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2009年12月 1日 (火)

生と死 ─ 中川昭一先生を偲ぶ ─ (下)

 私はここで中川昭一先生と表記しているのは、ただ単に国会議員であるからというよりも、私より少し年下であっても極めて存在感が大きく、政治家らしさを醸しだす雰囲気を持っていたからである。

 以前、ご縁があって国民新党から参院選に立候補したとき、それまでお世話になった自民党の方々や平沼赳夫先生ほか皆様にご挨拶に伺った。その時、中川先生は「なんで自民党じゃないの?」と言って、すぐ「まあ亀井静香先生も我々の仲間だし、目的も考え方も同じだから、頑張って下さい」と理解と励ましを下さった。

 参議院選の投票日前日の土曜日、有楽町マリオン前で自民党と国民新党の宣伝カーがかち合い、双方がボリュームを上げるような事態になった。中川先生は自民党の宣伝カーで高見候補を応援する演説を行い、こちらは亀井静香代表代行を始め、総勢で国民新党をアピールしていた。そして司会の糸川代議士から私に、大きい声で「長く話せ」という候補者としてはありがたい機会を得た。私はマイクを取り、「今日は私が尊敬する中川先生も向こう側におられます。中川先生ごめんなさい」と言ってから小泉内閣を厳しく批判した。会場の人数は郵政関係者の働きもありこちらが有利で、拍手も声援も国民新党の方が圧倒的であったが、結果は予想をはるかに下回る得票数で私は落選した。高見候補も当選していれば大臣間違いなしの風評の中、落選した。私はその日のうちに数寄屋橋交差点で高見候補と握手をしたが、選挙戦とは言え高見候補のにこやかな表情には救われた。中川先生には、後日お目に掛かった。正直に言って私は選挙戦で無我夢中であったとは言えあの時の態度を気にしていたのだが、先生はさすがに何事もなかったかのように自然体で接して下さった。

 中川昭一先生の葬儀には、歴代の総理、先生と親子二代に亙って親交のあった平沼赳夫先生、島村宜伸先生、中山正暉元代議士とそのご子息、共産党を含む各政党の幹部ほか、報道機関の発表では三千とも五千とも言われる弔問客が駆けつけていた。

 安倍晋三元首相を始め、谷垣禎一自民党総裁、伊藤文明元幹事長、先生の愛妻がそれぞれ追悼の言葉を述べられ、中川先生の業績を讃えるとともに政治家としての勇気と行動力、そして何よりも真の人道主義者であり、憂国の士であって、この国を誰よりも心配していたことを思い出させた。

 平成十五年、私は拙著の『悪の戦争論』を中川先生に献上し、ネパールの例などを挙げて水の問題について切実に訴えたことがある。葬儀当日の奥様のご挨拶の中で、その後の先生の著作などで水の問題に真剣に取り組んでおられたことが明らかにされた。私はとても嬉しかった。

 だが、もうその中川先生はいない。私の前に座っておられた安倍晋三先生は涙ぐんでいた。私も涙が止まらなかった。国が衰退する時、国に必要な人々も神に召されてしまうと聞く。まさに日本が一番必要とするときに、中川先生はこの世を突然去ってしまった。私はなんと不運なのかと思った。

 人間生きている時に出来ること、やれることがどんなに大切かを教えられた気がする。そして非仏教的ではあるが、中川先生には天国からこの国と世界を守り、導いてほしいという気持ちである。しかし仏教徒としては極楽浄土へ浄土して頂き苦しみとその原因に満ちたこの世とは離れて頂きたいとも思う。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 (了)

※  『向上』(2009年12月号より転載)

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