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2009年7月28日 (火)

時代を読む(上)

 最近、テレビなどを見ていると《時代を読む》ことの意味を考えさせるものがあります。
 大学生時代の恩師の教えの一つは、時代を先に読んで手を打つことの重要性でした。その場合の《時代を読む》とは、一年、十年、百年後に起こりうることを考えて、そのために備えていくという意味です。従って、当然その予測する事柄が起きないように予防することの大切さも含んでいます。またはその予測したような事態が起きても、それに充分対応し、それによってマイナスの影響を最小限に止めることにあります。

190_1_2  しかし最近、テレビなどを見ていると、本来であれば世の中に対しいち早く予防的注意を行い人々を啓蒙していく、べきものが、その時々の時流をうまく察知して、その時流に上手に乗ることを意味しているような思いがするのです。

 六月八日朝の番組で、ある著名人が、「日本にはアメリカ的な能力主義は合わないのに、グローバライゼーションとともに日本を弱体化するため、アメリカにそそのかされて能力主義や年功序列を否定するような風潮が生まれたのです」と、もっともらしく弁舌をふるっていました。

 この方の発言に限らず、最近ラジオ放送などを聞いて、腑に落ちないことがあります。

 それは十年くらい前から日本中の言論人、評論家と称する人々が先頭を切って、日本的経営を否定し、フリーターやパートとしての生き方を絶賛したことです。そして、真面目で正直な評論家、特に経済評論家などは言論の場から排除するような傾向が目立ちました。

 さらに今日の番組では、もう一人の女性の評論家が、「会社で働く人や経営者よりも、株主の方に対する責任云々という風潮が日本の現在の不況を起こした」というような発言をされていました。

 私の乏しい記憶では、これらの方々はかつて先頭に立ってリストラを称賛し、日本的年功序列などに基づく経営を悪の根源であるかのように非難していたように思うのです。

 上記に紹介したような評論家やコメンテーターのみならず、番組の制作者も私は無責任極まるものであるように思いました。 (続く)

※『向上』(2009年8月号)より転載。

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