りを行ったりするのではなく、共存共栄、お釈迦様の言葉で言う「ほどほど」というものを大切にし、作り手も売り手も買い手も皆が人生の満足度を重視し、企業や産業は地域や社会全体の進歩のぺースにあわせながら進むような、国民全体の総幸福度を重視する方向に政策を転換することです。

 GDPやGNPという数字を追うのではなく、家族、社会、国家そして世界全体の共存共栄を図るための大きな反省と、お互いを受け入れる寛容性を取り戻すことが急務ではないでしょうか。

 世界の海底資源や地下資源には限りがあるという前提で、自然との調和と、人類全体の生存を踏まえた政策を重視し、利権が特定の多国籍企業や国などによって独占されることがないようにする配慮を忘れるべきではありません。 (了)

※『向上』(2009年3月号より転載)

|

2009年2月26日 (木)

運命共同体(上)

 今、世界中は百年に一度の大危機と騒いでいるのはご存じの通りです。正直に申し上げて百年前に今のような大危機があったかどうかはっきりわかりませんが、恐らく第二次大戦前の世界大恐慌を指しているのでしょう。しかし私の浅学では当時、大恐慌は主にアメリカやヨーロッパを襲ったのであって、今回のように世界の隅々まで影響を及ぼしたとは思いません。

123_2  私は経済学者でも歴史学者でもありませんが、少なくとも今回の大危機は人的災害であり、その一番の要因は「欲」であるように思うのです。

 ソ連崩壊、中国の行き詰まりなどいわゆる共産主義の自滅とともに、自由経済が奨励され、自由市場の拡大に励み、誰もが自由競争によって金持ちになれるような幻覚を抱きました。そして一部のエキスパートと言われる人々はマネーゲームなるものを展開し、「欲」に駆られた多くの人々がそれに夢中になりました。自由経済の名の下に、大企業や大会社がどんどん小さいものを吸収・合併し、銀行なども統合されてしまい、自由の名の下にある種の経済的帝国主義が生まれるのを許してしまいました。

 その結果、企業や会社は商業において社会性やモラルを無視し、ひたすら利益と拡張のみを望むようになっていたのではないでしょうか。

 私自身まだ未熟で、日本という社会を完全に理解しきれていないかもしれませんが、かつて日本の会社や経営者は極めて高度な倫理と社会性を持って企業活動をしていたように思います。ところが近年、グローバライゼーションを信仰し、国際化を方便として、企業が利益のみを追求し、低賃金・ローコストを求めるアメリカ的手法で社員の首を切り、出来るだけフリーターや契約社員に切り替えていったのです。

 アメリカにおいても日本においても、先々のことに対して不安の要因が見えても、「経済は自ら問題を解決する」という経済万能主義を信じて手を打たず、ただがむしゃらに膨張のために前進した結果、現在のように手の施しようのないほどに問題が深刻化したのではないでしょうか。

 しかも悪いことに、その当事者たちは早々と逃亡してしまって、それを信じてゲームに夢中になった中間層及び成金の人々が大きな痛手を被っているのは言うまでもありません。しかし、ここでも一番の被害者は、弱者であり最貧困層の人々であるように思うのです。中国の山奥の人々までもが、出稼ぎ先で職を失い、現金収入が断たれているのです。

 私は、今年の年始は在宅しテレビをよく見ました。正月三が日のニュースやラジオでは繰り返し日比谷公園の派遣村について報道し、そこに駆けつけた政治家や著名な経済学者などが色々とコメントをしていました。私には、そうした政家や、自分には全く責任のないような論評をしていた経済学者のコメントが、非常に白々しく聞こえました。

 なぜならば十年ほど前、日本がパートタイマーを導入し、簡単に正社員のクビ切りも可能にした時に、この経済学者や慰間に来ていた政治家たちこそが、グローバル化時代に生きるためにアメリカ的自由競争経済を作り、日本の終身雇用制や年功序列を打破しさえすれば世の中が豊かで自由になる、といった論調を誇らしげに展開していたからです。

 自ら難民となりアジアの多くの国々が「赤化」しているのを目の当たりにしていた私は、当時、日本の良い制度を守って欲しいと精一杯訴えましたが、焼け石に水で、異端視さえされ、時代遅れのように扱われました。 (続く)

※『向上』(2009年3月号より転載)

|

2009年2月 6日 (金)

同じ穴のムジナ

 皆様は2009年の正月をどのように過ごされただろうか。私は三が日、自宅でテレビを見たり、最近漢字が殆ど書けなくなってきたので、その練習をして過ごした。

 人間の記憶力というのは意外と長く続かないもので、大学生位の頃は毎日文字を書き、アルバイト先でも業務日誌から病院の受付なども不自由なくこなしていた。ところが、最近は口述とワープロに依存しているため、突然、瞬間的に頭に浮かんできた漢字を、いざ文字で表わそうとすると、その刹那頭からは消え失せ恥ずかしい思いをしている。

 もうひとつ、私がこの正月に思い出したことは、かつて私が大学生の時に夏休みなどで過ごした職場の温かい人問関係と日本人の仕事に対する高度な倫理、そして労使の密接な運命共同体的人間関係に驚いていたことである。

 この三が日のニュースは、連日、繰り返し繰り返し日比谷公園で失業者への年越し救済キャンプ(派遣村)と、そこに駆けつけていた政治家たちのコメントであった。またラジオなどでも、それについての話題になり、著名な経済学者などがコメントしていた。

 しかし、私にはそこに駆けつけていた政治家や自分には全く責任のないような論評をしていた経済学者のコメントが非常に白々しく見えたり聞こえた。なぜならば10年ほど前、日本がパートタイマー制を導入し、簡単に正社員のクビ切りも可能にした時に、この経済学者や慰問に現れていた政治家たちこそが先頭に立ってはしやぎ、グローバル化時代に生きるためのアメリカ的自由競争を作り、日本の終身雇用制や年功序列を打破さえすれば、世の中が豊かで自由になるような論調を誇らしげに展開していたからである。

 自ら難民となりアジアの多くの国々が「赤化」しているのを目の当たりにした私は、「日本の良い制度を守って欲しい」と精一杯訴えたが、焼け石に水で、異端視さえされ、時代遅れのように扱われた。

 しかし、無秩序の自由経済が生み出したのは、現在の労働状況ではないだろうか。それまで会社は公共性があり、そこで働く人々とその家族の生活を最優先し、社会に対する貢献度を重視していたのに対し、会社は株主のものであると言い張り、そして株主に対して大きな利益を分配出来ない社長は無能で、社員は単なる生産の道具と化してしまった。

 私がアルバイトをしている頃は、先輩は後輩に仕事を教え、後輩は先輩や上司に礼を尽くし教えを請うのは当然のことであった。何かを達成した時は皆で喜び合い、その成果を味わっていたのに、能力主義という言葉の下で個人プレイを重視し、仲問全体の協力や努力よりも成果を生み出したことを個人の評価に変えるような社会になった。

 1950~60年代において、アジア全体が共産主義イデオロギーに包まれた。日本でも学会やマスコミ、労働者において、共産革命を目指し、政治活動に夢中になっていた若者やそれをそそのかすような学者、インテリなどがいた。ところが、杜会全体が生活に満足度を感じ、大多数が中流階級意識を持ち、会社や組織が運命共同体としてその生活を守ったがために日本の共産化は夢に終わった。

 ヘルメットを被り、社会主義を賛美する歌を歌っていた若者たちもいつの間にか当時の象徴的であった長髪を切り、汚れた服を新調したリクルートスーツに着替え、西洋で言う“ブルー.ソルジャー”になった。

 昨今、共産党の党員が著しく増えているという。これは当然の現象であろうと私は思う。メディアは、民主か自民かというような選択を次の選挙で、し向けているようだが、民主と自民の政策や政治家たちの歩みを丁寧に検証すれば殆どその違いはなく、あるとすれば民主党の中に自民党の公認漏れをした人や、波にうまく乗ろうと思ってサーフインをしたものの、ミスリーデイングによって予想外の方向へ流された人が多いということ位だろう。同じ穴のムジナである。

 それに比べ、日本共産党の根本的なイデオロギーについては賛同出来ないが、世界中の共産主義者がヤドカリのように次々と党名を変えていた中、日本共産党だけはその名前を固守した。そのことに対しては天晴れという感じを持つと共に、私は無秩序の自由に走り出した社会にやがて格差などが当然生じるであろうと思っていた。

 この問題の解決方法として、ある経済評論家は、「アメリカには1000万人がNPO活動で飯を食っている、日本もそうすべきだ」と提言していたが、私はこれを聞き、とんでもない話であると思った。

 かつて日本では“デモしか教師”というものがあった。つまり、他にやることがなければ教師にでもなるか…というものである。その結果がどうなったかということは、今更、私が申し上げるまでもないだろう。

 非営利奉仕活動というものは、あくまでも人々が自らの時間やものを節約し奉仕することであり、本来であればそれが生活の手段であるべきではないと思う。今、日本では雨後の笥のようにNPO法人が増えている。これが特定の政党などの支持母体となり、新しい政治的圧力団体化していることに十分注怠を払い、今のうちに明確なガイドラインを引かなければ新たな政治問題、社会問題になることは明白である。NPOのあり方を慎重に検討すべきである。

※『月刊日本』(2009年2月号)より転載。

|

チベット特別大会議

 二〇〇八年一〇月中旬、ダライ・ラマ法王は自身が推進してきた中道の路線、北京政府との対話による真の自治の実現が中国の不誠実な対応で困難になったのでもう一度チベット国民の総意を問い直したい、と議会と内閣に特別チベット大会議の招集を命じた。この招集はチベット亡命政府の臨時憲法である憲章第五九条に基づくものである。法王はさらに一一月初旬、日本を訪問した際も「中国の指導部に対し失望した。自分の方針は失敗であった。失敗は失敗として認めなければならない。したがってチベット国民に対し、もう一度総意を確かめる必要がある」と記者会見で述べた。

 亡命チベットの議会は直ちに特別大会議を招集し、一〇月一七~二二日、インドのダラムサラで五八○名の参加によるチベットの中国への対応の基本路線とチベットの将来について真剣かつ率直な討論を行った。一七日に正副議長の主催のもとサムドン・リンポチェ主席大臣(総理大臣)の来賓挨拶と議長から大会の趣旨説明を行った後、一五の分科会に分かれ、二〇日まで三日間激論が交わされた。

 中国との対応については、とくに今回北京政府側がダライ・ラマ法王の特使らとの会議でそれまでの態度を一八○度変え、法王はチベットの人民を代表して交渉する立場にないゆえチベットの自治など要求する立場にもない、と過去八回行われてきた協議をひっくり返すような態度に出たことに、怒りと批判が噴出した。大会中、中国の不正に対し、独立しか道はないと主張する人も数多くいた一方、現実的に客観状況などを踏まえ自治を引き続き求めていくことが妥当であるという意見もあったが、最終的にはあくまでも非暴力の手段によるダライ・ラマ法王にすべてを一任し、法王の意思に従うという形でまとまった。そして北京政府が全チベット(本来のチベットの領土)が一つであるということと、ダライ・ラマ法王が唯一正統な代弁者であるということを認めない限り、対話を中断するということで落ち着いた。その他、法王の後継者問題や亡命政府の教育方針など将来に関する問題についても言及した他、二〇〇九年は亡命生活、チベット決起五〇周年に当たり、チベットの各支援団体を通じてEU、国連などでもチベット問題を積極的に訴える一方、中国人民との交流を深め理解と支援を求めていくことも決議に加えられた。

 ダライ・ラマ法王自身は会議の中立性を重視し、大会には出席しなかったが、大会終了後の謁見で、それまでの方針についての説明と今後もダライ・ラマは死ぬまでチベットの法王としてその義務を果たすと力強い決意を述べ、中国に対しても指導部には失望したが国民への信頼を失ったわけではないと強調して、今後も中道路線を継続するという強い意志を表明した。  (ペマ・ギャルポ)

※『海外事情』(拓殖大学海外事情研究所、2009年1月号)より転載。

|

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »