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2009年9月26日 (土)

命と平和の意味(上)

 この度、私的にベトナムを訪問した。私のベトナムヘの関心は、世界一の軍軍大国アメリカに負けなかった(ベトナム競争)こと、、ま た鄧小平が中国の巨大な軍事力を背景に周囲の反対を押し切ってベトナムヘ教訓を与えると意気込んで出兵したのに、逆に教訓を受けてしまった(中越戦争)こと……その祖国を守るというベトナムの人々の強い意志と精神力に触れたいと思い、春先から早々と準備をして出発した。

196_1  しかも今回は政府高官や政治家達とは一切接触せず、出来るだけ一般市民、特に若者と触れ合うことに重点を置いた。

 そして私が感得したものは、思ったとおリベトナム一般市民が中国に対して強い不信感を持っていることと、国民が一人一人強い愛国心とベトナム人としての誇りを持っていることだった。

 それと驚いたことに、アメリカ人の戦争行為そのものを侵略的と位置づけながらも、それは過去のことであるとドライに考え、これからのベトナムにとってはアメリカとの協力が重要である、という明確な考え方を持っていることであった。

 アメリカ兵によるベトナムでの残虐な行為を記録した博物館などがあっても、それは決してアメリカに対し反省を求めるとか、アメリカヘの増しみを増加させるための教育の材料にしているのではなく、あくまでも事実の証録として伝えていた。

 八月には、日本でも広島・長崎の被爆者への鎮魂の式典が行われている。これについてはNHKが海外向けの放送をしている他、外国の通信社による報道もあった。これらのニュースは、被爆者へのインタビューなどをとおしてコメンテーターが過去の戦争に対する批判、反省そして命の尊さということを重点的に表現しようとしていた。

 このこと自体は重要で、それらの行為を全面豹に否定するつもりはない。ただベトナムと比べると、日本の報道はややもすれば演出的な要素を感じさせ、かえって戦争の悲惨さや命の尊さを軽く語っているような印象を強く受けた。

 少なくとも広島・長碕に関しては日本が被害者であるはずなのに、まるで日本がこの悲惨な非人道的行為の加害者であるような錯覚さえ起こさせる報道ぶりであった。広島の慰霊碑に書いてある「我々は二度と同じ過ちを繰り返しません」という言葉を、同じニュアンスで広島市長などが得意げに唱えている姿にも、正直に言って、私は共鳴出来ないどころか、むしろ勇気を持ってアメリカに対して二度と同じような過ちを起こすな、と言うべきだと思った。そして全ての核保有国に対して、或いは核を保有しようとしている国々に対して、核兵器による人類への脅威とその悲惨さを強調して訴えた方がよいし、説得力もあると思う。 (続く)

※『向上』(2009年10月号)より転載。

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