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2010年4月20日 (火)

政治の信頼回復を祈念する

期待外れの民主党政権
「平沼新党」は国益最優先で

 やっと平沼赳夫元経産大臣が新党「たちあがれ日本」を立ち上げ、自民党を離党した与謝野元財務大臣らが平沼氏とともに新党に参加したことで、日曜日のテレビ番組などではこの問題を取り上げ報道していたが、評論家たちは予想通りこの新党に関しては目的がはっきりしないなどの理由で批判的であった。マスコミは保守系ではない政治家の動きに関しては微妙に加担し激励するのに、保守系の政党の出現に対してはその政党自ら主旨を説明し、正式に発足する以前から批判している姿勢には公平さが欠けているように思う。

 そもそも評論家、コメンテーターたちは無責任に体制の破壊を促し、革新系あるいはリベラルと称するものの活動に関しては必要以上に期待を国民に抱かせ世論を攪乱し、政治の不安定な状況を招いたことに関しては誰ひとり責任を取っておらず、国民に対してひとこともお詫びの言葉を述べていないことの方が私は不自然に思う。

 平沼代議士は終始一貫して日本国の国益と、日本という国家の誇りと存亡を重視してその政治姿勢を貫いておられる方である。ただ国会議員のバッジを付けることのみを優先していれば、今までも幾度となく主流になるチャンスがあったが自分自身の政治信念を貫き通すため無所属で闘い、無所属のまま来たのである。これ以上明快な政治姿勢は無いと私は思う。

 マスコミによって作り上げられた民主党への過剰な期待と幻想が、破裂した風船のように消え去ろうとしている今日、国民はその期待外れから来る大きな失望感を抱いていることが世論調査などでも明確になっている。これは鳩山首相一個人の問題というよりも、小沢幹事長の独裁的手法が、本来の党首である首相を操縦しているような印象を与えているところに問題があり、首相のリーダーシップ欠如と内閣の不統一性、言動不一致をも生んでいる。このような状況の中、日本は国際社会においても存在感が薄れ、日本が一体どこへ行こうとしているかということに対しての不明確さが不信を招いているように思う。

 また、国内においても数多くの政治家が省庁に配置され、政治主導を強調していながらも結局は経験不足などが露呈することになり、官僚もただバッジを付けて威張っている政治家の命令に従うだけで、自ら政策を打ち出し、実行する意欲をなくしている。その結果、日本は国家として大きな損害を被り、国際社会における競争力の低下とともに国内における政治への不信は増す一方で、新政権になっても期待したような政治への信頼回復にはつながっていない。

 ある外国の新聞では民主党新政権に対して、ボトルのラベルだけ張り替えられた中身の変わっていないワインと題する記事が書かれたが、私も同感である。むしろ自民党の金権政治など国民が懸念すべき政治体質はそのまま小沢民主党幹事長によって継承され、各企業や業種団体、医師会や看護師会などへの圧力の掛け方などを見ても、結局かつての自民党と何も変わらない。特定利益団体との結びつきはむしろ強くなっており、業界に対する締め付けは通常の民主国家ではあり得ないほど厳しいのが現状ではないだろうか。

 さらに華々しく宣伝されたマニフェストは絵に描いた餅であり、矛盾だらけであったことも今、国民の政治への不信につながっているように感じる。確かに民主党にも純粋で高い理想に燃える政治家がいないわけではないが、腐った果物がそのまま残ると、バスケットの中の他の果物までが腐るように、民主党の中における小沢幹事長は最大の貢献者であると同時にガンであることも党内の人々も薄々感じており、修正しようとする勇気ある声が聞こえ始めているが、当分は数の原理で言えばこの人々は少数であり、簡単に変わる様子はないため大きな改善を期待することはできない。小沢幹事長が推し進めようとする外国人参政権や夫婦別姓は言うまでもないが、子ども手当にしても国内の日本人に対するものであれば納得できるものの、日本国民以外の人々に対して現地の月給相当の金を億単位で国民の血税から配分するのはいかがなものか。

 一方、自民党であるが、谷垣総裁は最善の努力の様子はうかがえるものの、残念ながら主義主張や義理人情よりも、権力欲の強いオポチュニストたちに加え、メディアの公平な評価も得られないまま依然として内部争いに精を出している状況に国民は呆れ返り、政権奪回は茨の道である。

 このような現状を踏まえた場合、日本国の国益を最優先し、国家の再建に民族の誇りと自信を取り戻して進むためには平沼新党に期待するほかないように思う。平沼新党は勇気を持って世論と称するメディアに迎合することなく、日本国の現在と未来に対して明確なビジョンを示し、できれば国民新党やみんなの党などとも協力、協調することによって再び国民の政治への信頼回復と、日本の国際社会における毅然たる地位を回復することを期待し、心から祈念している。

※『世界日報』(2010年4月13日付)より転載

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