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2009年8月25日 (火)

月夜の蟹(上)

 小泉政権以来、日本は催眠術にかかったかのように「チェンジ」というマントラを唱え、日本中がこの言葉に酔いしれ始めたように思う。そしてオバマ政権が誕生することによって、この言葉は更にインパクトを持つようになり、今ではトランス状態にさえなっている。

130_2  皆、変化を求めており、変化に幻想的な期待を抱いている。しかし、それがどのような変化で、その変化によって世の中がどう変わるかなどについては、いまひとつ明確ではない。場合によっては、自分たちの生活も世の中も、もっと悪くなることもあり得るということについて全く考えていないように思う。私はこのような現象について自分なりに疑問を抱き、考えている時、テレビでシャンソン歌手の越路吹雪についての番組を観た。

 越路さんはシャンソン歌手をめざしてフランス語で歌っているうち、いまひとつ自分自身の歌にもの足りないものを感じ、自分は「月夜の蟹」であると嘆き、本物を求めてフランスに渡ったそうだ。

 「月夜の蟹」というのは、身がほとんど空っぽで食べるところのない蟹のことだ。当時多くの(現在でも例外で無いかもしれないが)歌手たちが言葉の意味もわからないまま洋楽を歌い、言葉とかみ合わないジェスチャーをしていた。そのことに彼女自身が不自然さを感じ、その答えを求めてフランスへ渡ったらしい。

 そして彼女は何度かの挫折を現地で味わいながら、最後に外国語を日本語に咀嚼し、自分自身のシャンソンを歌うようになったのである。

 もちろんシャンソンそのものはフランスのものであり、それはどんなに真似しても真似に過ぎないことを悟ったのである。だからこそ日本風のシャンソンに着手したのである。
 私は学生時代、多くの留学生とともに日本の近代化を茶化して「NO CREATION BUT IMITATION」とたびたび口にしていた。つまり日本は明治以来、西洋を真似し、自分たちの創造したものが無いという意味だ。

 当時アジア系の留学生を含むインテリ層が、日本に憧れ、日本的な者を求めても、自分たちが思い描いたような日本と出会うことが出来なかった欲求不満と、ある種の羨望の混じり合った表現であった。 (続く)

※『向上』(2009年9月号)より転載。

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