« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

2009年11月30日 (月)

生と死 ─ 中川昭一先生を偲ぶ ─  (上)

 私はこの歳まで当然のことながら多くの大切な方々の死と直面してきたが、今回ほど衝撃的な死はなかった。十月四日、講演先の愛知県で事務所から電話を受けたとき、一瞬言葉もないくらいショックを受けた。人間誰しも生まれた以上は死ぬ。しかも死が突然やってくることは、頭では理解していたし、そのような体験もないわけではない。しかし今回の場合は違った。私と同年で一カ月少し年下の中川先生には、これからの日本とアジアのために大きく活躍して頂きたいと思いを寄せていたからである。

195_1_2  正直に言って私は、先生が今回落選したとき、これは先生が大きくなる良いチャンスであり、少し時間を掛けて私の日本、アジア、世界に対する考えや夢を語る好機であると思っていた。

 中川先生と初めてお会いしたのは、先生の御父君の中川一郎先生のお通夜の時であった。世田谷のお宅で目を真っ赤にした三十歳そこそこの青年・中川昭一氏の姿が脳裏から離れず、悲しみを深く感じた。やがて国会議員になってからはチベット問題などでしばしば時間をいただき、その折々、チベット問題以外の日本の状況などについても意見を述べる機会を得た。先生はどんなに多忙でも、私との関係というよりチベットのための会合に顔を出してくださり、激励してくださった。

 先に述べたように、先生は何の得にもならない、むしろ損をするようなチベット問題を始め、数々のやるべきことを躊躇せずに実行する正義感と勇気に溢れた方であった。身の程知らずの私は先生に対し、「先生は首相などを目指すよりも、首相をあごで使える真の大物政治家になるべきだ」と愚かなことを誠意を持って申し上げたことがある。

 その後先生の著書を読み、先生が政治家になった動機そのものが御父君の偉業を継承しそれを達成したい、つまり中川一郎先生が総理大臣に挑戦し、敗れたまま亡くなったことを強く意識していることに気がついた。そのことで私は自分の発言を撤回し、頑張って日本の総理を目指して欲しいと申し上げようと思っていた。

 先生がローマから、帰国して財務大臣を辞められた後、私はダライ・ラマ法王の甥のトンドゥップ殿下と先生を表敬し激励しようと面会を申し込んだ。先生は快く応じてくださり、おまけに頭を下げ「この度は皆様に色々ご迷惑をお掛けしました」とおっしゃった時は胸がいっぱいになり、涙がこぼれ落ちそうになったので、結局私は、以前に述べた言葉を撤回する言葉も出なかった。その時、先生は思った以上に元気であったが、何かいつものパワーというかエネルギーが感じられず、帰途私はトンドゥップ殿下に、先生は今回のヨーロッパでの出来事を相当重く受け止められており、いつもの気迫が感じられなかったと申し上げた。  (続く)

※  『向上』(2009年12月号より転載)

|

2009年11月23日 (月)

日・ブータン関係への期待

観光や有機農法に展望
立憲君主制移行で新興活力

 この度5日間という短期間ではあったが、バンコク経由でブータン王国へ関係者との打ち合わせのため訪問した。ブータンは現在年間2万8千人の観光客が訪問しているが、この人数を2013年までに10万人に引き上げるという、ややもすれば大胆すぎる目標を掲げている。しかし、同時に自然と文化的環境を保全することも重視している。現在、日本からの観光客はアメリカに続き第2位。できれば観光客全体の2割程度が日本から来てくれれば理想であるとしている。その理由は同じ仏教文化を共有する日本の方が、ブータンの若者に対して良い影響を及ぼすことを期待しているからである。

 今回は大手航空会社の系列旅行会社の社長以下4名が同行し、日本の富裕層をターゲットとしてブータン・ツアーを組むための下準備をしたが、一部上場の製薬会社社長も現地視察を行った。今後ブータンとの協力関係について総理大臣以下、各関係大臣や事務当局と合計21回の会合を3日間で消化し、双方十分に満足するものとなった。特に製薬会社の社長は既にブータンの農業及び畜産の発展のために博士課程の留学生2人を日本に招聘しており、今後も具体的に投資するためのホールディング会社の設立や留学生の継続的受け入れを合意し、ブータン側に大変感謝されるなど、両国の今後の関係を更に深める上で建設的役割を果たしたことを確信した。

 中国とインドという世界の2大国に挟まれている地政学上の不利な状況をプラスに変え、現在、外交・防衛などあらゆる面においてインドとの強い絆を維持しながら、将来は経済的に発展しつつある中国、インドの両方の富裕層をマーケットにしたいという戦略も着実に進んでいる。ブータンは大量生産よりも有機農法をブランドとし、健康食及び伝統医学(チベット医学)を背景とした薬草に基づく東洋医学を世界に広めたいという夢を持っている。

 また、南及び中央アジア周辺諸国の不安定な政治に比べ、ブータンは新しい立憲君主国として民主化を進め、国の安定した政治状況を活かして国際教育のハブを目指し、近々自国の研究機関を大学に格上げすると同時に、海外からの教育機関と提携するシナリオを持って積極的に動いている。自然環境の美しさと豊かな水資源、美味しい空気もこのような教育産業の発達に貢献すると見られている。

 私が特に感銘を受けたのは、国家公務員の質の高さである。つい最近皇太子に王位を譲って引退した第4世ジグメ・ワンチュック国王は先代の急死で17歳の若さで王位を継承し、以来様々な工夫を加え特に人材育成に力を入れている。多くの若者に教育の機会を与えた成果として、高官たちは隣のインドをはじめ世界各国の大学に留学し、修士課程や博士課程まで修了している。特に一旦公務員になってそれぞれが自分の道を定めてから、修士課程や博士課程に進学させて来たため、各分野においては世界の近代的教育レベルに達した40代から50代の頼もしい官僚たちが課長、局長、次官クラスで切磋琢磨している姿は、国の将来に期待を持たせる要素になっている。

 しかも彼らは国王が発願したGNH(国民総幸福度)の哲学をしっかりと身につけており、将来に対して価値観と明確な目標を共有しているので、エネルギーを無駄なく集中させている。ジグメ・ティンレー首相は、初の議会制民主主義制度のもとで誕生した首相として、自分の政権は民主主義の土台とGNHの哲学に根ざした国作りのしっかりした土台を作ることが最大の任務であり、それに失敗したら民主主義政府そのものに対する国民の信頼を失うことになるので、国王の壮大な理想と国民の現実的生活向上をもって目に見える成果を出さねばと奮闘している。

 しかし、残念なことに今年は地震、洪水など災害が続き、予想外の出費とエネルギーを使うことになったが、首相はこれも試練であると言って非常に前向きに受け取られていたことに私はほっとした。また国王は何日も被災地で国民とともに過ごされ、復興活動に自ら陣頭指揮を取られた。国王の「私はこの度の皆さんの悲しみを消す術も無ければ、涙を流すなとも言えない。失った者に対する精神的なものは私たちが自ら克服するしかないが、政府は今回失った家を再建し、この町を以前よりも素晴らしい町にすることを私が保障する」という言葉に対してある村人が、「国王のあの言葉こそが私たちにとって精神的に大きな支えであり、悲しみを癒やす力がある」とマスコミに答えていた。

 私はこれを見て、日本の政治家が被災地やホームレスなどを訪れているときなどのパフォーマンスにしか見えない表面的な同情とは根本的に違うと感じた。それと同時に戦後日本の復興に力を注いできた日本の官僚たちや明治維新に貢献した日本の青年志士たちがチベット仏教的に言うと今ブータンに生まれ変わって奮闘しているように見えた。我が国の新政権に対しても国民から寄せられた信頼と与えられたチャンスを良い方向に使ってくれることを心から祈りながら帰国の途についた。

※『世界日報』(2009年11月16日付)より転載

|

2009年11月 3日 (火)

民意と民主主義(下)

 鳩山氏、小沢氏を始め多くの民主党議員は、かつて自民党に籍を置き、自民党の多くの大物たちから手ほどきを受けているはずであるので、自民党の良き所を応用していただきたい。国民からの大きな期待を含めたチャンスをぜひ活かして期待に応えて欲しい。

 鳩山氏が党首になってからの人事は見事だと感心していたが、メディアなどによると、既に小沢氏が横やりを入れるなど、強引な干渉が見え隠れしている。小沢氏自身の党内における力、ならびに党の選挙に対する貢献は多大であろうが、国民はあくまでも鳩山氏を党首とする政権に対して「イエス」を示したのであって、小沢氏が党首の顔で戦ったのではないことを忘れないで欲しい。小沢氏の政治手腕を疑う人はいないが、同時に細川、羽田、村山内閣を潰し、小渕首相に対しても死の原因にもなったと言える政治的・精神的プレッシャーなどから破壊者としてのイメージが強いことを自覚し、その汚名を返上するよう期待する。

 いずれにしても、民主党は長年の念願が叶えられて、日本の二大政党の今後の成熟を表すバロメーターにもなると思うので。心より成功を祈ると共に、注意深く監視していきたいと考える。例えば百人という大勢を政府に送り込む場合、国会議員の手当をはじめとする多額の給料の出所はどうするのかなど疑問は残る。

 なお自民党に関して、昭和四十年以来四十四年間、私は日本の繁栄と安定の恩恵を受けてきた者の一人として、心よりお疲れ様と感謝の意を申し上げたい。

 私は小泉純一郎氏のわがまま強権政治の六年間に精一杯建設的批判をしてきたつもりである。特に創造と維持のない破壊に対し注意を促してきた。もちろん小泉政権の全てを否定するつもりはないし、特に彼の外交センスは評価できるものもあった。彼の長期政権は運と決断力とパフォーマンス力の他に、日本国民が潜在的に持っている民族の独立精神の現れとしての靖国神社参拝への支持と評価があったように思う。

 私は自民党の選挙での敗北よりも、敗北後の対応に失望している。五十四年間も政権を担当していれば当然様々な問題が生じ、国民からも飽きがくるのは仕方がないとしても、中堅若手と称する山本一太議員などの、口で反省と言っても自分を見つめている様子のない態度には呆れてしまった。二十人の同胞を説得できない人が、どのようにして一億二千万人を束ねていけるのだろうか。もちろん今回の敗北は自民党自身が何よりも反省し、そして再生しなければならない。しかし反省の第一は、自民党が結党時の大義であった自主憲法の制定と自主独立という基本理念を失ったことであろう。これは全ての政党に言えることであるかもしれないが、基本理念を明確に持たない政党はコンパスを持たずに砂漠に行くようなものである。

 従って、古きをたずねて新しきを知るという精神で新たに出発すれば、まだ自民党に未来は残っていると思う。十数年かかって二大政党がやっとここで切磋琢磨出来る環境が整ったのである。従って今回落選した多くの自民党の議員は、英気を養い充分に充電して再出発に臨んで欲しい。健全な民主制度が定着するためには常にある程度の緊張感を保持することが望ましい。国民新党など諸党のバランサーとしての役割も必要不可欠であり、大いに期待している。 (了)

※『向上』(2009年11月号)より転載。

|

2009年11月 2日 (月)

民意と民主主義(上)

 民主主義は民意が最も反映される政治システムだとされている。そのことを顕著に表したのが今回の総選挙であったような気がする。何故ならば国民一人一人が自らの意志で投票所まで行き、一票を投じた結果が直接政治に反映し、自分たちの生活そのものに跳ね返ってくるからである。

146_1  今回はまさに民主党と自民党が逆転した言える。解散前の民主党の議席は百十五で、解散後は三百八、自民党は解散前が三百で解散後は百十九である。民主主義社会において国民の意思が表れたと素直に認めるべきであろう。

 従って結果そのものに関しては敗者の自民党も潔く敗北を認めているし、私もそれにいちゃもんをつける気は全くない。客観的にプロセスと結果を見ている限り、これはまさに天の声ではなく、人々の声である。

 ただ私の見方として、これは三つの要因が混在していることも忘れてはならないと思う。一つは国民の自民党に対する失望と怒りの声であり、もう一つはマスコミによる世論操作の影響が大きいということである。残りの一つは小泉純一郎政権のめちゃくちゃな政策が生み出した様々な矛盾による悪影響が結果として表れ、小泉純一郎氏と竹中チームが公言したとおり、自民党が破壊されたのである。もちろんこれに加え、小さな要因として麻生太郎氏のタイミングを読む決断力のなさも加えなければならない。

 小泉純一郎政権のめちゃくちゃな政策が貧富の差を広げ、日本が戦後半世紀以上にわたり試行錯誤して作り上げたさまざまな制度を混乱させた結果、方向性を失い、それをマスコミがあおることによって国民の間に不安と不満が増し、現状打破、つまり「チェンジ」を求めるようになったのだと思う。

 そのため多くの国民は、民主党の政策や政治家が自民党の政策あるいは人物よりも優れているというより、とにかく現状打破への思いから民主党に投票したということが、選挙後の世論調査などでも現れている。

 従って私が民主党に期待することは、かつて自民党が持っていた思いやりの政治、社会正義を重視した「私」よりも「公」を重んずる政策を実現して欲しいということだ。 (続く)

※『向上』(2009年11月号)より転載。民意と

|

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »