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2010年3月11日 (木)

国家軽視で国運傾いた日本

個人主義克服する夢を
戦後復興期に強い民族意識

 最近日本のニュースは冬季オリンピックとトヨタのリコール問題が大きな話題になっていた。これらのニュースに接し、私は個人の運勢と同じように国家と民族にも運勢のようなものがあると思うようになった。運命とか運勢については、原因もまた変化も行いによって生じると信じている。

 私が日本に来たのは東京オリンピックの翌年であったが、その当時はまだオリンピックの達成感が日本中に充満していた記憶がある。当時の日本はオリンピックに限らずあらゆる面において前向きで、日本の総理大臣のニックネームはトランジスタのセールスマンと言われていたくらい政府は産業の発達とマーケットの拡大に奮闘していた。

 戦争に負けたにもかかわらず日本は国の再建に全力を尽くしており、その熱狂が当時子供であった私にもひしひしと伝わった。その後、何度かのオリンピックも経験し、その都度日本は金メダルを取るなど毎回躍進しているのを肌で感じ取れた。またアメリカなど一部の先進国と言われる国の選手に比べると、チームの礼儀正しさ、団体行動の良さも世界の模範となりうる存在であった。

 しかし、近年は日本に代わって韓国や中国の活躍が著しく目立っている。

 日本は政治的にも約20年間今ひとつ方向性が見えず、改革を唱えている割には改革と称するものを建設的で創造的であるというより、ただひたすら試行錯誤し、大きな青写真も無く全体像も見えないままである。それまで機能し、それなりに社会に根付いてきたものを破壊するだけで、各政党は店に商品を陳列するようにマニフェストというものを提示し、選挙民がその時々の欲求を満たすような受けの良い言葉ばかりを並べ、5年後、10年後、100年後の国のことを考えることをしないまま時間だけが過ぎてきた。

 一方、中国や韓国の指導者や営業マンたちは、かつての日本を思わせるような愛国精神に支えられた役人、猛烈社員ぶりで、社のため国のため東奔西走している。日本はその逆で、個人主義をあおるような教育と、強欲をかきたてるような野放しの資本主義が暴走し始めた。個人主義と自由主義に基づいて評論家たちが、自由で好きな時間に仕事ができる責任の軽いフリーターを称賛し、奮闘するワーカホリックの夫を支え、家庭をしっかり守ってきた主婦たちに哀れみをかけ、まるで家庭を支えることが非生産的なことであるかのように思わせ、やたらに離婚を勧めるような番組や人生相談がはびこっている。さらに、欲望を野放しにすることを「発散」と称する西洋型心理カウンセラーが、学校や職場にまで配置されるようになった。その結果、多くの家庭が破壊され、それまできちんと整っていた社会秩序も破壊され始めた。

 過日、留学生だった私は日本国憲法を少し勉強しようと思い、某有名法律塾の塾長による憲法のテキストを見て、国家=権力であり、権力=腐敗・悪であって、憲法は個人の自由、個人の個性を守るためにあるという終始一貫した主張に驚きを覚えると同時に、今の日本の国や社会を病ませている根源は、この憲法の過剰とも言える個人主義と国家を否定する解釈にあるように思った。この先生は極めて優秀で、このテキストは多くの司法試験受験生に読まれているそうである。だとすれば当然、司法試験の出題者たちやその他多くの教師たちもこの考え方に沿っているのではないかと思うと、何か怖くなるような話に思えてきた。

 何故なら、このテキストの解説には国民一人一人が国家の様々なサービスや保護を受けていること、そして国家は国民一人一人によって構成され、それを維持し発展させるための義務については殆ど触れていない。現憲法のもとで教育を受けてきた世代の人々にとって、このままだと個人主義だけがはびこり、国がばらばらになる恐れがあるからである。

 今まで私は憲法9条が日本の普通の国家としての手かせ、足かせとなっているように思ってきたが、あのテキストを読んで、もし日本の多くの知識人や政治家たちが同様の考えであれば、日本はそう遠くないうちに、より国家意識、民族意識の強い民族や国家に浸食される可能性が極めて大きいと思った。

 日本はもう一度冷静に過去を見つめ、反省すべきところは反省し、そして世界第2位の経済大国、世界の模範的な民族となった特質を再掘し、活力ある国に復興するために、政治家のみならず教育界、産業界そして国民一人一人が共通の夢と目標、そして誇りを取り戻す必要がある。私は、日本の先輩たちがそれが可能だということを既に実証しているゆえに、日本は必ず意志さえあれば元気な国になり、そして世界に貢献できると確信している。

 そのためには、今回の伸び悩んだオリンピックの成果やトヨタに代表されるような各企業や業界の不祥事に何かを読みとるべきではないか。サーカスのピエロか、チンパンジーが服を着ているかのような格好をして、TPOをわきまえない選手の出現そのものが今の日本の姿かもしれない。もう一度深い反省、つまり瞑想をする必要があるように思う。

※『世界日報』(2010年3月4日付)より転載

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