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2010年2月

2010年2月23日 (火)

日本再起への祈願(下)

 今、日本では、政治家が立法府や行政府の役割を越えて司法のあり方にまで口出しをし、健全な民主主義のための三権分立の原則を踏みにじるような行為が目立っている。行政のトップが検察と戦うという言葉を使用し、国会議員が特定の政治家擁護のため国会内で検察の活動を妨げ、干渉する姿勢を見せている。かつては政治資金の不正行為追及の先頭に立ち正論を吐いていたマスコミが新政権の提灯持ちのようになり、政治家への当局による調査を権力の濫用であると決めつけるなど、かつての態度を百八十度変えている。厚顔さにも驚くばかりである。

 また以前は、自民党の族議員を育ててフルに活用していた各方面の業界や団体の変身ぶりも気になる。

 常に時の権への追従と利益だけで行動するような政治姿勢が大勢を占めるようでは、二大政党は夢のまた夢で、政策や信念のみならず、日本が何千年来誇りにしてきた義理人情さえも消えつつあるように思い、寂しくなる。

 以上が今の心境であるが、しかし私はまだ日本に期待したい。

 特に、中国が日本を抜いてGDPにおいて世界第二位になるとか、何年後にインドが追い越すなどと、当たり前のように交わされる会話や、「なぜ日本が科学の面において世界一になる必要があるのか、第二位ではだめなのか」という国会議員の質問を聞くと、私個人は情けなく思う。

 一九六五年、私が来日した頃の日本はオリンピックで大きな自信を得て、あらゆる面において日本が世界一になること、日本人自ら義理と人情と恥の文化を誇りにしていた。現に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本が出るまでは、日本人はあらゆる面において向上心、公共心をバネとして前向きな姿勢で生きていた。

 ところが、この本が出た後はその繁栄が永遠に続くものと勘違いをし、日本の学校や公共の場から「努力」とか「忍耐」などという標語が消え、代わりに「ゆとり」とか「個性」「自由」がもてはやされるようになったのである。

 戦後廃墟と化したところから国を世界最高レベルにまで押し上げてきた先輩たちに対する感謝の気持ちとその精神をもう一度取り戻し、国家と国民が明確な目標を持つことだ。

 世界第二位に満足して第三、第四への転落を待つのではなく、第一位を目指せる潜在的力、つまり高度な精神文化を、日本は持っていると確信している。

 もう一度日本国民が自分自身を信じ、国を信じ、ご先祖に感謝し、環境に恵まれた素晴らしい日本国を世界一豊かで安全で安心して暮らせる理想郷として具現化することを祈願したい。

 この連載をご愛読くださった『向上』読者の皆様に心から感謝を申し上げ、皆様のご多幸を祈願するしだいである。 (了)

※『向上』(2010年3月号)より転載。

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日本再起への祈願(上)

 本来であれば我々東洋人は二月前後に正月を祝うので少々ごあいさつが遅くなったが、皆様にとって新年が素晴らしい年であるようまずお祈り申し上げたい。

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 新聞などを見ると、日本は国のトップの権力者たちの政治資金の問題や、新しい政権であることによる混乱などで国内外において不安な一面も覗かせている。しかし私が見る限り、これらはすべて心の問題に関連しているように思う。

 日米関係においても、私は新政権がアメリカとの関係を軽視したり、あるいは日米衷心の基本姿勢を日中中心へと大きくシフトするような国家戦略はないと思う。

 しかし一方、総理大臣がリーダーシップを発揮できず、一政党の幹事長が不当に政治的介入をしたり、大臣たちが場当たり的な発言をしたりすることで、不必要にアメリカなどの信頼を損ねていることも事実である。

 そのためか新内閣は百日を過ぎないうちに支持率が低迷するという異常な現象が起きている。

 それにも関わらず半世紀近く政権を担当してきた自民党も再起への強い意欲を示すような注目すべき活動もせず、人材もいない。

 そのような中で、長い間、日本国の国旗を背負って日本の顔として世界の空を飛び回っていた日本航空(JAL)が、破産申告という屈辱を味わっている。

 これらの現象は、私が日本に来た四十年前にあった、東京オリンピックを境にした前向きなムードと、日本人が誇りとしていた恥の文化・義理人情の文化がいつの間にか希薄になってしまったことに、その要因があるように痛感する。

 私は、日本航空と日本国の状況は大して変わらないように思う。

 日本航空は依然として潜在的力があり、世界の航空会社としてはむしろ黒字路線を走っている。しかし国のフラッグキャリアであるという特別の環境の上にあぐらをかき、世界一の航空会社になる夢を捨ててしまっていた。それまでの権威と国がバックにいることを盾に細部への努力や本来のサービスを軽視し、新しい試みに伴う冒険や危険を恐れてきた姿勢に問題があるように思う。

 日本国にしても、過去二十年間、世界第二位の経済大国であることに甘んじて第一位になる夢を捨て、財源を無視してやたらに国債を発行して、選挙民に迎合するようなばらまき政策に終始し、何らかの努力や工夫を避けてきた姿勢は、日本航空とあまり変わらない。

 ある経済専門家は、日本航空は赤字で破産したのではなく、資金のやりくりが出来なくなったからだと指摘していて、国の経済政策もこれに似ている。

 ただ違いは、国は国債を発行できるのに、日本航空は勝手に偽札を出すわけにいかないことだ。また政治資金の問題にしても、法律上の理屈以前の問題として、国民の模範となるべき政治家たちのモラルの問題、言い換えれば恥の問題であると認識している。 (続く)

※『向上』(2010年3月号)より転載。

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2010年2月18日 (木)

知られざる中国の「水危機」

日本でも水問題の議論を

 私が現在、最も懸念しているのは水の問題です。

 水は人間の生命そのものです。二〇一〇年は水が世界的問題として取り上げられると見ています。国連は二五年までに一八億人が水不足に直面すると推計。今日、水は世界的に石油資源以上に重要視され国家戦略に位置づけられています。気候変動の最大の原因は人間が過剰に自然を締め付けているからです。

 とりわけ中国は、地下にある鉱山資源開発のために水資源の確保・利用に関して植林計画も作らずに、長期にわたり無差別、無計画に植林伐採を行っています。これにより、自然が破壊されています。植林で樹木が育つには数十年かかりますが、伐採は一瞬ですべてをなくし、水は貯まりません。

 水の吸い込みができないため、中国は始終、洪水に見舞われています。ところが、甚大な被害を出しているにもかかわらず、その被害について中国政府は何も発表していません。洪水の秘密を隠しているのです。中国では北京はじめ西安など大都市でも水がないのが現実です。

 さらに中国政府は遊牧民に対して定住を命令しています。この命令は日本にも影響を与えています。遊牧民が飼っているヤギなどの動物は草を食べているわけですが、水不足によって、その草が育たず、不足していることでヤギは根まで食べています。つまり、中国では草がなくなって移動する場所がなくなって、放牧さえできないからです。草がなくなるとどうなるか。大気汚染の原因である黄砂が発生します。それが季節風によって日本に運ばれ森を枯らす原因にもなっているのです。

 かつて中国の首脳が「水不足問題は中国の生死を分かつ」といったように、中国では水問題はかなり深刻なのです。いま中国だけではなくアメリカ、中近東の国々が将来の食料事情を考慮しチベット高原やカンボジアなどの農地を買い漁っています。というのもチベット高原には現在八つの川があり、豊富な量の水源が豊かな農地を生み出しているからです。
 ところが、中国は自然の水の流れに手を加え、この川に乾燥地帯への水供給のためダムを造ろうとしています。中国はそのことを認めていません。これらの川はメコン川の上流域にあり源は一緒で、日本政府はこのメコン川流域の開発に協力しています。この開発についても中国はインドと対立しています。

 現代はグローバル化、ボーダーレス化することにより情報も瞬時に掴むことができます。地球上において私たち人間は戦争も平和も経済も文化も共有しています。しかも、一つの出来事が連鎖していく時代が来ていることを認識すべきです。
 水の問題は二〇世紀のこれまでの科学・物質万能に走りすぎた反動として発生した世界的な問題です。

 日本の政治家の間で「水戦争論」について活発な論議が交わされるよう期待しています。

※『ニューリーダー』(平成22年2月号)より転載。

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2010年2月15日 (月)

期待薄い中・チベット対話

3月決起抑える懐柔策
ウイグルなど強権支配続く

 1月25日、チベットの亡命政府は北京政府と対話を開始するため代表団が26日から北京入りすると発表した。これは2008年11月以来、1年あまりの空白の後のことである。代表団は計5名で特別代表ロディー・ギャリー氏、代表ケルサン・ギャルツェン氏ほか3名の外交部幹部が同行している。多くの人は北京政府と対話を再開したと一種の評価をしているようだが、私は個人的に特に期待はしていない。むしろ心配をしている程である。

 北京政府はあの08年のチベット全土における大規模の反中国政府抗議デモの時は、2回亡命政府と対話を行ったが、特に大きな課題がなく、中国政府にとって世間を気にする必要のない昨年は一度も対話に応じなかった。しかし今年は上海万博を控え、アメリカの中間選挙が行われる年でもあり、アメリカ国内における人権問題やチベット問題に関心が高まり候補者達はチベット問題などに言及すると共に、中国政府の依然変わらない人権抑圧、一党独裁政治に対する批判が高まることを予測して、対外政策上、少しでも柔軟な姿勢を示すことによって批判を回避しようという思惑であるように疑いたくなる。

 北京政府は今年1月8日、北京において胡錦濤国家主席が主唱するチベット問題特別会議を開いたと伝えられている。そして北京政府は所謂いわゆるチベット自治区の生活を中国の裕福な福建、広東、上海などのレベルに上げる一方、分離独立者に対しては強硬な政策を取ることを決定したという。

 現在、世界的に関心の高いチベットに対しては取り敢えず飴と鞭を上手に使ってコントロールしようということらしいが、一方ウイグルなどを見ると次から次へと昨年のデモ参加者などを見せしめとして死刑宣告し、実際、刑を執行している。その決定のプロセスも極めて乱暴で、一方的に起訴状を読み上げ、その場で判決を下すと聞く。08年のチベットのデモ参加者に対しても昨年は同様のプロセスで一方的に裁かれ、死刑を含む厳しい判決が下された。

 私はなぜ対話を開催することに両手を挙げて喜べないかというと、2002年のことが思い出されるからである。02年においては初めて中国の外で対話を行うことや、年に2度の対話に北京側が応じ、ダライ・ラマ法王もこれを評価しチベット側が誠心誠意で対話に臨むことを発表した。更に当時チベット国民が直接選挙で選んだ主席大臣(首相)はその年9月30日、江沢民主席のアメリカ訪問の際、反対デモや抗議活動をしないようにチベット人民および支持者に要請した。

 このような方針はその他の中国の指導者に対しても適用された。このことが多くの国民と支持者を驚かせ、戸惑わせた。亡命政府としては対話を通じてチベット側の現状に対する考えや、チベット全土で行われている人権弾圧に対する抗議、ならびにダライ・ラマ法王の提唱する真の自治に関する真意を北京側に伝える機会として重要視していることは理解できないことでもない。また北京との対話をすることによってチベット問題そのものが未解決であることを世界の人々に知って貰うという意義も否定できない。

 だが大事なことは、北京政府側に本当にチベット問題を平和裡に解決する意志があるかどうかだ。これが、むしろ北京側の時間稼ぎで、特に上海万博を成功させたいところ、3月10日のチベット決起記念日が近づいたことで民衆の不平不満が爆発するのを回避するための一時的な懐柔策として対話に応じているような格好を示しているのであれば、それはダライ・ラマ法王の誠意を踏みにじることになる。同時にチベットを支援する良識ある世界の人々をないがしろにすることにつながる。

 従ってチベット側も当然のことながら、中国の策略に二度と落ちないよう慎重であるべきなのは言うまでもない。もちろん亡命政府にとって選択の幅が狭いことに加え、誠心誠意努力していることは世界の人々も認めていると思うが、02年のように過剰な期待をせず、譲歩しないことを信じている。また北京政府も場当たりの懐柔政策でチベット人民と世界の人々を騙すのではなく、この問題の真相に真正面から臨むことを問題解決へのチャンスとして捉えて欲しい。

 中国はGDP(国内総生産)の面においては日本を追い越す勢いで、貿易面においても日本の最大の相手国である関係上、中国を的確に把握することは極めて重要であり、中国が世界の常識を重んじる国として振る舞うことが出来るかどうかは日本にとっても無関心でいられないはずである。

 中国とダライ・ラマ法王の代表団が対話へ向けて接触し始めた1979年から30年が経過した。その間、日本や他の先進国の協力を得て、中国は経済的、軍事的、政治的に大躍進していることは事実であるが、覇権主義的、抑圧的、独裁的要素は果たして変わっているのだろうか。北京政府はこのチャンスを活かすべきであり、世界は本当に中国が世界の一員になっているのか厳しく監視する必要がある。

※『世界日報』(2010年2月9日付)より転載

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