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2010年1月29日 (金)

場に慣れる(下)

 日本では季節ごとに多くの人がデパートやファッション雑誌などに誘導され、新しいファッションを追いかけて、新しい服を着る。また最近は不況のせいで少しは変わったものの、学生を含む多くの人々が美味しいものを食べ、パーティなどではたくさんの料理を食べ残しているのを見る。幼い時、正月にしか大量の食料が用意されなかったことを思い出しながら、日本人は年中正月のようだなと思い、その恵まれた環境を嬉しく感じたりもする。

 その日本が羨ましいと思う一方、逆に日本の方々は自分たちが恵まれていることを本当に気づいて感謝しているのだろうかと疑問に思うこともある。このようなことがいつまで続くのであろうかという不安を抱いてしまう。それと同時に日本では、昔のような家長や種族、一族の長を中心とした社会が壊れてきており、そのために縦軸のようなものが失われ、横の関係も緩んできて、少し秩序のない社会になってきているようにも思ったりする。

 日本の皆様はカラオケなどで充分に場慣れしているからかもしれないが、マイクを取って歌を始めると、誰でもプロ並みの才能を発揮する。しかし、若者たちに何かまとまったことを話してもらったり、きとんとした挨拶をしてもらおうとすると、硬直してがちがちになってしまう場面に出くわすことが多い。

 今の日本の社会は、祖父母の役割、父母の役割、先生の役割、社長の役割など、その場その場で本来いくつかの役割と責任を果たさなければならないのに、その場に慣れることが出来ず、結果として社会が不具合になり、色々な摩擦が生じているのではないだろうか。そして自分の責任を他人に押しつけているのではないだろうか。そして自分の責任を他人に押しつけているのではないだろうか。

 マスコミは、政府や政治家が悪いと言い、政治家は官僚が悪いと言い、社会は教育や学校が悪いと言い、学校は親が当たり前の躾をしてないと嘆いている。私は、それぞれが他人の領域に干渉するだけではなく、もう少し自分自身の役割、つまり場を大切にしなければならないと思う。

 私たちは本来自分よりも優れた人を見て、その人の生き方や考え方を真似し、色々な場において自らをそこに当てはめるように努力して自分を磨いてきたのではないだろうか。

 私はスポーツ音痴だがあらゆるスポーツにはポジション(場)というものがあり、それをきちんと意識し守っているように、二〇一〇年は私たち皆がそれぞれの様々な状況・環境における場をしっかり認識し、守ることが大切ではないかと思う。また若者にもそのような場に慣れるための様々なシミュレーションやイメージトレーニングをさせるべきだと考える。 (了)

※『向上』(2010年2月号)より転載。

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