同じ穴のムジナ
皆様は2009年の正月をどのように過ごされただろうか。私は三が日、自宅でテレビを見たり、最近漢字が殆ど書けなくなってきたので、その練習をして過ごした。
人間の記憶力というのは意外と長く続かないもので、大学生位の頃は毎日文字を書き、アルバイト先でも業務日誌から病院の受付なども不自由なくこなしていた。ところが、最近は口述とワープロに依存しているため、突然、瞬間的に頭に浮かんできた漢字を、いざ文字で表わそうとすると、その刹那頭からは消え失せ恥ずかしい思いをしている。
もうひとつ、私がこの正月に思い出したことは、かつて私が大学生の時に夏休みなどで過ごした職場の温かい人問関係と日本人の仕事に対する高度な倫理、そして労使の密接な運命共同体的人間関係に驚いていたことである。
この三が日のニュースは、連日、繰り返し繰り返し日比谷公園で失業者への年越し救済キャンプ(派遣村)と、そこに駆けつけていた政治家たちのコメントであった。またラジオなどでも、それについての話題になり、著名な経済学者などがコメントしていた。
しかし、私にはそこに駆けつけていた政治家や自分には全く責任のないような論評をしていた経済学者のコメントが非常に白々しく見えたり聞こえた。なぜならば10年ほど前、日本がパートタイマー制を導入し、簡単に正社員のクビ切りも可能にした時に、この経済学者や慰問に現れていた政治家たちこそが先頭に立ってはしやぎ、グローバル化時代に生きるためのアメリカ的自由競争を作り、日本の終身雇用制や年功序列を打破さえすれば、世の中が豊かで自由になるような論調を誇らしげに展開していたからである。
自ら難民となりアジアの多くの国々が「赤化」しているのを目の当たりにした私は、「日本の良い制度を守って欲しい」と精一杯訴えたが、焼け石に水で、異端視さえされ、時代遅れのように扱われた。
しかし、無秩序の自由経済が生み出したのは、現在の労働状況ではないだろうか。それまで会社は公共性があり、そこで働く人々とその家族の生活を最優先し、社会に対する貢献度を重視していたのに対し、会社は株主のものであると言い張り、そして株主に対して大きな利益を分配出来ない社長は無能で、社員は単なる生産の道具と化してしまった。
私がアルバイトをしている頃は、先輩は後輩に仕事を教え、後輩は先輩や上司に礼を尽くし教えを請うのは当然のことであった。何かを達成した時は皆で喜び合い、その成果を味わっていたのに、能力主義という言葉の下で個人プレイを重視し、仲問全体の協力や努力よりも成果を生み出したことを個人の評価に変えるような社会になった。
1950~60年代において、アジア全体が共産主義イデオロギーに包まれた。日本でも学会やマスコミ、労働者において、共産革命を目指し、政治活動に夢中になっていた若者やそれをそそのかすような学者、インテリなどがいた。ところが、杜会全体が生活に満足度を感じ、大多数が中流階級意識を持ち、会社や組織が運命共同体としてその生活を守ったがために日本の共産化は夢に終わった。
ヘルメットを被り、社会主義を賛美する歌を歌っていた若者たちもいつの間にか当時の象徴的であった長髪を切り、汚れた服を新調したリクルートスーツに着替え、西洋で言う“ブルー.ソルジャー”になった。
昨今、共産党の党員が著しく増えているという。これは当然の現象であろうと私は思う。メディアは、民主か自民かというような選択を次の選挙で、し向けているようだが、民主と自民の政策や政治家たちの歩みを丁寧に検証すれば殆どその違いはなく、あるとすれば民主党の中に自民党の公認漏れをした人や、波にうまく乗ろうと思ってサーフインをしたものの、ミスリーデイングによって予想外の方向へ流された人が多いということ位だろう。同じ穴のムジナである。
それに比べ、日本共産党の根本的なイデオロギーについては賛同出来ないが、世界中の共産主義者がヤドカリのように次々と党名を変えていた中、日本共産党だけはその名前を固守した。そのことに対しては天晴れという感じを持つと共に、私は無秩序の自由に走り出した社会にやがて格差などが当然生じるであろうと思っていた。
この問題の解決方法として、ある経済評論家は、「アメリカには1000万人がNPO活動で飯を食っている、日本もそうすべきだ」と提言していたが、私はこれを聞き、とんでもない話であると思った。
かつて日本では“デモしか教師”というものがあった。つまり、他にやることがなければ教師にでもなるか…というものである。その結果がどうなったかということは、今更、私が申し上げるまでもないだろう。
非営利奉仕活動というものは、あくまでも人々が自らの時間やものを節約し奉仕することであり、本来であればそれが生活の手段であるべきではないと思う。今、日本では雨後の笥のようにNPO法人が増えている。これが特定の政党などの支持母体となり、新しい政治的圧力団体化していることに十分注怠を払い、今のうちに明確なガイドラインを引かなければ新たな政治問題、社会問題になることは明白である。NPOのあり方を慎重に検討すべきである。
※『月刊日本』(2009年2月号)より転載。
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