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2009年8月

2009年8月26日 (水)

月夜の蟹(下)

 しかしよく考えてみると、明治から昭和までの日本は西洋を模範としながらも西洋の文化を消化し、日本ならではのものに仕上げていたところに日本的創造性があった。ただ単に西洋を鵜呑みにし、それを真似ようとしたのではなく、西洋の優れた部分を吸収し、それを応用して、より強いより豊かな社会を作るという明確な目的と方向性を持っていた。

 残念ながら、平成に入ってからは、国際化、グローバライゼーションの名において、そのまま西洋のものを日本に適用させようとし、日本そのものをグローバルとかインターナショナルという名を借りてアメリカナイゼーションしようとした。その結果、日本独自の応用力と高度な精神文化まで失うことにつながった。

 明治の人々は西洋から学び、祖国を守り、アジアで唯一植民地化を阻止することに成功した。富国強兵のスローガンのもと、日本は世界から無視できない存在となり、当時の国際連盟の常任理事国にのし上がった。そして多少の自信過剰などによって招いた結果に対しては、色々な見解や意見があることは十分承知しているが、日本が世界の中で無視できない存在になったこと、美しい自然環境と豊かな文化・文明と言っても良いくらいの高度な文化を国民全体が共有できて、しかも世界の上位に位置する教育の普及率を誇るに至ったことは誰も否定できないであろう。

 同様に第二次世界大戦で戦争に負け、国が廃墟と化した中から、バイタリティーと不屈の精神によってわずか二十五年で見事に国を再建し復興した。その過程において、もちろん日本はアメリカを始めヨーロッパ諸国から多く吸収し、真似し、そして「メイド・イン・ジャパン」をブランド化して、国そのものが大きな信頼と高い評価を得た。

 誰もが日本製品の精密な精魂込めた仕事を疑わなくなった。日本人は勤勉で器用でそして誠実であることを、当たり前のように思うようになった。

 また日本人のチームワークや仲間意識、協働意識、共栄という精神からの郷土愛、会社愛は、他国の人々や民族から良い模範として例に出されるようになった。

 日本のサラリーマンは会社人間あるいはモーレツ社員として知られ、家族までが社宅で集団生活をし、会社を中心とする運命共同体が構築された。

 日本はこの他、小中高大学などの同窓会あるいは、故郷を中心とする県人会などの他に様々なグループのもとで行動したことから、外国の人類学者などはこれを「タマネギ症候群」と呼ぶようになった。日本人は沢山のグループに入っているとういう帰属意識によって連帯を固めるので、最終的にタマネギのように何層にも重なっているという意味である。

 これがまさに日本の強みであり、日本ならではの知恵であった。

 「タマネギ症候群」に加え、日本人は共同体の中でお互いの気持ちを察し、個人の主張を控えるため、外国の学者からは「クラゲ症候群」、つまり骨がないと皮肉られた。しかし私は、骨が無くとも生きていたこと自体が大きな主体性であったように感じる。

 ところが平成十年以降、急速に流行りだした自己主張、個性という名のもとに自己中心的な風潮が蔓延し、グローバライゼーションと自由の名のもとに今まで築き上げて来た全てのものを無計画に破壊してきた。

 その結果、日本は、越路吹雪の言う「月夜の蟹」になってしまい、それが家族の絆、社会の連帯、国と国民の信頼全てを破壊し始めているように思う。

 そして今、目標や目的、手段が明確でない「チェンジ」という名のもとに、総選挙に突入しようとしている。私はもう一度「チェンジ」とは何か、何のためか、それによって何が得られるかを真剣に考えて欲しいと願う。 (了)

※『向上』(2009年9月号)より転載。

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2009年8月25日 (火)

月夜の蟹(上)

 小泉政権以来、日本は催眠術にかかったかのように「チェンジ」というマントラを唱え、日本中がこの言葉に酔いしれ始めたように思う。そしてオバマ政権が誕生することによって、この言葉は更にインパクトを持つようになり、今ではトランス状態にさえなっている。

130_2  皆、変化を求めており、変化に幻想的な期待を抱いている。しかし、それがどのような変化で、その変化によって世の中がどう変わるかなどについては、いまひとつ明確ではない。場合によっては、自分たちの生活も世の中も、もっと悪くなることもあり得るということについて全く考えていないように思う。私はこのような現象について自分なりに疑問を抱き、考えている時、テレビでシャンソン歌手の越路吹雪についての番組を観た。

 越路さんはシャンソン歌手をめざしてフランス語で歌っているうち、いまひとつ自分自身の歌にもの足りないものを感じ、自分は「月夜の蟹」であると嘆き、本物を求めてフランスに渡ったそうだ。

 「月夜の蟹」というのは、身がほとんど空っぽで食べるところのない蟹のことだ。当時多くの(現在でも例外で無いかもしれないが)歌手たちが言葉の意味もわからないまま洋楽を歌い、言葉とかみ合わないジェスチャーをしていた。そのことに彼女自身が不自然さを感じ、その答えを求めてフランスへ渡ったらしい。

 そして彼女は何度かの挫折を現地で味わいながら、最後に外国語を日本語に咀嚼し、自分自身のシャンソンを歌うようになったのである。

 もちろんシャンソンそのものはフランスのものであり、それはどんなに真似しても真似に過ぎないことを悟ったのである。だからこそ日本風のシャンソンに着手したのである。
 私は学生時代、多くの留学生とともに日本の近代化を茶化して「NO CREATION BUT IMITATION」とたびたび口にしていた。つまり日本は明治以来、西洋を真似し、自分たちの創造したものが無いという意味だ。

 当時アジア系の留学生を含むインテリ層が、日本に憧れ、日本的な者を求めても、自分たちが思い描いたような日本と出会うことが出来なかった欲求不満と、ある種の羨望の混じり合った表現であった。 (続く)

※『向上』(2009年9月号)より転載。

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2009年8月24日 (月)

国が発展する明確な目標を

外交防衛軽視の総選挙
米印関係の変化にも無頓着

  今、日本は国の将来を大きく左右するような国政選挙を迎えようとしているが、話題の焦点は官僚政治の打破のほか、内政、特に福祉問題に集中しているように思う。勿論これらの問題は極めて重要であるが、国家として成り立つていく上において長期的に考えてみると、私は教育問題や外交問題、防衛問題というような、すぐには目に見えないものも大変重要であるように思う。だが、残念ながらこの問題に関しては各政党あいまいな表現で片付けようとしているように見受ける。

 今日の多発する残酷極まる事件や高齢者などを特に狙い打ちにしている巧妙な詐欺事件、そして渋谷の夜の路上で目にする若い女性のあられもない姿は泥酔しているか薬物でも使用しているとしか考えられないが、声を掛けるにも最近このような光景は日常茶飯事であり注意すると逆ギレされるからと同行者に言われ、素通りしてしまった自分自身も情けなく思う始末である。これらの問題は政令や条例で片付くものではなく、法律以前の問題であり道徳や倫理が教育の現場ならびに家庭の躾から軽視されてきたという社会現象の結果であると考えるしかない。その解決方法は教育を根本的に見直すほか無いのではないか。

 次に防衛問題について、浜田防衛大臣は内閣に対し2009年版防衛白書を報告したと報道されている。その中で北朝鮮と中国について触れてあり、特に中国は台湾問題に対処する以上の軍備をしていることを指摘している。中国のこの数年間における海洋国家への転出は目に余るものがあり、アジアの国々は勿論、米国までがこの問題を注目し始めていることは言うまでもない。

 日本の防衛に関わる専門家たちや一部の学識経験者や政治家たちもこの問題に気づき始めているが、全体の流れとしては意図的に沈黙を続けているのか、或いは無頓着であるのか、中国に対して遠慮しているのか知らないが日本だけは何も手を打っていないように見える。勿論、政治家の中には安倍元首相や中川前財務大臣らが本に著したり、発言しているものの、日本の世論を形成するうえで大きな役割を持つメディアは冷ややかである。

 このような状況の中において私が興味を持ったのはクリントン国務長官のインド訪問である。同長官のインド訪問は日本においては総選挙のニュースが重要であったためか、メディアが意図的に軽視することに決めたせいか、余り注視されていなかったが、私はこの訪問は世界政治においても大きな変化をもたらす重要な訪問で、しかも米印両国にとって極めて有益な訪問であったと考える。特に防衛に関する協定が実現されたことは、両国の外交、防衛上、歴史的な歩み寄りであり、飛躍的な成果であったと評価している。

 両国は防衛において戦闘機などの売買を始め、武器の調達にまで具体的な取り決めに及んだ。今までどちらかと言えば旧ソ連に依存度の高かったインドが思い切って米国や、その米国と密接な関係にあるイスラエルからの武器調達に切り替えたということは、お互いの長期的な利益とそれを裏付ける信頼関係の構築が確信できたからであるに違いない。両国をこのような方向に導いたのは、両国の首脳が公式に認めようが認めまいが中国の一連の軍事的野望と、自信に満ちた、大胆な覇権を意識した軍事行動によって生じたことは明白である。

 中国は最近日本周辺の海で活発な動きをしているにも拘わらず、日本ではそれらの動きを牽制するような軍事行動も無ければ、それに抗議する外向的な声明も見当たらないし、それを批判するような新聞記事も見当たらない。政治の目的は国家の安全を保障し、国民の生命と財産を守り、国民の生活を豊かにするということは基本的にどの政党も考えてはいるのかもしれない。だが、それが政策の重点にあるようには見受けられず、自らの国の日常業務である行政を実行している官僚を叩き、明治維新以来試行錯誤して築き上げてきたあらゆる国のシステムを明確な代案や鮮明なビジョンも無いまま、ただひたすらに破壊することに躍起になっている向きがある。

 今、私たち国民一人一人、そしてその国民の信託を受けてこれから政治を運営しようとする代議士に立候補しようとする人々を含め私たち皆が考えなければならないことは、世界の中でどうやってこの国を維持し、発展させ、それを継続していくかという明確なビジョンを追求することにあるのではないだろうか。

 巨大な軍事大国化している中国と今後どう付き合っていくか、なんとかに刃物と言われるように核を手にしてしまった北朝鮮とどのように対応するか、そしてこの国の基礎工事とも言うべき教育と経済をどのように再構築するかということをベースに、どの候補者、どの政党が解決のための明確なビジョンと、実行するための経験と能力を持っているのかということを慎重に見極めなければならない。

※『世界日報』(2009年8月12日付)より転載。

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2009年8月 4日 (火)

チベット問題の良き理解者

川喜田二郎氏(チベット文化研究会会長)逝く

 ヒマラヤの学術調査を始め、カード式発想・情報整理法のKJ法を発案したことで知られる文化人類学者の川喜田二郎東工大名誉教授が亡くなられました。八十九歳でした。

 正義感の強い先生は、私にとってはチベットを支援してくださる有難い存在でした。チベット社会をご自分で密接に体験する中で、チベットの良さを知り、チベットを愛してくださいました。

 チベットが中共に侵略され、一方的な十七条約の不条理を世界に訴えてくれました。チベット支援に夢中になっている先生のことを、廻りの学者は「チベット二郎」と言ってひやかす人もいましたが、「正義はチベットにある」と堂々と主張する信念の人でした。

 一九七二年の日中国交正常化の際、私達留学生のビザ更新が難しくなった時、川喜田先生は灘尾法相や国連難民高等弁務官に働きかけ、さらに、インデラ・ガンジー首相にも書名を頂くなどして、私達を救ってくださった恩人です。

 また、先生はチベット文化研究会発足に当たり、大変尽力され副会長に就任し、三代目の会長を務めていただきました。そして、日本でチベット文化を広め、チベットを応援してくれました。川喜田先生が亡くなり、我々チベット人や正義を尊重する人々にとって、大きなよりどころを失い、残念です。ご冥福をお祈りします。

ペマ・ギャルポ

※『國民新聞』(平成21年8月10日付)掲載記事を加筆訂正して転載。

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2009年8月 3日 (月)

宗教人こそ勇気を持って行動すべし

 今世の中を見渡す限り、北朝鮮の核武装の問題、イランにおける大統領選絡みの内戦寸前の緊張状態、長期化しているアフガニスタン問題、地球温暖化などに見られる環境問題、21世紀になっても植民地支配を継続している中国共産党の一党独裁政権の問題などなど...人類が普遍的な価値と強い決意で望まなければならない地球的問題が山積している。

Bukkyou  もしこのような状況の中にゴータマ・シッタールダ(お釈迦様)、イエス様、マホメット様、マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キング牧師が生きていたら果たして沈黙を守っただろうか。私の愚見では彼らはこのような混乱に際して沈黙し高見の見物はせずきっと先頭に立って戦っていたに違いない。

 日本の中には政治と宗教は公の場に持ち込んではならないという暗黙の了解に基づく奇妙な文化があるが私は政治と宗教を抜かしたら人間集団もサルやチンパンジーの集団とそう変わらないものになってしまうのではないかと思う。

 日本の平和主義者と自称する人々の中にはマハトマ・ガンジーを平和の代名詞のように引用し、マハトマ・ガンジーは無抵抗主義者であったと言い張るが、それは大きな勘違いで、マハトマ・ガンジーこそ不正に対して徹底的に立ち上がり、先頭に立って戦う一生を送っていた。ガンジーは英国の不当な支配に対して戦ったのみならず、インド人やインドの社会の不正、不合理に対しても徹底的に立ち向かい、ある時はペンで、ある時は断食などの手段に訴えとにかく戦ったと思う。ただし彼はその闘いの手段として暴力を否定し、暴力に対しても非難してきたのである。

 上記の方々はその正義を貫いたため幾度となく命を狙われ、また命を奪われてきた。しかし闘いの手をゆるめることは無かった。彼らには確固たる価値基準があり、それは普遍的なものとして妥協を許さなかった。

 私は中立あるいは政治的配慮などという言葉を遣う人こそ政治的であり、現実の問題から逃避しているよう感じる。

 私の自らの体験から世界連邦日本仏教徒協議会の歴代の会長、理事長を始め、先生方は積極的にこの世の不正に対し、正義を行い、苦しみに満ちた人々に慈悲の手を差し伸べ、苦しみと苦しみの原因を作る戦争や暴力、貧困などに対してその根本から原因を取り除くため勇気を持った正義のための実践仏教集団として、世界の他の宗教や政治のリーダーたちと手を携えてリーダーシップを取り、やがて地球人としての連帯に芽生え、平和に暮らす社会の実現の為にご活躍頂くことを切に願い、そのため私自身も大海の一滴として皆様のご指導を受け、一緒に悔いのない日々を送って行きたいと考えている。

※世界連邦日本仏教徒協議会会報『世連仏』(通算67号)より転載

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