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2009年7月13日 (月)

天安門事件20年の軽い人権

一層傲慢になった中国
商売ゆえに屈する国際世論

 天安門事件「決起」が起きて早20年が経過した。当時世界中が北京政府の自国民に対する非人道的かつ暴力的行為に対し憤って様々な形で抗議が行われた。国によって大使を引き揚げたり、経済制裁の一環としてODA(政府開発援助)を一時停止したり、様々な形で民主化を要求する学生や市民に対して称賛と激励の言葉が送られた。日本でもそれから数年間は政治家なども参加して毎年6月4日に抗議集会などが行われた。

 私も中国人ではないという前提で支援者として何度か参加し、時間の許す限り中国民主化を求める指導者たちとも意見交換などを行ってきた。この20年間に中国の民主化を求める人々の様々なグループやリーダーを目指す個人が現れては消え、離合集散を繰り返している。この状況から見ても、この問題がいかに難しいものであるかということがよく分かる。私の推測では折角まとまってきたかと思うと分裂していく現象の裏には当局の巧妙な手口が及んでいるように思う。

 最初の数年間は各集会に政治家なども積極的に参加し、我こそが民主主義のチャンピオンであり、国際人権のリーダーであると自慢気に演説をぶって大衆を元気づけていたが、次第に姿を現さなくなり、集会もいくつかに分散してしまった傾向が見られた。この現象自体に関しては民主化運動に直接携わっている方々の内部事情であるので私がとやかく言うべきことでも無いし、言うつもりも無い。むしろ一生懸命頑張っている人々に対し心から敬意とエールを送りたいと思う。

 私がここで問題にしたいのは、中国の政治状況が20年前と殆ど変わってなく、むしろ経済的軍事的に力を付けた中国政府はより一層傲慢で抑圧的になっていることだ。1989年から1990年代において、中国政府に対して好意的な評論家や言論人は、長い内戦に続き文化大革命の悲劇的な時代を経てきた中国にとって経済が最も重要であり、経済が良くなれば必ず政治改革が行われ、中国自らの手で民主化を図り政治改革も行われるので、それまでの辛抱であると民主化を求める人や、中国に対し批判的な人々を説得していた。

 しかし、その後、経済が発展しても政治的改革は見られず、2008年には再びチベットで流血騒ぎが起き数百人の命が奪われた。その時、今度は中国との経済関係を悪化させてはならない、中国と商売ができなくなったら大変だという口実で、チベットで命を奪われた人々の犠牲は、経済的理由で見て見ぬふりをするよう周囲に呼び掛ける経済人や文化人が現れた。政治家たちも、人権を尊いとまるで自分たちの専売特許のように平和を唱える運動家たちも、結局はキャンドルサービスやメディアにコメントを出すことぐらいで、それ以上の政治的声明も国連の決議も無いまま、北京オリンピックが実行され、ヒトラーよりも多くの人々を惨殺した中国共産党の旗のもと参列した。

 この人々にとって言行一致などは全く気にしておらず、また世論も何の矛盾も感じず拍手を送っていた。私は人間の命の尊さとか人権というのは、もっと普遍的なものであったはずなのにという気持ちで今回の天安門の決起記念日を、悔しさを抑えながら迎えた。

 北朝鮮の核実験に関しても結局は中国の強い反対で押し切られ、最終的に日本の望むような強い声明文を出せず、アメリカも同盟国でありながら中国に対抗して徹底的に北朝鮮を非難するところには至らなかった。結局、北朝鮮が自ら核武装し、韓国が明確にアメリカの核の保護を受けるに至った。このように朝鮮半島に核が配備され、その後ろにその何倍も威力のある中国が核武装している現状において、日本は果たして憲法第9条と非核三原則によって守られていくのだろうか。憲法第9条と非核三原則は日本を守るどころか日本を拘束しているに過ぎないように見えるのは私だけであろうか。

 私は次の選挙あたりで政治家も国民も臭い物にフタをするように憲法第9条の問題や非核三原則を宗教のお守りとして使うのでは無く、生きた法律そして現実に沿った政治理念として非核三原則の問題も選挙できちんと国民に考え、判断してもらう時期に来ているのではないだろうかと思う。

 かつてフランスは、ソ連の脅威から自国を守るという大義名分で核武装し、結果的にはいかなる国(米ソを含めて)に対してもその脅威に屈しないという姿勢を見せ、人口や面積、国土などから考えられないほど堂々と米ソの間を渉り歩いた。中国、英国などとも肩を並べて国連の安保理常任理事国として、またEUのリーダーとして存在を維持している背景には、常に自分がフリーハンドを保持しているからこそ是々非々で自由に行動し、主張できるからではないだろうか。

 私は日本の憲法第9条にしても非核3原則にしても日本が一方的に宣言し自らに足枷かせをはめているに過ぎず、他国に対してはそれを尊重する義務がどこにもないところに問題があると言いたい。

※『世界日報』(2009年7月6日付)より転載

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