« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月22日 (火)

タイのデモ報道から何を学ぶべきか

 約2か月にわたりタイではタクシン元首相支持者たちによってデモ抗議とアジテーションが続けられた。日本のマスコミと外務省はこのニュースをかなり重視しSて報道し、在タイ日本大使館は他の国々に先んじて日本人観光客への帰国勧告など、大使館として迅速に反応したことはそれなりに評価できるものがあった。
 特にデモ隊が集中した地域に近いという状況などからすれば当然とも思うが、タイ国政府としてどのように受け止めていたかを考えると多少早とちりと言えなくもない。
 しかしマスコミによってバンコク市内の一角に起きたことが、まるでタイ市民が革命でも起こそうとしているとでもいうような印象を与える報道と「本来であればここでタイの国王が事態収拾にあたる筈なのに好例で病気である上、そのようなことを出来ない」とコメントし、更に国王の影響力も低下したような発言をする専門家らしい人の言葉には軽率さと不勉強が感じられた。
 タイの国王は確かにご高齢で体調も優れないことは事実であるが、介入できないほど重病でもなければ依然として国民からの信頼や尊敬を受けており、影響力が低下したとは言い難い。
 タクシン元首相は1880年代から1950年代にかけて、タイに流れた総人口の14%の華僑たちの中では最も成功した1人であり、農村地帯を中心そのような中国系の人々を意図的に組織し、共和制をちらつかせるような発言は政治的関心度の高いタイ人ならほとんどが知っている事実であり、国王の周辺の人々もその態度には疑念を抱いていたという報道も無いわけではない。
 更にタイの司法当局の公式な判決として在任中に首相、特に夫人が不当な利益を得たとして、脱税などの罪に問われていた問題がある。そのため法的制裁を逃れるため、現在政界中を転々とし、財力にものを言わせてある時はイギリスのサッカーチームを買ったり、ある時は特定の国の政府の来賓として顔を現し、この数年間政界復帰を狙って外から指令を出し続けている。
 タイは戦前から日本と国交を結んでおり、日本にとって、そして日本の皇室にとっても非常に友好的な国であり、その国の動向については公平かつ慎重な配慮が必要であると言いたい。人数上大規模であるがゆえに、一体誰がそのデモを経済的便宜的に支えているか、その裏にあるものは誰であり、更にその裏にあるものが誰であって、何であるかを報道しないままバンコクの一角で起きていることをわざわざ虫眼鏡で拡大するような報道でなく、どうせなら重箱の隅をつついて真実を追究すれば、今日本で何かと議論の対象になっている外国人参政権の問題や、外国人が3年以上潜伏に成功すれば正式に定住権を与える法律が国会に提出されている問題についても大いに参考になるのではないかと思う。
 かつて日本国内の有名大学などで起きた学生運動を見て、世界から日本の若者が共産主義・社会主義に傾斜し、国が転覆しそうだと報道されていたらどうだっただろうか。マスコミ関係は国民に真実を知らせるという重要な役割に関し、もっと慎重に考えるべきではないか。また国民も自分たちに伝えられる現象には更に深い原因があることを前提にものを見る目を養うべきではないかと思う。

※『政界往来』(2010年7月号)より転載

|

2010年6月15日 (火)

参院選で保守の大同団結を

共通の政権構想を示せ
国益を損なう首相使い捨て

 日本の政局は既に参議院選に向いて動き出している。だが前の選挙の時の郵政問題やその前の拉致問題のようなフィーバーは今回見えていない。保守と名乗る自民党および自民党脱退組は言うまでもないが、民主党員までが自分は保守系であるというアピールをしているところを見ると、多少、普天間問題などで迷走していた日本政府の動向を見て暴走し始めた中国の動きなどに、国民がかすかな危機感を覚えている状況を政治家も感知し始めているように見える。

 しかし、未だに保守とはどうやって、何を守ろうとしているかということに対して、明確な答えを出している政党や政治家は少ないと言わざるを得ない。本来であれば世界最古の伝統と歴史を誇る日本ならではの天皇制と日本独特の武士道、茶道、華道で示されるような「人の道」を重視する文化を守り、国益を最重視することこそが保守の筋道ではなかろうか。

 だとすれば今こそ、そのような勢力は私利私欲を捨て、大同団結して日本の国力低下を阻止し、国際社会における確固たる地位を示すと同時に、日本国の安全保障のみならずそれに直結するアジアの安全保障に貢献し、信頼を再び勝ち取るべきではないだろうか。

 民主党の政権を見ていても、ただ良い人であるだけでは国の運営ができないことは証明されているし、またそのまま放置することも良くないことである。このコラムは筆者個人の考えを自由に述べることのできる健全なジャーナリズムの存在しない日本にとっては砂漠の中のオアシスのようなものであるので、この場を提供している世界日報にご迷惑を掛けることなく一個人の意見であるということを強調した上で申し上げるが、内閣は御輿の乗り手、担ぎ手、それぞれが心を一つにしてその役割を演じることでのみ完成度の高い祭りが行われ、民衆に感銘を与えることができる。

 そのような意味で私は総理大臣になる人は風格、経験、人格あらゆる面において誰が見ても不足のない人がならない限り、ただ担ぎ手にとって軽量でそれぞれが自分の方向へ運び出そうと思われるような人物では収まらないと思う。総理大臣は政治的経験が豊かで、国際的にもそれなりの経験と人脈を有し堂々と渡り合える人物がふさわしい。そして将来に対してこの国の舵を取ろうとする大きな志を持っている政治家は、今はむしろふさわしい人を担ぐことに専念し、大臣やその他の要職をこなすことで未来への準備をし、力を付けることが大切であると考える。

 つまり、来る参議院選に対しては保守と名乗る各政党は小異を捨て、大志のため協力関係を結び、まず参議院選で勝利を収め、その後さらに民主党内の保守系議員や連立政権を組んでいる国民新党などにも積極的に働き掛け、衆議院を解散に追い込み国民の審判を受け政権を奪回しない限り、日本の国際的地位は日増しに低下し、国力も弱体化している現状を打破する道はないように思う。

 政治においてきれいごとばかりでは、ものが進まないことは言うまでもないことであるゆえ、各政党や首相を目指す人々は共通の政権構想を作り、国益を最重視する国策を打ち出すと同時に権力の調整、つまり政権を取った場合のそれぞれの地位(役割)についても率直に話し合うことは決して悪いことではないと私は思う。ゆえに「三人寄れば文殊の知恵」という諺のように、それぞれの持ち味を発揮できると同時に総理を目指すが外交経験がないとか経済に詳しくない人は、外務大臣や経済担当大臣などをこなし、大臣を経験したが国会運営や政党運営の経験の乏しい人は自ら修行のチャンスとしてそのような地位につくことで誰もが納得のいく、将来の名首相になることを目指すことが国のためにもなり、本人のためにもなると思う。

 また国民もメディアも八方美人的にちり紙のようにある時は特定の人を持ち上げ、また次にそれをとことん批判し、こき下ろして結果として大切な人材を失わせ、国益を損害させるような行為、並びに評論家や言論人として収益を得、公共電波やその他公の場で発言しながらも他人事のように責任を取らない行為は許されない時代に来ているのではないだろうか。

 次の参議院選においては国民一人ひとりが慎重に一票を投じることはもちろんのこと、政治家たちもバッヂを付けることよりも何をすべきか、何をしたいかということを国民に明確に示すべきであると思う。そして何よりも投票場に出向き、国民としての権利を守り、義務を果たすことが次世代の人々に対する義務でもあるように思う。

 厳しい国際環境の中、日本が果たすべき役割、果たせる役割を熟慮していただきたいことを自称保守政党の方々に期待し、祈願するものである。

※『世界日報』(2010年6月8日付)より転載

|

2010年6月 4日 (金)

アジアのリーダーは誰か?

 日本は屈辱的敗戦を機にそれこそ昭和天皇の御言葉通り、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」国の復興に向かって国家一丸となって努力し、わずか25年でその目標を達成し、ジャパニーズ・ミラクル、つまり日本の奇跡を起こした。本来奇跡とは人間の力を超え神のなす業である。日本は経済、長寿、技術などあらゆる面で世界のトップに立ち、自他ともに認めるアジアのリーダー格に返り咲いた。国民総中流階級といわれる程に貧富の差も少なく医療福祉も充実し、安全で安心して暮らせる国として多くの発展途上国の模範となった。しかしバビロニアの塔を完成し、神を恐れなくなった王と民のように日本の「公益」「民族意識などの様々な族意識」「国益」よりも「個人主義」と「非民主的な自由主義」を是出し、「私利私欲」をも肯定する社会へと移転し、弱肉強食の競争社会作りに荷担し、バブル経済という幻想の世界に突入した。本来民主主義とは野放しの自由に対しルールを決め、それを守ることで社会秩序を維持し、自由に責任を伴わせるものである。永遠に続くと思われた世界は泡と消えたが、20年もの間日本を再び現実の世界に目覚めさせ、現実的な政策と明確なビジョンを示した再びアジアと世界をリードするような国民的な指導者も政党も出現しないまま、気まぐれなマスコミによって一時的に過剰な期待を寄せられた政治家や政党も現在では泡のように消え、日本はもはやアジアのリーダーと認めている国々もないまま多額の経済援助を約束することでかろうじて国際会議でメンツを保っているのが現状である。
 一方、アジアのリーダーとして台頭し脚光を浴びているのは中国とインドである。アメリカは数年前からインドを無限の可能性が潜む国として位置づけ、日本の大使館員を減らす一方でインドの館員を大幅に増やしている。東京駐在の外国人特派員もインドや中国に拠点を移している。特に中国重視の傾向が著しく、吉田外務政務官が嘆くように、十カ国以上で中国大使が兼務する現象が起きている。長期に渡って日本の駐在大使が他国をカバーすることは珍しくなかったが、今それが逆転している。これはまさに日本の現状を映し出す鏡のように思う。 
 インドの原子力の平和利用に関してもアメリカ、ロシア、フランスなど主要国のみならず韓国までが大統領自ら売り込みにインドへ参上している。このような日本の状況を憂い、なんとか日本の低迷を救いたいという動きが民間や政界からも現れている。
 その一つは民間外交推進協会が主催し3月29日都内のホテルで行われた「FEC日印原子力フォーラム」である。平日にもかかわらず200を超える各界の方々が参加した。日本から直嶋経済産業大臣、駐日インド大使が来賓として挨拶し、インドの前石油大臣で上院議員のマニ・シャンカール・マイヤール氏が基調講演を行い、インドの前外務次官で政策通として対米問題、エネルギー問題で偉業を成し遂げ最近まで首相の顧問を務めたシャム・サラン氏、続いて政務官、日本からは日本エネルギー経済研究所専務理事・十市務氏、経済産業大臣政務官・近藤洋介氏、日本電機工業界原子力国際化対応特別委員長・吉村真人氏という日本のエネルギー関連の重鎮たちが参加した。
 日本は出遅れ気味ではあるがインド側からの評判と評価は好調だったように思う。二つ目は日本の再建を目指し六人のサムライが立ち上がり新党を結成した動きである。この方々は経験、実績ともに誰が日本の総理大臣になっても不足は無い。世論は政策などをみないうちに年齢のことを問題視しているが私は別に体力で勝負するわけではないので十分に注目する価値があり、特に志があっても迷っている政治家達がこの方々の主張に耳を貸すことは日本の再建と国際社会における確固たる地位を獲得するのに有益であると信じている。

※『政界往来』(2010年6月号)より転載

|

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »