« 「人財」不足をどう補うか (下) | トップページ | チベットで拷問される親族 »

2009年5月14日 (木)

政治家と企業献金を考える

選管が政治資金を扱え
党営選挙から管理委選挙へ

 今、世の中は企業献金間題で騒いでいる。小沢氏はどうせなら企業献金そのものを全面的に禁止すべきであると開き直っている。私は小沢氏の意見に賛成である。しかし企業献金を形の上で禁止したからといって問題が解決するわけでもなければ、小沢氏本人または事務所の関係者の疑いが晴れるわけでも、問題が解決されるわけでもない。

 問題の本質はむしろ日本の選挙もアメリカ化されてしまい、資金が必要なものになり、企業や大口の献金者に頼らざるを得ないような仕組みにある。頼れば見返りとして政治家は、国民にサービスする代わりに大口献金者のために便宜を図るような仕組みになっていることが問題であるよラに思う。

 小沢氏自身が先頭に立って作り上げたド派手なテレビコマーシャルをはじめとして、政治に資金の掛かるような文化は、由中角栄氏から伝承され、小沢流政治の特色にまでなってきたのではないか。私は、むしろ今回これを期に、資金の掛からない政治を実現するため、企業や特定の団体の利益のためではなく国民のための政治を行うため、政治家一人一人が自由を取り戻すためにも、企業の政治献金のみならず政党助成金も廃止すべきであると思う。

 企業の政治献金を禁止する代わりに企業は国の選挙管理委員会に献金し、国からの助成金と企業の献金を利用して選挙管理委員会がテレビの時間を確保し、学校や区民会館など公共の施設を利用して立会演説、討論会などを企画して、全ての候補者に平等な時間と発言する場を与えることによって選挙をより身近な所で感じさせ、国民が候補者一人一人の主張や人柄を身近に見極めて、投票できるような仕組みを作ることによって政治の浄化を行うと同時に、政治をより開かれたものにすることが極めて大事であるように思う。

 私自身参議院選挙を経験することで、今の政治が如何に資金が必要な仕組みであるか身をもって体験した。私は最初から資金がないことを承知の上で資金の掛からない選挙を行うつもりで、選挙法によって認められているポスターの数や葉書の枚数を最小限にこなすつもりでいたが、それでも千八百万円の大金が掛かったのである。しかし、その大金は焼け石に水であった。

 もちろん私は法律によって認められているポスターの三分の一も貼ることができず、遊説に関しては街頭で行ったのみだった。特別な団体や組織があったわけではなかったので、自分の主張は結局街頭で演説するほかなかった。テレビで訴えるチャンスも三十秒足らずであった。しかし、私はまだ幸いにして運の良い方で、党からの援助と友人知人のカンパで何とか借金をせずに済んだのである。

 今の選挙制度は二つの点で改めなければならないと私は思った。第一点はどんなに誠実で良い政策があってもそれを直接選挙民に訴えるチャンスが平等ではなく、逆に宗教団体や労働組合、特定の業種の代弁者あるいは代理人のような、国益よりも特定の団体や地域の利益のために役立つ人間であれば誰でも議員のバッジをつけられるような仕組みになっており、そのために政治家本人よりも政治ブローカーの方が実質的な政治への影響力を堅持できるような仕組みになっている。

 政治家は政策を練り、それを実行るために官僚たちを動かすといっても、彼らを監督する暇もなく毎日毎晩二、三十件の圧力団体やグループを廻り、自分の健康を代償にして飲みたくもない酒を飲み、お辞儀をしつつ握手するのが精一杯である。従って、今の政治の仕組みにおいては官僚が悪いというよりも、政治家に官僚を監督したり指図をする余裕などは出てこないし、献金に関しても勝つためならその資金の出所や献金者の意図するものに対し、いちいち点検する精神的時間的余裕は持てない。私は政治家のみを責められない気がした。

 第二点は、国会議員の数そのものも減らさなければならない。日本の人口の倍のアメリカや約十倍のインドに比べ、あるいは中国には世間の常識の国会議員は存在しないが中国共産党中央委員の数から考えても、日本は圧倒的に国会議員が多すぎる。私は半分に減らしても良いのではないかと思う。特に参議院に関しては元官僚、元外交官、元自衛官など経験豊かな人物に限定すべきであると考える。

 選挙管理委員会が現在の政党助成金ならびに企業や個人から国家へ貢献するために基金を集め、選挙を公平にするため選挙管理委員の数を増やし、ポスターも決められた数を選挙管理委員会が貼り一立会演説会、討論会その他集会などを管理委員会が催し、全ての候補者に平等のチャンスを与え、順番などをくじ引きで決め、家庭の個別訪間や、特定の企業や団体を個別に訪間することを禁止し、公平公正な選挙を実施し監督すれば日本の政治はよりクリーンなものになり、政策立案能力を持ち、実行力のある政治家を輩出するとともに政党の主張や政策の違いもより明解になるのではないか。

※『世界日報』(2009年4月1日付)より転載。

|

« 「人財」不足をどう補うか (下) | トップページ | チベットで拷問される親族 »

政治批評」カテゴリの記事