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2010年2月15日 (月)

期待薄い中・チベット対話

3月決起抑える懐柔策
ウイグルなど強権支配続く

 1月25日、チベットの亡命政府は北京政府と対話を開始するため代表団が26日から北京入りすると発表した。これは2008年11月以来、1年あまりの空白の後のことである。代表団は計5名で特別代表ロディー・ギャリー氏、代表ケルサン・ギャルツェン氏ほか3名の外交部幹部が同行している。多くの人は北京政府と対話を再開したと一種の評価をしているようだが、私は個人的に特に期待はしていない。むしろ心配をしている程である。

 北京政府はあの08年のチベット全土における大規模の反中国政府抗議デモの時は、2回亡命政府と対話を行ったが、特に大きな課題がなく、中国政府にとって世間を気にする必要のない昨年は一度も対話に応じなかった。しかし今年は上海万博を控え、アメリカの中間選挙が行われる年でもあり、アメリカ国内における人権問題やチベット問題に関心が高まり候補者達はチベット問題などに言及すると共に、中国政府の依然変わらない人権抑圧、一党独裁政治に対する批判が高まることを予測して、対外政策上、少しでも柔軟な姿勢を示すことによって批判を回避しようという思惑であるように疑いたくなる。

 北京政府は今年1月8日、北京において胡錦濤国家主席が主唱するチベット問題特別会議を開いたと伝えられている。そして北京政府は所謂いわゆるチベット自治区の生活を中国の裕福な福建、広東、上海などのレベルに上げる一方、分離独立者に対しては強硬な政策を取ることを決定したという。

 現在、世界的に関心の高いチベットに対しては取り敢えず飴と鞭を上手に使ってコントロールしようということらしいが、一方ウイグルなどを見ると次から次へと昨年のデモ参加者などを見せしめとして死刑宣告し、実際、刑を執行している。その決定のプロセスも極めて乱暴で、一方的に起訴状を読み上げ、その場で判決を下すと聞く。08年のチベットのデモ参加者に対しても昨年は同様のプロセスで一方的に裁かれ、死刑を含む厳しい判決が下された。

 私はなぜ対話を開催することに両手を挙げて喜べないかというと、2002年のことが思い出されるからである。02年においては初めて中国の外で対話を行うことや、年に2度の対話に北京側が応じ、ダライ・ラマ法王もこれを評価しチベット側が誠心誠意で対話に臨むことを発表した。更に当時チベット国民が直接選挙で選んだ主席大臣(首相)はその年9月30日、江沢民主席のアメリカ訪問の際、反対デモや抗議活動をしないようにチベット人民および支持者に要請した。

 このような方針はその他の中国の指導者に対しても適用された。このことが多くの国民と支持者を驚かせ、戸惑わせた。亡命政府としては対話を通じてチベット側の現状に対する考えや、チベット全土で行われている人権弾圧に対する抗議、ならびにダライ・ラマ法王の提唱する真の自治に関する真意を北京側に伝える機会として重要視していることは理解できないことでもない。また北京との対話をすることによってチベット問題そのものが未解決であることを世界の人々に知って貰うという意義も否定できない。

 だが大事なことは、北京政府側に本当にチベット問題を平和裡に解決する意志があるかどうかだ。これが、むしろ北京側の時間稼ぎで、特に上海万博を成功させたいところ、3月10日のチベット決起記念日が近づいたことで民衆の不平不満が爆発するのを回避するための一時的な懐柔策として対話に応じているような格好を示しているのであれば、それはダライ・ラマ法王の誠意を踏みにじることになる。同時にチベットを支援する良識ある世界の人々をないがしろにすることにつながる。

 従ってチベット側も当然のことながら、中国の策略に二度と落ちないよう慎重であるべきなのは言うまでもない。もちろん亡命政府にとって選択の幅が狭いことに加え、誠心誠意努力していることは世界の人々も認めていると思うが、02年のように過剰な期待をせず、譲歩しないことを信じている。また北京政府も場当たりの懐柔政策でチベット人民と世界の人々を騙すのではなく、この問題の真相に真正面から臨むことを問題解決へのチャンスとして捉えて欲しい。

 中国はGDP(国内総生産)の面においては日本を追い越す勢いで、貿易面においても日本の最大の相手国である関係上、中国を的確に把握することは極めて重要であり、中国が世界の常識を重んじる国として振る舞うことが出来るかどうかは日本にとっても無関心でいられないはずである。

 中国とダライ・ラマ法王の代表団が対話へ向けて接触し始めた1979年から30年が経過した。その間、日本や他の先進国の協力を得て、中国は経済的、軍事的、政治的に大躍進していることは事実であるが、覇権主義的、抑圧的、独裁的要素は果たして変わっているのだろうか。北京政府はこのチャンスを活かすべきであり、世界は本当に中国が世界の一員になっているのか厳しく監視する必要がある。

※『世界日報』(2010年2月9日付)より転載

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