« 伝統文化破壊、家族奪われた 中国の植民地支配を批判 | トップページ | センター試験と就職活動(上) »

2009年3月25日 (水)

理想郷を目指す戦い

▼独紙フランクフルター・ルントシャウ(三月十日)

 チベットから亡命して五十年、ダライ・ラマ十四世は一段と威厳を備え、人気が高まり、対談の相手として求められている。中国は全く別の宣伝を繰り広げているが、国内でしか役に立っていない。チベットの精神的指導者としての彼のイメージは輝きを増している。

Img041  ダライ・ラマの賛美者たちは、純粋な精神性、柔和な宗教性、包み込むような寛容性と人間性を口にする。その脊景には、物質優位の文明と対立するものとしての失われた理想郷、シャングリラという考え方がある。ジェームズ・ヒルトンが八十六年前に書いた「失われた地平線」はチベットのどこかにある。

 シャングリラが善意の偽りであることは以前から明白である。中国解放軍が占拠する以前のチベットも決して至福の国ではなかった。封建的で、僧侶とラマが支配する貧しい国であった。しかし、北京の宣伝機関が描く野蛮な奴隷社会でもなかった。

 中国の宣伝機関は物質的な進歩を引き合いに出す。確かに、道路や鉄道が敷かれ、病院、学校、大学ができた。五百万人のチベット族の生活水準は十二億人の漢民族に近づいたが、同時に同化も進んだ。それが否定的なイメージを生んでいる、今日の中国は未来のチベットである。

それが問題の核心だ。文明の劣る近隣の民族は中国文化を取り入れよ、というのが、政治色が違っても、何千年来の漢民族の考え方である。

 この考え方は(チベットや、イスラム色の強い西部の)独自の高度な文化を否定し、民俗的な枠内でのみ自治を許す、というものだ。経済から言語まで統合し、別の現代化は許さない、という立場である。

 これは決して中国だけの特殊な例ではないが、ダライ・ラマは真の自治を求めている。真の自治は、連邦化や民主主義の下でのみ司能なことであり、ダライ・ラマの存命中にその希望は満たされそうにない。しかし、その願いはその後も残るだろう。

※『世界日報』(平成21年3月17日付より転載)

|

« 伝統文化破壊、家族奪われた 中国の植民地支配を批判 | トップページ | センター試験と就職活動(上) »

報道」カテゴリの記事