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2009年10月

2009年10月28日 (水)

暴走する中国、迷走する日本

★わずか30年で力をつけてきた中国

 中国は、1979年頃からわずか30年間で力をつけてきました。今でIMFに対しても、自分たちにもっと発言させろ、どうしてIMFの総裁はいつもアメリカ人ばかりなのかとか、アジア開発銀行の総裁はずっと日本人がなっているとか、そういういちゃもんをつけるまでになっています。

From_clipboard 外交の面においても中国は、国際司法裁判所に裁判官を送っているし、国連の常任理事国でもある。あるいは、北朝鮮と日本との関係においても仲介に立って、むしろ自分たちの影響力を伸ばしているような状況です。

また南アジアの各国の港を、軍用としても使えるような配置をどんどん進めていて、マラッカ海峡もいつでも封鎖できるような状況になっています。そのような状況の中で、安全保障ということを考えたときに、日本ほど現在、他国にあらゆる面で頼っている国はありません。その日本は今後、継続的に今のような形で発展するために、本当に資源やマーケットの確保ができているかというと、必ずしもそうなっていないように思います。

★大きな国家ビジョンを持てない日本

一党独裁の中国という国は、いわゆる「透明性」や「説明責任」がまったく必要ありません。指導部が考えて、自分たちがいいと思う方向に命令を出して実行できます。すなわち、国家として大きなビジョンを立て、それを現実化するために、人材の育成から、戦略・戦術を実行していくことができます。

 それに対して、民主主義の日本の場合には、いろんな意見を調整していかなければなりません。しかし、それぞれが右に行く左に行くと言って、結局、真っ直ぐ歩けるようになっていない。まさに「迷走する日本外交」という状況です。

 そのときにカリスマ性のある指導者が存在し、それを支えるような人材がいればいいのですが、現在は民主主義の数ばかり気にして、数を確保するために身近な事だけを一生懸命やっている。長くて4年しか続かない日本の指導者の政治生命を考えると、残念ながら、国家の目標を立てて、大きなビジョンを持って物事を行うということができていないと思います。

※『Weekly Report』(平成21年8月11日付、東京西南ロータリークラブ発行)

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2009年10月20日 (火)

人権なき中国60年を悲しむ

独裁大躍進に正義なし
自由民主主義の価値で見よ

 現在いわゆる中華人民共和国は、経済面においても技術力の面においても軍事力においても大躍進していることは否定できない事実であろう。そして、それに伴う国際社会における発言力が増していることも確かである。その中華人民共和国は現在、共産党政権樹立60周年を迎え、祝賀のため軍人、学生など20万人を動員して天安門広場で大行進を行い、最新の兵器なども披露した。

 この祝賀行事というのは共産党と軍とその頂点に立つ指導者のみのお祝い事であって、国民はパレードを行う道路側の窓を閉めるよう指示され、窓から覗いたりバルコニーに出たりすると射殺するという、祝賀行事に相応しくない命令が伝達された。そもそもこの60周年というのは現在の共産党一党独裁の権力者たちにとって喜ばしいことであっても、今日の発展は血生臭い闘争と数千万人の命の犠牲の上に成り立っている。

 そしてチベット、ウイグル、南モンゴルなど他国や他民族を侵略し植民地化することによって成り立っている表面的な繁栄・発展であり、その背景およぴ底辺には未だに苦しんでいる人々が沢山存在している。最低限度の基本的入権、特に言論の自由などに関してはチベットやウイグルなど他民族に限らず、中国人の良識ある人々でさえも投獄されている。だからこそ当局は厳重な統制を行い、何十万人の軍人や武装警察を配置して鵜の目鷹の目で反体制的な分子の動きを四六時中見張らなければならない。そのような現状を自分たちが作り出していることを認識しているか疑問である。

 同時に世界中の民主主義者、人道主義者と称する人々もこの中国の表面的発展と繁栄のみに目を奪われ、その現実を見失っているのか、あるいは一時的な利害関係を重視するがために、見て見ぬふりをしているのか、少なくとも日本のマスコミを見ている限り、中国の顔色を窺いながらペンを走らせ、カメラを回しているようにしか思えない。世の中に果たして正義というものの概念があるのかと疑いたくなるぐらいの悲しい現象である。

 北京政府は、この祝賀行事を通して魚のフグが自分を大きく見せるように自国が経済的、軍事的、政治的大国であるということを印象づけ、ひれ伏させようとしている。過去の中国の帝国同様、現在も朝貢外交を周囲に要求し始めているように思う。もちろん日本の新首相も早々と参上するようである。それには当然、経済界などからのプレッシャーも想像できる。

 かつて日本は「政治二流、経済一流」というフレーズがあったが、今では残念ながら経済指導者も企業単位の利益しか考えず、国家国民を踏み台にして儲けようとする者が多く、経済も倫理的および国益の基準で考えると二流どころか三流に成り下がっているように見える。

 この現象は国内の政冶に対する財界や企業からの対応にも見られる。例えば国民新党の亀井静香代表、現在の郵政・金融大臣がいみじくも今の日本を長年支えてきた中小企業を救済しようとする法律の整備を試みると、たちまち金融業界と御用学者と評論家などからもそれを阻止しようとする抵抗があからさまに見られた。「友愛」を掲げる鳩山新内閣と亀井静香大臣には弱者と正義のための政治を行って欲しいと切に願いたい。

 冒頭に述べた無敵に見える中華人民共和国の政権は、建国以来一度も国民の信任を自由な選挙を通して確認したことが無い。あくまでも毛沢東主席の「権力は銃口から生まれる」という思想に基づいて、国民を支配し周囲を恐喝してきたのである。それに比べると日本の政権は戦後60余年国民の自由意志によって選挙の洗礼を受けている。自由民主党はその殆どの間、政権を担当し今日の日本の発展と繁栄に大きく寄与してきた。その長年の権力の座についた政治家の中にはマンネリ化や傲慢さなどがなかったわけではないが、そのために反省を求める民衆は他政党に対し政権を担当するチャンスも与えた。

 今回の衆院選挙も同様で選挙後の世論調査などでも明確に現れているように、国民は民主党の政策や政治家一人一人に、自民党より優れているから一票を投じたというよりも、自民党に対し反省を求めるためお灸を据えようという意図が明らかである。民主党がこのチャンスを活かせば継続的に政権を担当する司能性は当然あるが、同時に自民党も深く反省し充電して努力すれば政権再交代の機会はある。

 しかし、中華人民共和国という国の悪政下にある13億人の人々にはそのような民主的手続きに基づく選択は許されていない。そしてこの独裁政権は国際社会の“共犯者”たちの協力のもと一層膨張し、暴走しているようにも見えるが、同時に自国の中に内在する様々な矛盾が押さえきれなくなり、正義と良識が起爆剤となって自爆する可能性も残っている。

 私たちは10月1日のテレビを通じて見る中国をそのまま受け入れるのではなく、本当の姿を見つめ自由と民主主義の価値を改めて認識すべきである。

※『世界日報』(2009年10月13日付)より転載。

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