生と死 ─ 中川昭一先生を偲ぶ ─ (上)
私はこの歳まで当然のことながら多くの大切な方々の死と直面してきたが、今回ほど衝撃的な死はなかった。十月四日、講演先の愛知県で事務所から電話を受けたとき、一瞬言葉もないくらいショックを受けた。人間誰しも生まれた以上は死ぬ。しかも死が突然やってくることは、頭では理解していたし、そのような体験もないわけではない。しかし今回の場合は違った。私と同年で一カ月少し年下の中川先生には、これからの日本とアジアのために大きく活躍して頂きたいと思いを寄せていたからである。
正直に言って私は、先生が今回落選したとき、これは先生が大きくなる良いチャンスであり、少し時間を掛けて私の日本、アジア、世界に対する考えや夢を語る好機であると思っていた。
中川先生と初めてお会いしたのは、先生の御父君の中川一郎先生のお通夜の時であった。世田谷のお宅で目を真っ赤にした三十歳そこそこの青年・中川昭一氏の姿が脳裏から離れず、悲しみを深く感じた。やがて国会議員になってからはチベット問題などでしばしば時間をいただき、その折々、チベット問題以外の日本の状況などについても意見を述べる機会を得た。先生はどんなに多忙でも、私との関係というよりチベットのための会合に顔を出してくださり、激励してくださった。
先に述べたように、先生は何の得にもならない、むしろ損をするようなチベット問題を始め、数々のやるべきことを躊躇せずに実行する正義感と勇気に溢れた方であった。身の程知らずの私は先生に対し、「先生は首相などを目指すよりも、首相をあごで使える真の大物政治家になるべきだ」と愚かなことを誠意を持って申し上げたことがある。
その後先生の著書を読み、先生が政治家になった動機そのものが御父君の偉業を継承しそれを達成したい、つまり中川一郎先生が総理大臣に挑戦し、敗れたまま亡くなったことを強く意識していることに気がついた。そのことで私は自分の発言を撤回し、頑張って日本の総理を目指して欲しいと申し上げようと思っていた。
先生がローマから、帰国して財務大臣を辞められた後、私はダライ・ラマ法王の甥のトンドゥップ殿下と先生を表敬し激励しようと面会を申し込んだ。先生は快く応じてくださり、おまけに頭を下げ「この度は皆様に色々ご迷惑をお掛けしました」とおっしゃった時は胸がいっぱいになり、涙がこぼれ落ちそうになったので、結局私は、以前に述べた言葉を撤回する言葉も出なかった。その時、先生は思った以上に元気であったが、何かいつものパワーというかエネルギーが感じられず、帰途私はトンドゥップ殿下に、先生は今回のヨーロッパでの出来事を相当重く受け止められており、いつもの気迫が感じられなかったと申し上げた。 (続く)
※ 『向上』(2009年12月号より転載)
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